10月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
1友引 ●●●●● |
2先負 ●● |
3仏滅 ●● |
4大安 |
5赤口 |
6先勝 ● |
7友引 ●● |
8先負 ●●●● |
9仏滅 ●●●●● |
10大安 ● |
11赤口 |
12先勝 |
13友引 |
14先負 ●● |
15仏滅 ●●●●● |
16大安 ●●●● |
17赤口 ●● |
18先勝 ● |
19友引 ●● |
20先負 ● |
21仏滅 |
22大安 ●● |
23赤口 ● |
24先勝 ● |
25仏滅 |
26大安 |
27赤口 |
28先勝 |
29友引 ● |
30先負 ● |
31仏滅 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
北海道…●
東北…●
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九州・沖縄…●
年中行事…■
2022年10月1日(土)開催のイベント一覧
飯坂けんか祭(八幡神社)
10月第1土曜日を中心とした3日間
12世紀後半に大鳥城の築城とともに舘山山麓に遷建(移築)した別当八幡寺で行われた祭りが起源とされます。江戸時代後期になって寺院に最も近い上町地区や商業の中心地だった横町地区が祭りに屋台を出して太鼓を打ち鳴らし、神輿と一緒に氏子地域を練り歩いたのが今の祭りの原型になっていると伝えられています。
神輿渡御は町内を巡幸したのち、夜の帳が降りると大勢の若衆に担がれた6台の屋台が神輿と共に御旅所を出発し、神社境内に入り乱れると屋台同士が激しくぶつかり合います。揺れる提灯の灯が夜空を焦がし、負けじと打ち鳴らす太鼓の音が大地を轟かす様は圧巻で、“日本三大けんか祭り”の異名をとります。
二本松の提灯祭り(日本松神社)
10月第1日~3日
今から約370年前(寛永20年(1643年)、丹羽光重公が二本松城主として入部、「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、現在の栗ヶ柵に二本松神社をまつり領民なら誰でも自由に参拝できるようにしたのが、提灯祭りの始まりといわれています。
初日の宵祭りは、午後5時に7町内の太鼓台が市内の中心部に集合、二本松神社の御神火で一斉に提灯に火がともります。1台に300余の提灯をつけ7台の太鼓台が情緒豊かな祭り囃子の調べに合わせ市内を練り歩くさまは壮観です。中でも1番の見所は、7町の太鼓台が全て揃う宵祭りです。
朝比奈大龍勢
10月
発祥は鎌倉時代で朝比奈川の上流の朝比奈城(朝比奈氏の居城)から中流の朝日山城(岡部氏の居城)へと急を知らせる狼煙(のろし)がルーツと推測されています。現在は、六社神社の祭典にあわせて多く龍勢が打ち上げられるます。
龍勢とは筒に黒色火薬を詰め、竹竿を結んだ花火のことです。 朝比奈大龍勢とは、この龍勢を打ち上げる祭典のことで岡部町朝比奈地区に伝わる伝統行事のひとつです。 現在は、二年に一度開催されています。例年昼の部は17本、夜の部は13本合計30本ほどが打ち上げられています。
豊公まつり(豊国神社)
10月1日
長浜の市街地は豊臣秀吉公によって城下町が築かれ大いに栄えました。秀吉公没後に長浜の人たちは秀吉公を敬い、豊神社を建立しました。徳川時代にあっても表向きの祭神とはうらはらに秀吉公を奉り続けました。明治時代になり、豊国大明神の神号が復活し豊国神社として今もその偉功をたたえています。長浜出世まつりは、1983年の春、豊臣秀吉の出世城といわれる長浜城が約400年ぶりに再興されたのを記念して始まりました。さらに回を重ねる毎に「長浜芸術版楽市楽座 アートインナガハマ」「長浜きものの集い」等を開催し、これらイベントを総称して長浜出世まつりと呼びます。
豊公まつりでは、賤ヶ岳合戦の凱旋を表現した秀吉公や賤ヶ岳七本槍などの武者行列・稚児行列が行われます。行列は、お昼頃に豊国神社を出発し、長浜八幡宮まで練り歩き、豊国神社に戻ります。甲冑を着けた武者達は隈取りをしています。
太秦の牛祭(広隆寺)
10月
広隆寺の寺伝によれば、恵心僧都源信(942~1017)が極楽浄土を求めて念仏会を始め、天台系の常行堂守護神として祀られる異形の神である摩多羅(またら)神を守護神としました。国家安穏・五穀豊穣・悪疫退散を祈る農民の素朴な祭りと合わさって伝えられたものと考えられています。かつては夜2時に行われ、仮面・装束・行動ともにより奇怪であったといい、絵巻や図絵などに残っています。
鞍馬の火祭、今宮神社のやすらい祭とともに京の三大奇祭の一つで、広隆寺のお祭りです。仮面や飾りつけをしたまだら神が牛にまたがり、仮面をつけた四天王が松明を持って従い、境内と周辺を一巡します。薬師堂前で祭文を読み、これが終わると同時に堂内に飛び込みます。五穀豊穣・悪魔退散を祈願する祭です。
津山まつり(徳守神社・大隈神社・髙野神社)
毎年10月
総鎮守・徳守神社の祭礼は津山藩初代藩主森忠政が慶長9年(1604年)に同宮を再建して間もなく始まったとされ、寛文7年(1667年)には24町が練り物を出し、宝永4年(1707年)には大隅神社の祭礼にも練り物が出されるようになりました。1955年には髙野神社が加わり現在の名称になりました。
岡山県津山市で毎年10月に行われる400年の伝統を誇る秋祭りの総称です。元々は「御城下の祭り」(大隅神社、徳守神社の秋祭り)でしたが、昭和30年(1955)、髙野神社が加わり現在の名称になりました。美しく積み上げられた石垣がほぼ完全な形で残る津山城跡(国指定史跡)を中心に城西を貫く旧出雲街道があり、通り沿いには閑静なたたずまいをみせる武家屋敷、多くの神社、仏閣が見られます。「西の小京都」と呼ばれる美しい町並みを神輿や獅子、そしてだんじりが練るコントラストは400年の歴史を持つ「津山まつり」の見どころの一つです。
結願暦のミルク行列
旧暦8月
新城島では旧暦の8月(新暦の10月)になると、結願暦の行事が行われます。この祭りの内容は豊年祭のような、観光客にとって危険なタブーはありません。人形のようなミルクを筆頭にして、島の若者が民族衣装を身につけ、島内を練り歩き、音楽に合わせた踊りを披露します。
五穀豊穣をもたらす福々しい姿のミルク(弥勒)は、沖縄各地の祭りに登場する神さま。特に八重山地方では、豊年祭や結願祭り、節祭(シチ)、種取祭、ムシャーマなどそれぞれの地域の祭に登場し、右手に持った大きな団扇で人々に福をふりまきます。沖縄では遥か海の彼方に万物生成豊かな世界であえるニライカナイが存在し、そこからミルクやパーントゥなどの神が来訪して豊穣をもたらすと信じられています。
パーントゥ
野尻…旧暦9月上旬 野原…旧暦12月最後の丑の日
宮古島の2つの集落でしか見られないパーントゥ。開催される時期も異なります。村の厄払いの行事で旧暦の9月吉日、宮古島市平良の島尻集落で行われます。パーントゥとはお化けや妖怪といった意味の宮古方言です。仮面をつけて全身に泥を塗り、シイノキカズラの蔓草を巻きつけた3体の仮装神は強烈です。
平良地区島尻のパーントゥ・サトゥプナハ(里願い)は、年3回(旧暦3月末~4月初、旧暦5月末~6月初、旧暦9月初)行われるが、3回目には面をつけた来訪神が出現することから、パーントゥプナハとして知られています。来訪神は3体で、全身に蔓草のシイノキカズラをまとって泥で化粧をします。その後、拝所で5人の女性神約により祈願を行った後、集落に出て厄払いをします。プナハとは人々が寄り集まって祈願祭(お神酒で酒宴を行う)のことをいいます。つまい、パーントゥ神が出現して、集落から悪魔を追い払い、人々に無病息災を得させるという言われています。
節祭(しち)
旧暦10月己亥(つちのとい)の日から庚子(かのえね)、辛丑(かのとうし)の連続する3日間
西表島の節祭は今から約500年前から伝承されたといわれており、国の「重要無形文化財」の指定をうけています。福々しいお面の「ミリク様」という神様が登場することで有名です。
農作の感謝と五穀豊饒、健康と繁栄を祈願する祭で毎年旧暦の10月前後の己亥に行われます。祭り2日目には芸能や船漕などの様々な催しものが披露され、神々へ豊年祈願をします。干立地区では、「オホホ」がオホホーと奇声を発し、札束を見せびらかしながら滑稽な動きを見せます。「オホホ」は鼻の高い仮面に異国人風のブーツをはいた奇妙な格好をしていて、一説には、昔、島に流れ着いた外国人をモデルにしているのでは、とも言われています。両地区とも集落共同体を一体化させる祭りとして継承に努めています。祭りの日は地元出身者が多数、里帰りをして祭りを盛り上げます。
2022年10月2日(日)開催のイベント一覧
飯坂けんか祭(八幡神社)
10月第1土曜日を中心とした3日間
12世紀後半に大鳥城の築城とともに舘山山麓に遷建(移築)した別当八幡寺で行われた祭りが起源とされます。江戸時代後期になって寺院に最も近い上町地区や商業の中心地だった横町地区が祭りに屋台を出して太鼓を打ち鳴らし、神輿と一緒に氏子地域を練り歩いたのが今の祭りの原型になっていると伝えられています。
神輿渡御は町内を巡幸したのち、夜の帳が降りると大勢の若衆に担がれた6台の屋台が神輿と共に御旅所を出発し、神社境内に入り乱れると屋台同士が激しくぶつかり合います。揺れる提灯の灯が夜空を焦がし、負けじと打ち鳴らす太鼓の音が大地を轟かす様は圧巻で、“日本三大けんか祭り”の異名をとります。
二本松の提灯祭り(日本松神社)
10月第1日~3日
今から約370年前(寛永20年(1643年)、丹羽光重公が二本松城主として入部、「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、現在の栗ヶ柵に二本松神社をまつり領民なら誰でも自由に参拝できるようにしたのが、提灯祭りの始まりといわれています。
初日の宵祭りは、午後5時に7町内の太鼓台が市内の中心部に集合、二本松神社の御神火で一斉に提灯に火がともります。1台に300余の提灯をつけ7台の太鼓台が情緒豊かな祭り囃子の調べに合わせ市内を練り歩くさまは壮観です。中でも1番の見所は、7町の太鼓台が全て揃う宵祭りです。
節祭(しち)
旧暦10月己亥(つちのとい)の日から庚子(かのえね)、辛丑(かのとうし)の連続する3日間
西表島の節祭は今から約500年前から伝承されたといわれており、国の「重要無形文化財」の指定をうけています。福々しいお面の「ミリク様」という神様が登場することで有名です。
農作の感謝と五穀豊饒、健康と繁栄を祈願する祭で毎年旧暦の10月前後の己亥に行われます。祭り2日目には芸能や船漕などの様々な催しものが披露され、神々へ豊年祈願をします。干立地区では、「オホホ」がオホホーと奇声を発し、札束を見せびらかしながら滑稽な動きを見せます。「オホホ」は鼻の高い仮面に異国人風のブーツをはいた奇妙な格好をしていて、一説には、昔、島に流れ着いた外国人をモデルにしているのでは、とも言われています。両地区とも集落共同体を一体化させる祭りとして継承に努めています。祭りの日は地元出身者が多数、里帰りをして祭りを盛り上げます。
2022年10月3日(月)開催のイベント一覧
二本松の提灯祭り(日本松神社)
10月第1日~3日
今から約370年前(寛永20年(1643年)、丹羽光重公が二本松城主として入部、「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、現在の栗ヶ柵に二本松神社をまつり領民なら誰でも自由に参拝できるようにしたのが、提灯祭りの始まりといわれています。
初日の宵祭りは、午後5時に7町内の太鼓台が市内の中心部に集合、二本松神社の御神火で一斉に提灯に火がともります。1台に300余の提灯をつけ7台の太鼓台が情緒豊かな祭り囃子の調べに合わせ市内を練り歩くさまは壮観です。中でも1番の見所は、7町の太鼓台が全て揃う宵祭りです。
節祭(しち)
旧暦10月己亥(つちのとい)の日から庚子(かのえね)、辛丑(かのとうし)の連続する3日間
西表島の節祭は今から約500年前から伝承されたといわれており、国の「重要無形文化財」の指定をうけています。福々しいお面の「ミリク様」という神様が登場することで有名です。
農作の感謝と五穀豊饒、健康と繁栄を祈願する祭で毎年旧暦の10月前後の己亥に行われます。祭り2日目には芸能や船漕などの様々な催しものが披露され、神々へ豊年祈願をします。干立地区では、「オホホ」がオホホーと奇声を発し、札束を見せびらかしながら滑稽な動きを見せます。「オホホ」は鼻の高い仮面に異国人風のブーツをはいた奇妙な格好をしていて、一説には、昔、島に流れ着いた外国人をモデルにしているのでは、とも言われています。両地区とも集落共同体を一体化させる祭りとして継承に努めています。祭りの日は地元出身者が多数、里帰りをして祭りを盛り上げます。
2022年10月6日(木)開催のイベント一覧
荘内大祭(庄内神社)
10月6日
明治10年(1877年)、荘内神社の創建を記念して旧藩主を慕う庄内一円の人々の総意により始められました。以来100年以上市民が一丸となって奉仕するお祭りで、城下町鶴岡を代表する伝統行事として毎年開催されています。
天下人秀吉より賜った金びょうたん槍を先頭に、奴振り、鎧武者の甲冑列など総勢約500名からなる大名行列が、歴史絵巻を繰り広げます。また荘内神社を舞台に、酒井公が手厚く保護したという国指定重要民俗文化財「黒川能」が奉納上演されるほか、夜には、鶴ヶ岡城の外堀であった内川の水面を灯籠流しの灯りが彩ります。
2022年10月7日(金)開催のイベント一覧
佐原の大祭(秋祭)
10月の第2土曜を中日とする金曜・土曜・日曜日の3日間
佐原の市街地の東側の地域を本宿と呼び、西側の地域を新宿と呼んでいます。本宿は祇園祭り(夏)、新宿は諏訪祭(秋)を行っってきました。新宿は転生年間(1573~1591)に新しく開起された地域で、佐原村の鎮守として天王社を祀っていました。その後新たに諏訪社を鎮守として祀るようになりました。これ以降、新宿では祇園祭に係わらなくなり、今日に至っています。
小江戸佐原の一大イベント『佐原の大祭』は、7月10日以降の金曜・土曜・日曜日に行われる八坂神社祇園祭と、10月第2土曜日を中日とする金曜・土曜・日曜日に行われる諏訪神社秋祭りの総称をいい、関車3大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有していす。諏訪神社の祭礼である秋祭りは、新宿地区を14台の山車が曳き廻され、あちこちで勇壮にして華やかな曲曳き「のの字廻し」などが披露されます。
諏訪神社秋季大祭(長崎くんち)
毎年10月7日8日9日
寛永11年(1634年)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが長崎くんちの始まりと言われています。以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。
「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭です。踊り町(出演者)は、それぞれに龍踊りや唐人船、オランダ万才(まんざい)などの踊りを持ち、7年に1回出番が回ってきます。 そして日本・中国・オランダの文化が盛り込まれた多彩な踊りのうち1つが、諏訪神社境内のほか3か所の踊り場で披露されます。地元日本の文化はもちろんのこと、ポルトガル、オランダ、中国など外国文化の要素を取り入れた奉納踊も披露されます。
若宮八幡社の裸祭(川渡し神事)
10月~11月の金・土・日曜
別名「川渡し」とも呼ばれ、1084(永保4)年に若宮八幡神社の荒行のひとつとして始まり、900回以上も開催されている歴史ある神事です。日本三大裸祭りのひとつに数えられています。ご祭神の内、天照大神、玉祖神、品陀別命は元正天皇の養老二年(718)市内御玉にありました璞(たま)を御神体として祭ったとあり、大鷦鷯尊(仁徳天皇)他15柱の神様が、祀られています。
寒風吹きすさむ中、肌をあらわにした男達が、重さ1トンもの神輿を担いで市内中央を流れる桂川を練り歩きながら渡る勇壮な「御神幸の川渡し」が一番の見どころです。世界一と言われる巨大な松明(たいまつ)に灯された炎、鳴り響く太鼓の音と相まって、あたりは荘厳な空気に包まれます。絵巻物さながらの光景は、五感を通して記憶にしっかりと刻まれることでしょう。
2022年10月8日(土)開催のイベント一覧
佐原の大祭(秋祭)
10月の第2土曜を中日とする金曜・土曜・日曜日の3日間
佐原の市街地の東側の地域を本宿と呼び、西側の地域を新宿と呼んでいます。本宿は祇園祭り(夏)、新宿は諏訪祭(秋)を行っってきました。新宿は転生年間(1573~1591)に新しく開起された地域で、佐原村の鎮守として天王社を祀っていました。その後新たに諏訪社を鎮守として祀るようになりました。これ以降、新宿では祇園祭に係わらなくなり、今日に至っています。
小江戸佐原の一大イベント『佐原の大祭』は、7月10日以降の金曜・土曜・日曜日に行われる八坂神社祇園祭と、10月第2土曜日を中日とする金曜・土曜・日曜日に行われる諏訪神社秋祭りの総称をいい、関車3大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有していす。諏訪神社の祭礼である秋祭りは、新宿地区を14台の山車が曳き廻され、あちこちで勇壮にして華やかな曲曳き「のの字廻し」などが披露されます。
大津祭
スポーツの日の前日(日曜と土曜)
大津祭は、天孫神社の祭礼です。大津祭の起源は、江戸時代のはじめにあたる慶長~元和年間(1598~1624)と考えることができると考えられます。江戸時代初め、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をかぶって踊ったのが始まりとされます。大津は近世において湖上交通の要衝としての 港町と東海道五十三次の宿場町という両機能を備えて発展した都市でした。ここで醸成された豊かな大津町人の経済力と曳山とは無関係ではなかったと考えられます。
大津市で湖国三大祭のひとつ、国指定重要無形民俗文化財の「大津祭」が行われます。京都祇園祭の風情を色濃く継承した祭礼です。現在13基ある曳山はいずれも江戸時代に制作されたもので、各曳山にはからくり人形が乗っているのが特徴です。祭礼1週間前に組み立て、本祭では、天孫神社前に集合した曳山は、9時頃に出発し、丸1日かけて街中を巡行します。
鴻八幡宮例大祭
10月第二土、日曜日
鴻八幡宮は、約1300年前の大宝元年(701年)に創建されたと伝えられます。演奏される7曲からなる祭囃子は「しゃぎり」と呼ばれ、その起源は不明ですが、一説には江戸時代後期に京都・大阪から伝わったとされます。
鴻八幡宮例大祭は、岡山県指定重要無形民俗文化財です。例大祭は10月の第二日曜日とその前日に斎行され、だんじりと1台の千歳楽が長さ80mの表参道の坂を駆け上がります。岡山三大だんじり祭りに数えられ、だんじりから奏でる祭りばやし「しゃぎり」は岡山県重要無形民俗文化財に指定されています。
諏訪神社秋季大祭(長崎くんち)
毎年10月7日8日9日
寛永11年(1634年)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが長崎くんちの始まりと言われています。以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。
「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭です。踊り町(出演者)は、それぞれに龍踊りや唐人船、オランダ万才(まんざい)などの踊りを持ち、7年に1回出番が回ってきます。 そして日本・中国・オランダの文化が盛り込まれた多彩な踊りのうち1つが、諏訪神社境内のほか3か所の踊り場で披露されます。地元日本の文化はもちろんのこと、ポルトガル、オランダ、中国など外国文化の要素を取り入れた奉納踊も披露されます。
若宮八幡社の裸祭(川渡し神事)
10月~11月の金・土・日曜
別名「川渡し」とも呼ばれ、1084(永保4)年に若宮八幡神社の荒行のひとつとして始まり、900回以上も開催されている歴史ある神事です。日本三大裸祭りのひとつに数えられています。ご祭神の内、天照大神、玉祖神、品陀別命は元正天皇の養老二年(718)市内御玉にありました璞(たま)を御神体として祭ったとあり、大鷦鷯尊(仁徳天皇)他15柱の神様が、祀られています。
寒風吹きすさむ中、肌をあらわにした男達が、重さ1トンもの神輿を担いで市内中央を流れる桂川を練り歩きながら渡る勇壮な「御神幸の川渡し」が一番の見どころです。世界一と言われる巨大な松明(たいまつ)に灯された炎、鳴り響く太鼓の音と相まって、あたりは荘厳な空気に包まれます。絵巻物さながらの光景は、五感を通して記憶にしっかりと刻まれることでしょう。
2022年10月9日(日)開催のイベント一覧
佐原の大祭(秋祭)
10月の第2土曜を中日とする金曜・土曜・日曜日の3日間
佐原の市街地の東側の地域を本宿と呼び、西側の地域を新宿と呼んでいます。本宿は祇園祭り(夏)、新宿は諏訪祭(秋)を行っってきました。新宿は転生年間(1573~1591)に新しく開起された地域で、佐原村の鎮守として天王社を祀っていました。その後新たに諏訪社を鎮守として祀るようになりました。これ以降、新宿では祇園祭に係わらなくなり、今日に至っています。
小江戸佐原の一大イベント『佐原の大祭』は、7月10日以降の金曜・土曜・日曜日に行われる八坂神社祇園祭と、10月第2土曜日を中日とする金曜・土曜・日曜日に行われる諏訪神社秋祭りの総称をいい、関車3大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有していす。諏訪神社の祭礼である秋祭りは、新宿地区を14台の山車が曳き廻され、あちこちで勇壮にして華やかな曲曳き「のの字廻し」などが披露されます。
秋の高山祭(八幡祭)(櫻山八幡宮)
毎年10月9日、10日
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)で、屋台の起こりは1718年頃といわれています。巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。また、春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭です。安川通りの北側に11台の屋台が登場し、屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめます。
大津祭
スポーツの日の前日(日曜と土曜)
大津祭は、天孫神社の祭礼です。大津祭の起源は、江戸時代のはじめにあたる慶長~元和年間(1598~1624)と考えることができると考えられます。江戸時代初め、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をかぶって踊ったのが始まりとされます。大津は近世において湖上交通の要衝としての 港町と東海道五十三次の宿場町という両機能を備えて発展した都市でした。ここで醸成された豊かな大津町人の経済力と曳山とは無関係ではなかったと考えられます。
大津市で湖国三大祭のひとつ、国指定重要無形民俗文化財の「大津祭」が行われます。京都祇園祭の風情を色濃く継承した祭礼です。現在13基ある曳山はいずれも江戸時代に制作されたもので、各曳山にはからくり人形が乗っているのが特徴です。祭礼1週間前に組み立て、本祭では、天孫神社前に集合した曳山は、9時頃に出発し、丸1日かけて街中を巡行します。
鴻八幡宮例大祭
10月第二土、日曜日
鴻八幡宮は、約1300年前の大宝元年(701年)に創建されたと伝えられます。演奏される7曲からなる祭囃子は「しゃぎり」と呼ばれ、その起源は不明ですが、一説には江戸時代後期に京都・大阪から伝わったとされます。
鴻八幡宮例大祭は、岡山県指定重要無形民俗文化財です。例大祭は10月の第二日曜日とその前日に斎行され、だんじりと1台の千歳楽が長さ80mの表参道の坂を駆け上がります。岡山三大だんじり祭りに数えられ、だんじりから奏でる祭りばやし「しゃぎり」は岡山県重要無形民俗文化財に指定されています。
諏訪神社秋季大祭(長崎くんち)
毎年10月7日8日9日
寛永11年(1634年)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが長崎くんちの始まりと言われています。以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。
「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭です。踊り町(出演者)は、それぞれに龍踊りや唐人船、オランダ万才(まんざい)などの踊りを持ち、7年に1回出番が回ってきます。 そして日本・中国・オランダの文化が盛り込まれた多彩な踊りのうち1つが、諏訪神社境内のほか3か所の踊り場で披露されます。地元日本の文化はもちろんのこと、ポルトガル、オランダ、中国など外国文化の要素を取り入れた奉納踊も披露されます。
那覇大綱挽まつり
毎年体育の日の前日(日曜日)
発祥は、1450年頃だとされています。地方の農村行事としての綱引きが、稲作のための雨乞い・五穀豊穣・御願綱を起源とするのに対し、町方(都市)の綱として、交易都市那覇を象徴する大綱挽です。沖縄県内には綱引きによってその年の吉凶を占うという風習が各地に残っています。
1995年ギネスブックによって「世界一のわら綱」と認定されるに至って、那覇大綱挽は、いまや世界一の綱挽として、那覇市民・県民の誇りとなり、沖縄の観光振興に大きく貢献する沖縄最大の伝統行事として定着しています。現在では、綱挽参加者は、平和安寧・市民繁栄・商売繁盛・家庭円満・子宝などの幸福を願って挽き、市民にとっては綱を挽くことが「繁栄・幸福・団結」をはかるための欠かせないコミュニケーションのひとつとなっています。
若宮八幡社の裸祭(川渡し神事)
10月~11月の金・土・日曜
別名「川渡し」とも呼ばれ、1084(永保4)年に若宮八幡神社の荒行のひとつとして始まり、900回以上も開催されている歴史ある神事です。日本三大裸祭りのひとつに数えられています。ご祭神の内、天照大神、玉祖神、品陀別命は元正天皇の養老二年(718)市内御玉にありました璞(たま)を御神体として祭ったとあり、大鷦鷯尊(仁徳天皇)他15柱の神様が、祀られています。
寒風吹きすさむ中、肌をあらわにした男達が、重さ1トンもの神輿を担いで市内中央を流れる桂川を練り歩きながら渡る勇壮な「御神幸の川渡し」が一番の見どころです。世界一と言われる巨大な松明(たいまつ)に灯された炎、鳴り響く太鼓の音と相まって、あたりは荘厳な空気に包まれます。絵巻物さながらの光景は、五感を通して記憶にしっかりと刻まれることでしょう。
2022年10月10日(月)開催のイベント一覧
秋の高山祭(八幡祭)(櫻山八幡宮)
毎年10月9日、10日
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)で、屋台の起こりは1718年頃といわれています。巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。また、春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭です。安川通りの北側に11台の屋台が登場し、屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめます。
2022年10月14日(金)開催のイベント一覧
灘のけんか祭り
毎年10月14日、15日
灘のけんか祭りは松原八幡神社の秋季例祭です。松原八幡神社の由緒は古く、天平宝字7年(763)葵卯4月11日九州豊前国宇佐より白雲が東にたなびき、松原沖の海底に毎夜ひかり輝くものがあり紫檀の霊木があがったのでお祀りしたことが最初です。その後、国司が神のお告げを夢に見て、御神体を現在の松原の地にお遷ししました。
「灘のけんか祭り」は、また「灘まつり」とか、「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれ、古めかしい神輿をぶつけ合う特殊な神事によって、全国の数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りであるといわれ、すでに戦前から播磨を代表する祭りとして知られていました。戦後は、この神輿練りのほか、絢爛たる屋台を盛大に練り競う勇壮豪華な屋台練りが人気を呼び、国内はもとより海外にまでその名を知られるようになりました。三基の神輿の激烈なぶっつけ合う様は壮絶です。
西条まつり
10月
西条でだんじり祭りが行われるようになったのは、江戸時代に大阪のだんじりを見て、似たものを作ったのが最初と言われています。しかし真似たとはいえ、大阪のだんじりと西条のだんじりはかなり異なったものになっています。大阪のだんじりは車輪のついた台車を曳きまわすのに対して、西条のだんじりは神輿のように舁き棒で担ぎ上げます。
江戸時代から続く西条市の伝統的な秋祭りです。五穀豊穣を神に感謝する神事で、伊曽乃)神社、嘉母神社、石岡神社、飯積神社の4つの神社の例祭の総称です。市内の氏子各町に所属する百数十台の屋台が奉納され、その数は日本一ともいわれています。市民の大多数が祭りに参加するため、祭礼期間中は地元企業や学校が一斉に休みになったり、遠方に暮らす西条出身者も仕事を休んで帰省したりするなど、祭りは西条っ子の心に強く根付いています。祭りでは細工を凝らした屋台が列をなし、太鼓や鉦、人々の祭ばやしの声が町中に響き渡ります。
発祥の地コレクション
https://840.gnpp.jp/saijodanjirimatsuri/
西条市 HP
https://www.city.saijo.ehime.jp/soshiki/kanko/maturi2.html
さぬき豊浜ちょうさ祭
10月(毎年10月の第2金曜・土曜・日曜)
170年以上の歴史を有する華やかで勇壮な祭りです。原型は、祇園祭に登場する「かき山」のようであり、安土桃山時代に南蛮貿易で財をなした大阪、堺の豪商が作らせたものが次第に派手になり、文化、文政の頃、現在のように布団を積み重ねた形に変わってきたようです。
金糸、銀糸の刺繍に彩られた23台の太鼓台「ちょうさ」と呼ばれる金糸で飾られた豪華な山車が、五穀豊穣や豊漁などを祈願して賑やかに練り歩く、観音寺市豊浜町の秋祭りです。「ちょうさ」は一台新調すると5000~6000万円もするそうです。
2022年10月15日(土)開催のイベント一覧
南総里見まつり
10月第3土曜日
第1回が開催されたのは昭和57年で、城山公園の山頂にある市立博物館分館、通称「館山城」の完成を記念して開催されたのが始まりです。館山城は、天正19年(1591年)に里見義康が居城とし、その子里見忠義が慶長19年(1614年)に倉吉に移されるまでの24年間、里見氏の本拠地となりました。現在は、城山公園の山頂に八犬伝博物館として蘇っています。 名称が「南総里見まつり」となったのは1993年のことです。
「南総里見まつり」は、曲亭馬琴が南房総を舞台に描きあげた伝奇物語『南総里見八犬伝』のモデルとなった戦国大名里見氏の栄華を称え、里見水軍武者行列や戦国合戦絵巻が繰り広げられる秋の一大イベントです。大好評の「ご当地グルメ」では震災復興の応援として被災地宮城県から「気仙沼ホルモン」などが集まり、大変な賑わいとなります。
南房総花海街道(館山市経済観光部観光みなと課)
https://hanaumikaidou.com/archives/757
南総里見祭り実行委員会
https://tateyamacity.com/satomi/
島田大祭 帯まつり
3年に1度、10月中旬。2022年は開催年
3年に1度、10月中旬に開催される島田大祭。大井川鎮護や安産の神として信仰されている大井神社の祭りで、1695年(元禄8年)に神事祭式が定まり、初めて神輿が渡御(とぎょ)されてから令和元年で109回を数えました。当初の供奉の行列は、神輿の他に代官をはじめ宿役人、一般の宿民が続き、鹿島踊りや大奴もこの時代から加わっていました。
現在では一般に「帯まつり」の名で知られていますが、島田宿に嫁いできた女性が安産祈願を大井神社にお参りしたあと、宿場内に帯を披露していたものが、いつしかお嫁さんの代わりに大奴が金爛緞子の丸帯を太刀に掛けて練り歩くようになったことに由来しています。日本三奇祭に数えられています。
神嘗祭
10月15日~17日
神嘗祭は、伊勢神宮で最も古い由緒をもち、天皇陛下の大御心を体して、天照大御神に新穀を奉り収穫の感謝を捧げる祭典です。明治時代の改暦以前は9月に行われていましたが、現在は10月15日の興玉神祭から始まり、続いて御卜が行われます。御卜は祭主以下の神職が神嘗祭の奉仕に適うかをお伺いする儀式です。
年間1500回に及ぶ伊勢神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りが神嘗祭です。神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭りで、由貴大御饌と奉幣を中心として、興玉神祭、御卜、御神楽などの諸祭を行います。さらに附属のお祭りとして、春に神宮御園で行われる御園祭、神宮神田で行われる神田下種祭、秋の抜穂祭のほか、御酒殿祭、御塩殿祭、大祓があり、神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません。
灘のけんか祭り
毎年10月14日、15日
灘のけんか祭りは松原八幡神社の秋季例祭です。松原八幡神社の由緒は古く、天平宝字7年(763)葵卯4月11日九州豊前国宇佐より白雲が東にたなびき、松原沖の海底に毎夜ひかり輝くものがあり紫檀の霊木があがったのでお祀りしたことが最初です。その後、国司が神のお告げを夢に見て、御神体を現在の松原の地にお遷ししました。
「灘のけんか祭り」は、また「灘まつり」とか、「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれ、古めかしい神輿をぶつけ合う特殊な神事によって、全国の数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りであるといわれ、すでに戦前から播磨を代表する祭りとして知られていました。戦後は、この神輿練りのほか、絢爛たる屋台を盛大に練り競う勇壮豪華な屋台練りが人気を呼び、国内はもとより海外にまでその名を知られるようになりました。三基の神輿の激烈なぶっつけ合う様は壮絶です。
熊野速玉大社例大祭(神馬渡御式、御船祭)
10月15日、16日
熊野速玉大社の神(速玉神・夫須美神)は、史料の上では熊野三山の中で最も早く、766(天平神護02)年に現れています。1953年に現在の社殿が再建されています。北海道から沖縄まで日本国中に熊野神社が祀られ、その数は三千数百社以上に上がるといわれています
初日には神馬渡御式が行われ、2日目の御船祭は、神霊が御輿・神幸船で御旅所へ渡御する古儀の祭礼です。熊野川において9隻の早船による競漕が繰り広げられます。国の重要無形民俗文化財に指定されています。
西条まつり
10月
西条でだんじり祭りが行われるようになったのは、江戸時代に大阪のだんじりを見て、似たものを作ったのが最初と言われています。しかし真似たとはいえ、大阪のだんじりと西条のだんじりはかなり異なったものになっています。大阪のだんじりは車輪のついた台車を曳きまわすのに対して、西条のだんじりは神輿のように舁き棒で担ぎ上げます。
江戸時代から続く西条市の伝統的な秋祭りです。五穀豊穣を神に感謝する神事で、伊曽乃)神社、嘉母神社、石岡神社、飯積神社の4つの神社の例祭の総称です。市内の氏子各町に所属する百数十台の屋台が奉納され、その数は日本一ともいわれています。市民の大多数が祭りに参加するため、祭礼期間中は地元企業や学校が一斉に休みになったり、遠方に暮らす西条出身者も仕事を休んで帰省したりするなど、祭りは西条っ子の心に強く根付いています。祭りでは細工を凝らした屋台が列をなし、太鼓や鉦、人々の祭ばやしの声が町中に響き渡ります。
発祥の地コレクション
https://840.gnpp.jp/saijodanjirimatsuri/
西条市 HP
https://www.city.saijo.ehime.jp/soshiki/kanko/maturi2.html
さぬき豊浜ちょうさ祭
10月(毎年10月の第2金曜・土曜・日曜)
170年以上の歴史を有する華やかで勇壮な祭りです。原型は、祇園祭に登場する「かき山」のようであり、安土桃山時代に南蛮貿易で財をなした大阪、堺の豪商が作らせたものが次第に派手になり、文化、文政の頃、現在のように布団を積み重ねた形に変わってきたようです。
金糸、銀糸の刺繍に彩られた23台の太鼓台「ちょうさ」と呼ばれる金糸で飾られた豪華な山車が、五穀豊穣や豊漁などを祈願して賑やかに練り歩く、観音寺市豊浜町の秋祭りです。「ちょうさ」は一台新調すると5000~6000万円もするそうです。
2022年10月16日(日)開催のイベント一覧
神嘗祭
10月15日~17日
神嘗祭は、伊勢神宮で最も古い由緒をもち、天皇陛下の大御心を体して、天照大御神に新穀を奉り収穫の感謝を捧げる祭典です。明治時代の改暦以前は9月に行われていましたが、現在は10月15日の興玉神祭から始まり、続いて御卜が行われます。御卜は祭主以下の神職が神嘗祭の奉仕に適うかをお伺いする儀式です。
年間1500回に及ぶ伊勢神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りが神嘗祭です。神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭りで、由貴大御饌と奉幣を中心として、興玉神祭、御卜、御神楽などの諸祭を行います。さらに附属のお祭りとして、春に神宮御園で行われる御園祭、神宮神田で行われる神田下種祭、秋の抜穂祭のほか、御酒殿祭、御塩殿祭、大祓があり、神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません。
熊野速玉大社例大祭(神馬渡御式、御船祭)
10月15日、16日
熊野速玉大社の神(速玉神・夫須美神)は、史料の上では熊野三山の中で最も早く、766(天平神護02)年に現れています。1953年に現在の社殿が再建されています。北海道から沖縄まで日本国中に熊野神社が祀られ、その数は三千数百社以上に上がるといわれています
初日には神馬渡御式が行われ、2日目の御船祭は、神霊が御輿・神幸船で御旅所へ渡御する古儀の祭礼です。熊野川において9隻の早船による競漕が繰り広げられます。国の重要無形民俗文化財に指定されています。
西条まつり
10月
西条でだんじり祭りが行われるようになったのは、江戸時代に大阪のだんじりを見て、似たものを作ったのが最初と言われています。しかし真似たとはいえ、大阪のだんじりと西条のだんじりはかなり異なったものになっています。大阪のだんじりは車輪のついた台車を曳きまわすのに対して、西条のだんじりは神輿のように舁き棒で担ぎ上げます。
江戸時代から続く西条市の伝統的な秋祭りです。五穀豊穣を神に感謝する神事で、伊曽乃)神社、嘉母神社、石岡神社、飯積神社の4つの神社の例祭の総称です。市内の氏子各町に所属する百数十台の屋台が奉納され、その数は日本一ともいわれています。市民の大多数が祭りに参加するため、祭礼期間中は地元企業や学校が一斉に休みになったり、遠方に暮らす西条出身者も仕事を休んで帰省したりするなど、祭りは西条っ子の心に強く根付いています。祭りでは細工を凝らした屋台が列をなし、太鼓や鉦、人々の祭ばやしの声が町中に響き渡ります。
発祥の地コレクション
https://840.gnpp.jp/saijodanjirimatsuri/
西条市 HP
https://www.city.saijo.ehime.jp/soshiki/kanko/maturi2.html
さぬき豊浜ちょうさ祭
10月(毎年10月の第2金曜・土曜・日曜)
170年以上の歴史を有する華やかで勇壮な祭りです。原型は、祇園祭に登場する「かき山」のようであり、安土桃山時代に南蛮貿易で財をなした大阪、堺の豪商が作らせたものが次第に派手になり、文化、文政の頃、現在のように布団を積み重ねた形に変わってきたようです。
金糸、銀糸の刺繍に彩られた23台の太鼓台「ちょうさ」と呼ばれる金糸で飾られた豪華な山車が、五穀豊穣や豊漁などを祈願して賑やかに練り歩く、観音寺市豊浜町の秋祭りです。「ちょうさ」は一台新調すると5000~6000万円もするそうです。
新居浜太鼓祭り(にいはまたいこまつり)
毎年10月16日~18日(大生院地区は10月15日~17日)
太鼓台は神社の祭礼において練り出される山車の一種ですが、起こりがいつであるかはっきりわかっていません。地域の伝承によると、その起源は鎌倉時代、あるいは平安時代まで遡るといわれています。太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期、文政年間(1818~1830)のことで、その頃は「神輿太鼓」と書かれていることが多かったのですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。
太鼓台は明治中期以降から急速に大型化し現在の太鼓台と同じくらいの大きさになりました。飾り幕は縫いの発達とともに豪華に、また天幕も膨らみを持ったものを付けるようになりました。現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台のなかでも、150人余りの男衆で差し上げられ、澄んだ秋空に舞う新居浜太鼓台の姿は、その豪華絢爛さ、勇壮華麗なことから「男祭り」の異名をもち、毎年約20万人の観衆を酔わせて止まない魅力ある祭りとして、全国的にも知られるようになりました。
鹿児島の流鏑馬
毎年10月第3日曜日
日本における流鏑馬の起源は、白河天皇の御代、永長元年(1096年)に始めたと記録にあり、鎌倉初期の保元平治物語の中にも流鏑馬のことが出ています。四十九所神社を創建した伴兼行の孫、伴兼貞が長元9年(1036年)に肝付郡の弁済使になっていますが、高山で流鏑馬が始まったのはそれから100年位後になるようで、900年近い歴史があるとされています。
流鏑馬は鎌倉時代に始まり、国家安泰、五穀豊饒、悪疫退散を祈願する年占いです。全国的に成人の射手が多い流鏑馬ですが、肝付町で行われる流鏑馬の射手は中学生が務め、毎年変わります。8月の中旬に、中学2年生の生徒1名が射手として決定し、その後馬に乗るところから始まり、約1ヵ月の練習を経て本番を迎えます。狩衣装束にあやい笠を身にまとい、弓受けの儀により神の使いとなった射手は神馬とともに馬場を疾走します。約330メートルの馬場を3回駆け抜けながら、合計9本の矢を放ちます。引手のかけ声と共に駆け出し、矢が的に命中した音と馬の疾走する足音が共鳴した瞬間、神社の杜に大きな歓声が響きます。
2022年10月17日(月)開催のイベント一覧
神嘗祭
10月15日~17日
神嘗祭は、伊勢神宮で最も古い由緒をもち、天皇陛下の大御心を体して、天照大御神に新穀を奉り収穫の感謝を捧げる祭典です。明治時代の改暦以前は9月に行われていましたが、現在は10月15日の興玉神祭から始まり、続いて御卜が行われます。御卜は祭主以下の神職が神嘗祭の奉仕に適うかをお伺いする儀式です。
年間1500回に及ぶ伊勢神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りが神嘗祭です。神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭りで、由貴大御饌と奉幣を中心として、興玉神祭、御卜、御神楽などの諸祭を行います。さらに附属のお祭りとして、春に神宮御園で行われる御園祭、神宮神田で行われる神田下種祭、秋の抜穂祭のほか、御酒殿祭、御塩殿祭、大祓があり、神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません。
西条まつり
10月
西条でだんじり祭りが行われるようになったのは、江戸時代に大阪のだんじりを見て、似たものを作ったのが最初と言われています。しかし真似たとはいえ、大阪のだんじりと西条のだんじりはかなり異なったものになっています。大阪のだんじりは車輪のついた台車を曳きまわすのに対して、西条のだんじりは神輿のように舁き棒で担ぎ上げます。
江戸時代から続く西条市の伝統的な秋祭りです。五穀豊穣を神に感謝する神事で、伊曽乃)神社、嘉母神社、石岡神社、飯積神社の4つの神社の例祭の総称です。市内の氏子各町に所属する百数十台の屋台が奉納され、その数は日本一ともいわれています。市民の大多数が祭りに参加するため、祭礼期間中は地元企業や学校が一斉に休みになったり、遠方に暮らす西条出身者も仕事を休んで帰省したりするなど、祭りは西条っ子の心に強く根付いています。祭りでは細工を凝らした屋台が列をなし、太鼓や鉦、人々の祭ばやしの声が町中に響き渡ります。
発祥の地コレクション
https://840.gnpp.jp/saijodanjirimatsuri/
西条市 HP
https://www.city.saijo.ehime.jp/soshiki/kanko/maturi2.html
新居浜太鼓祭り (にいはまたいこまつり)
毎年10月16日~18日(大生院地区は10月15日~17日)
太鼓台は神社の祭礼において練り出される山車の一種ですが、起こりがいつであるかはっきりわかっていません。地域の伝承によると、その起源は鎌倉時代、あるいは平安時代まで遡るといわれています。太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期、文政年間(1818~1830)のことで、その頃は「神輿太鼓」と書かれていることが多かったのですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。
太鼓台は明治中期以降から急速に大型化し現在の太鼓台と同じくらいの大きさになりました。飾り幕は縫いの発達とともに豪華に、また天幕も膨らみを持ったものを付けるようになりました。現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台のなかでも、150人余りの男衆で差し上げられ、澄んだ秋空に舞う新居浜太鼓台の姿は、その豪華絢爛さ、勇壮華麗なことから「男祭り」の異名をもち、毎年約20万人の観衆を酔わせて止まない魅力ある祭りとして、全国的にも知られるようになりました。
2022年10月18日(火)開催のイベント一覧
新居浜太鼓祭り (にいはまたいこまつり)
毎年10月16日~18日(大生院地区は10月15日~17日)
太鼓台は神社の祭礼において練り出される山車の一種ですが、起こりがいつであるかはっきりわかっていません。地域の伝承によると、その起源は鎌倉時代、あるいは平安時代まで遡るといわれています。太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期、文政年間(1818~1830)のことで、その頃は「神輿太鼓」と書かれていることが多かったのですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。
太鼓台は明治中期以降から急速に大型化し現在の太鼓台と同じくらいの大きさになりました。飾り幕は縫いの発達とともに豪華に、また天幕も膨らみを持ったものを付けるようになりました。現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台のなかでも、150人余りの男衆で差し上げられ、澄んだ秋空に舞う新居浜太鼓台の姿は、その豪華絢爛さ、勇壮華麗なことから「男祭り」の異名をもち、毎年約20万人の観衆を酔わせて止まない魅力ある祭りとして、全国的にも知られるようになりました。
2022年10月19日(水)開催のイベント一覧
岩沼の獅子舞
毎年10月19日
元第六天と称し、元和7年(1621)初めて村祭りを催したと古書にあった岩沼の獅子舞は、毎年10月19日前後の土曜日、皇産霊(ムスビ)神社の祭礼に行われます。仮舞台を作り、囃子方、舞方等によって演じられ、神前に氏子安全、五穀豊穣、悪病退散の祈願を行い、横笛、太鼓、大小つづみ、鐘、ほら貝、拍子木などの囃子連に合わせて獅子舞が奉納されます。
氏子の安全、五穀豊穣、悪疫退散を祈願し、皇産霊(むすび)神社の祭礼に合わせて、奉納されます。踊りをするときに身につける衣装が、美しく目をひく伝統芸能です。
勝山喧嘩だんじり(勝山祭り)
10月19日、20日
1854年には御輿風のだんじり3台が出動し、祭りを盛り上げていたようです。明治後半に現在の馬車台に屋台を組む形となり、喧嘩だんじりもこの頃から大正にかけて行われるようになっていたといわれています。元来男の祭りでしたが、最近では同じ法被に身を包み祭りに華を添える女性が増えてきています。
毎年10月19・20日の2日間「勝山祭り」が開催されます。夜には若連によりひかれた山車が勇壮な「喧嘩だんじり」を行います。各地区ごとにだんじりが組まれ、「どおぉん」と迫力のある音とはやし立てる鐘と太鼓の音と勇ましい掛け声で盛り上がり、互いに激しくぶつかり合います。一年のうちで勝山が最も熱く賑わう祭りです。
勝山喧嘩だんじり(勝山祭り)
http://cms.top-page.jp/m/maniwa/1/18/
公益社団法人 岡山県観光連盟
https://www.okayama-kanko.jp/event/12692
2022年10月20日(木)開催のイベント一覧
勝山喧嘩だんじり(勝山祭り)
10月19日、20日
1854年には御輿風のだんじり3台が出動し、祭りを盛り上げていたようです。明治後半に現在の馬車台に屋台を組む形となり、喧嘩だんじりもこの頃から大正にかけて行われるようになっていたといわれています。元来男の祭りでしたが、最近では同じ法被に身を包み祭りに華を添える女性が増えてきています。
毎年10月19・20日の2日間「勝山祭り」が開催されます。夜には若連によりひかれた山車が勇壮な「喧嘩だんじり」を行います。各地区ごとにだんじりが組まれ、「どおぉん」と迫力のある音とはやし立てる鐘と太鼓の音と勇ましい掛け声で盛り上がり、互いに激しくぶつかり合います。一年のうちで勝山が最も熱く賑わう祭りです。
勝山喧嘩だんじり(勝山祭り)
http://cms.top-page.jp/m/maniwa/1/18/
公益社団法人 岡山県観光連盟
https://www.okayama-kanko.jp/event/12692
2022年10月22日(土)開催のイベント一覧
時代祭(平安神宮)
毎年10月22日
時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年紀念祭を奉祝する行事として、明治28年に始まりました。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。その意志は、京都の誕生日10月22日に「一目で京都の歴史と文化が理解できるものを」「京都をおいて他にはまねのできないものを」というもので、京都人の心意気と誇りがふんだんに織り込まれています。
時代祭は、毎年10月22日に行われる平安神宮の大祭で、京都が日本の首都として千有余年にわたって培ってきた伝統工芸技術の粋を、動く歴史風俗絵巻として内外に披露することを主眼としています。このため各時代行列に使用する衣裳や祭具の一つ一つが、厳密な時代考証をもとに作製された"本物"であるところにその特徴があります。維新勤王隊の奏する笛や太鼓の音色を先頭に、約2,000名・約2キロにわたる行列は順次、明治維新時代から平安京の造営された延暦時代にさかのぼり、歴史と伝統の都・京都三大祭の一つとして、京都の秋を代表する祭となっています。
鞍馬の火祭(由岐神社)
毎年10/22
天慶(938~947)に入り、都は大地震や平将門の乱(天慶の乱)と相次ぎの災いで世情不安となりました。天下泰平と万民幸福を祈念致し、朱雀天皇の詔により天慶3年(940)御所にお祀りされていた由岐大明神を都の北方にあたる鞍馬に地にお遷しされました。この御遷宮の時、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式により御勧請されました。その行列の長さは10町(1km)にもなったと言われています。この儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え遺し守って きたのが鞍馬の火祭の起源です。
22日午前9時、本殿にて例祭を執り行われ、続いて由岐大明神・八所大明神が2基の御神輿に御遷りになられ、鞍馬の各戸に積み重ねられた篝に一斉に点火され祭が始まります。幼少年が小松明を担いで練り歩き、次第に燃えさかる大松明を担いだ青年たちがこれに加わり、「サイレイ、サイリョウ」を繰り返して囃しながら各仲間の宿に出発の時刻などが伝達されます。その後、各鉾や鎧を着た武者が仲間の宿から出てくる頃、山門前では石段に大松明を立てた若者がひしめき合い一大壮観を呈します。
伊万里トンテントン祭り(伊万里くんち)(伊萬里神社)
10月19日(神殿祭)に合わせた土曜日、日曜日
伊万里トンテントン祭りは 文政12年(1829)、有田皿山代官が伊万里郷の各神社の祭礼の日を9月23日(旧暦)に改めさせたのがもとで、各神社の祭礼・神輿を競い、徐々に現在の合戦につながってきたのではないかと言われています。
伊萬里神社の御神幸祭で、市内の数ヶ所で統制のとれた勇壮な合戦を繰り広げます。ねじり鉢巻姿の血気盛んな伊万里っ子たちによって担ぎ出される「荒神輿」と「団車」が、「トン・テン・トン」と打ち鳴らす太鼓を合図に、双方激突し組み合う壮烈な喧嘩祭りは、全国でも類を見ないものです。祭り最後に行われる「川落し合戦」では,双方組合ったまま川に落ち、陸に早く引上げられた方が勝ちといわれています。
2022年10月23日(日)開催のイベント一覧
伊万里トンテントン祭り(伊万里くんち)(伊萬里神社)
10月19日(神殿祭)に合わせた土曜日、日曜日
伊万里トンテントン祭りは 文政12年(1829)、有田皿山代官が伊万里郷の各神社の祭礼の日を9月23日(旧暦)に改めさせたのがもとで、各神社の祭礼・神輿を競い、徐々に現在の合戦につながってきたのではないかと言われています。
伊萬里神社の御神幸祭で、市内の数ヶ所で統制のとれた勇壮な合戦を繰り広げます。ねじり鉢巻姿の血気盛んな伊万里っ子たちによって担ぎ出される「荒神輿」と「団車」が、「トン・テン・トン」と打ち鳴らす太鼓を合図に、双方激突し組み合う壮烈な喧嘩祭りは、全国でも類を見ないものです。祭り最後に行われる「川落し合戦」では,双方組合ったまま川に落ち、陸に早く引上げられた方が勝ちといわれています。
博多おくんち(櫛田神社)
毎年10月23日~24日
1200年前から櫛田神社で11月23日に行われていた「新嘗祭」を日程と名称を変更して、昭和28年から新たに始められたお祭りです。 長崎くんち(長崎県長崎市)や唐津くんち(佐賀県唐津市)と並ぶ日本三大くんちとされています。
博多おくんちは、福岡市櫛田神社の秋の例祭で、秋の豊穣に感謝するお祭りで、長崎・唐津と並んで、日本3大くんちと呼ばれています。櫛田神社での祭礼以外に、福岡市内では、柔道大会や相撲大会、千灯明等やの行事が行われ、福岡の秋のお祭りとなっている。祭前日の10月22日には、福岡市博多埠頭にある浜宮で浜宮祭・神輿清めが行われます。24日の御神幸パレードは、神輿の他に稚児行列、ブラスバンド、ミス博多を乗せたオープンカー等が櫛田神社を出発し、博多の繁華街を一巡します。
2022年10月24日(月)開催のイベント一覧
博多おくんち(櫛田神社)
毎年10月23日~24日
1200年前から櫛田神社で11月23日に行われていた「新嘗祭」を日程と名称を変更して、昭和28年から新たに始められたお祭りです。 長崎くんち(長崎県長崎市)や唐津くんち(佐賀県唐津市)と並ぶ日本三大くんちとされています。
博多おくんちは、福岡市櫛田神社の秋の例祭で、秋の豊穣に感謝するお祭りで、長崎・唐津と並んで、日本3大くんちと呼ばれています。櫛田神社での祭礼以外に、福岡市内では、柔道大会や相撲大会、千灯明等やの行事が行われ、福岡の秋のお祭りとなっている。祭前日の10月22日には、福岡市博多埠頭にある浜宮で浜宮祭・神輿清めが行われます。24日の御神幸パレードは、神輿の他に稚児行列、ブラスバンド、ミス博多を乗せたオープンカー等が櫛田神社を出発し、博多の繁華街を一巡します。
2022年10月29日(土)開催のイベント一覧
宮崎神宮大祭
10/26後の土日
当神宮の「御神幸祭」は、「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の大祭として、県民の多くに親しまされています。「神武さま」とは本来は宮﨑神宮の御祭神・神武天皇(神日本磐余彦天皇)のことですが、いつの頃から日向人の誇りや想いが親しみとなって、神武天皇のご偉業を称え、五穀豊穣を祝う、この御神幸祭自体を「神武さま」と称するようになりました。
宮﨑神宮の例祭は10月26日(本宮祭)、またご神幸祭は例祭後の土日とされています。特にご神幸祭は秋の宮崎を彩る大祭として多くの県民に親しまれています。ご神幸祭は、もともとは氏子区域を回る小規模なお祭りでしたが、明治40年の拡張工事を経て、同42年に今のような大掛かりな神輿渡御が斎行されるようになりました。今日ではミスシャンシャン馬やひょっとこ踊りなどの神賑行事も加わり、宮崎県民の熱意に支えられながら、時代の変遷と共に発展しています。
2022年10月30日(日)開催のイベント一覧
宮崎神宮大祭
10/26後の土日
当神宮の「御神幸祭」は、「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の大祭として、県民の多くに親しまされています。「神武さま」とは本来は宮﨑神宮の御祭神・神武天皇(神日本磐余彦天皇)のことですが、いつの頃から日向人の誇りや想いが親しみとなって、神武天皇のご偉業を称え、五穀豊穣を祝う、この御神幸祭自体を「神武さま」と称するようになりました。
宮﨑神宮の例祭は10月26日(本宮祭)、またご神幸祭は例祭後の土日とされています。特にご神幸祭は秋の宮崎を彩る大祭として多くの県民に親しまれています。ご神幸祭は、もともとは氏子区域を回る小規模なお祭りでしたが、明治40年の拡張工事を経て、同42年に今のような大掛かりな神輿渡御が斎行されるようになりました。今日ではミスシャンシャン馬やひょっとこ踊りなどの神賑行事も加わり、宮崎県民の熱意に支えられながら、時代の変遷と共に発展しています。
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー