11月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
29 | 30 | 31 |
1友引 ●● |
2先負 ●●● |
3仏滅 文化の日●●● |
4大安 ●● |
5赤口 ●● |
6先勝 ● |
7友引 ●● |
8先負 ●● |
9仏滅 ● |
10大安 ●● |
11赤口 酉の市 |
12先勝 |
13仏滅 ● |
14大安 |
15赤口 七五三 |
16先勝 ● |
17友引 |
18先負 |
19仏滅 |
20大安 |
21赤口 |
22先勝 ● |
23友引 勤労感謝の日●●● |
24先負 |
25仏滅 ●● |
26大安 ● |
27赤口 ● |
28先勝 ● |
29友引 |
30先負 |
1 | 2 |
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
北海道…●
東北…●
北関東…●
南関東・東京…●
中部…●
近畿…●
中国・四国…●
九州・沖縄…●
年中行事…■
2023年11月1日(水)開催のイベント一覧
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
http://www.gionhigashi.com/gion
ベッチャー祭
毎年11月1日、2日、3日
江戸時代後期、尾道に疫病が流行した際に尾道の町奉行・南部藤左衛門が各神社に病魔退散のお祓いを命じました。 吉備津彦神社(一宮神社)でも三日二夜の祈祷を行い、旧暦の10月18日には神輿行列で町内を巡りました。 この祭事がベッチャー祭の起源と言われています。ベタ・ソバ・ショーキーの三鬼神を先頭に神輿が町中を練り歩いたとしております。
ベッチャー祭は、尾道市民俗文化財に指定されている奇祭で、毎年11月1日・2日・3日に行われ、3日には「ベタ」、「ショーキ」、「ソバ」の面を付けた氏子たちと獅子が、神輿とともに市の中心街を練り歩き、子どもを見つけると追い回し、手にした「ささら」や「祝棒」で頭をたたいたり、体を突いたりします。「ささら」でたたかれると頭が良くなり、「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、また1年間の無病息災が約束されると言われています。
2023年11月2日(木)開催のイベント一覧
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
http://www.gionhigashi.com/gion
ベッチャー祭
毎年11月1日、2日、3日
江戸時代後期、尾道に疫病が流行した際に尾道の町奉行・南部藤左衛門が各神社に病魔退散のお祓いを命じました。 吉備津彦神社(一宮神社)でも三日二夜の祈祷を行い、旧暦の10月18日には神輿行列で町内を巡りました。 この祭事がベッチャー祭の起源と言われています。ベタ・ソバ・ショーキーの三鬼神を先頭に神輿が町中を練り歩いたとしております。
ベッチャー祭は、尾道市民俗文化財に指定されている奇祭で、毎年11月1日・2日・3日に行われ、3日には「ベタ」、「ショーキ」、「ソバ」の面を付けた氏子たちと獅子が、神輿とともに市の中心街を練り歩き、子どもを見つけると追い回し、手にした「ささら」や「祝棒」で頭をたたいたり、体を突いたりします。「ささら」でたたかれると頭が良くなり、「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、また1年間の無病息災が約束されると言われています。
おはら祭
毎年11月2日~3日
おはら祭は鹿児島市制施行60周年の記念として,1949年,戦後の街興しに燃える市民の中で生まれました。一時期は低調でしたが、1961年に現在の「踊り連」方式へと変わりました。徳島の阿波踊りを手本にし、町内会や職場グループなどが参加し、活性化しました。従来の市、商工会議所、南日本新聞社中心の商工振興策から「おはら祭振興会」主催の市民の祭りへと変わり、南九州最大の祭りとなりました。
鹿児島を代表する民謡「おはら節」や「鹿児島ハンヤ節」「渋谷音頭」にあわせて練り踊る「総踊り」を中心に、様々な催しが行われます。「夜まつり」では総踊り、おごじょ太鼓競演、かごしま親善大使任命式が、「本まつり」では総踊り、おごじょ太鼓競演、パレード・マーチング&伝統芸能、総踊り(踊り連コンテスト)、おごじょ太鼓競演、ダンス「オハラ21」が行われるほか、「YOU遊広場」は子供向けのイベントでにぎわいます。チームごとに色とりどりの衣装とまとった総踊りは圧巻!また、おはら祭りにあわせてライトアップした「花電車」が運行し、気分を盛り上げます。
2023年11月3日(金)開催の年中行事
2023年11月3日(金)開催のイベント一覧
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
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熊野古道絵巻行列
毎年11月3日
古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣しました。「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。田辺から熊野本宮に向かう中辺路、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路が、「熊野参詣道」として世界遺産に登録されています。
毎年11月3日に行われる「熊野古道絵巻行列」ではかつて「蟻の熊野詣」といわれた時代空間を平安時代行列により再現します。当日は、平安衣装をまとった行列が中辺路町高原地区の熊野古道をねり歩きます。
ベッチャー祭
毎年11月1日、2日、3日
江戸時代後期、尾道に疫病が流行した際に尾道の町奉行・南部藤左衛門が各神社に病魔退散のお祓いを命じました。 吉備津彦神社(一宮神社)でも三日二夜の祈祷を行い、旧暦の10月18日には神輿行列で町内を巡りました。 この祭事がベッチャー祭の起源と言われています。ベタ・ソバ・ショーキーの三鬼神を先頭に神輿が町中を練り歩いたとしております。
ベッチャー祭は、尾道市民俗文化財に指定されている奇祭で、毎年11月1日・2日・3日に行われ、3日には「ベタ」、「ショーキ」、「ソバ」の面を付けた氏子たちと獅子が、神輿とともに市の中心街を練り歩き、子どもを見つけると追い回し、手にした「ささら」や「祝棒」で頭をたたいたり、体を突いたりします。「ささら」でたたかれると頭が良くなり、「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、また1年間の無病息災が約束されると言われています。
おはら祭
毎年11月2日~3日
おはら祭は鹿児島市制施行60周年の記念として,1949年,戦後の街興しに燃える市民の中で生まれました。一時期は低調でしたが、1961年に現在の「踊り連」方式へと変わりました。徳島の阿波踊りを手本にし、町内会や職場グループなどが参加し、活性化しました。従来の市、商工会議所、南日本新聞社中心の商工振興策から「おはら祭振興会」主催の市民の祭りへと変わり、南九州最大の祭りとなりました。
鹿児島を代表する民謡「おはら節」や「鹿児島ハンヤ節」「渋谷音頭」にあわせて練り踊る「総踊り」を中心に、様々な催しが行われます。「夜まつり」では総踊り、おごじょ太鼓競演、かごしま親善大使任命式が、「本まつり」では総踊り、おごじょ太鼓競演、パレード・マーチング&伝統芸能、総踊り(踊り連コンテスト)、おごじょ太鼓競演、ダンス「オハラ21」が行われるほか、「YOU遊広場」は子供向けのイベントでにぎわいます。チームごとに色とりどりの衣装とまとった総踊りは圧巻!また、おはら祭りにあわせてライトアップした「花電車」が運行し、気分を盛り上げます。
琉球王朝祭首里
毎年11月3日
古式行列そのものの起源は、500年前の尚真王時代に、三司官の毛氏澤岻親方が中国より最上の金張りの駕籠「御轎(ウチュウ)」を購入して本格的に始められたといいます。
「琉球王朝祭り首里」の最大の呼び物ー古式行列は、王国時代に国の安泰と農作物の豊作を祈願するために、正月の三日、国王が馴染みの深い三つのお寺、すなわち近在の円覚寺、天王寺、天界寺を参詣する初行幸の儀式「国王御三ヶ寺参詣行列」を再現したものです。
2023年11月5日(日)開催のイベント一覧
土浦全国花火競技大会
11月第一土曜日
土浦全国花火競技大会は、大正14年、土浦市文京町にある神龍寺の24代住職であった故秋元梅峯師が、霞ヶ浦海軍航空隊と親交が深かったことなどから航空隊殉職者の慰霊と関東大震災後の不況で疲弊した土浦の経済を活性化するという趣旨で、私財を投じ霞ヶ浦湖畔で開催したのが始まりです。
土浦の花火大会は、「スターマイン日本一」を決める大会とも言われています。花火師たちは、多くの時間と労力を注ぎ込み、数百発の多種多様な花火を組み合わせた土浦仕様のスペシャルスターマインを持ち込んできます。テンポ良く絶妙なタイミングで打ち上がる精魂込めて作られた色とりどりの花火の迫力は圧巻で、観る人の心をとらえて離しません。
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
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2023年11月4日(土)開催のイベント一覧
浅草鷲神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
江戸の年中行事を記した「東都歳時記」には、酉の日・酉の祭で神社が賑うのは天保壬辰(1832)より凡そ六十余年以前とあり、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていたことがわかります。
十一月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が行われます。十一月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれます。以前は、酉の祭と呼ばれていましたが、次第に市の文字があてられてきました。酉の市(酉の祭)は、鷲神社御祭神の御神慮を伺い、御神恩に感謝して、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。
花園神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。
花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。商売繁盛の熊手を売る露店商のにぎやかな声は、師走を迎える街に欠かせない風物詩。毎年60万人もの人が訪れる市の日は花園神社名物の見世物小屋を観るチャンスでもあります。
大國魂神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
大國霊神社の起源は、第12代景行天皇41年(111年)5月5日に大神の託宣に依って造られたものとされます。出雲臣天穂日命の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられてから、代々の国造が奉仕してきました。酉の市ですが、すでに江戸時代から商人や水商売の人々に人気のある祭ではありましたが、農具や農作物も 売り出され、豊作祈願の思いを込めて農民の参拝者にも人気がありました。
酉の市は大國霊神社の境内にある大鷲神社の祭礼で、11月の酉の日に行われます。初酉を一の酉、 次を二の酉、3番目を三の酉といい、「三の酉がある年は、火事が多い」といった俗信もあります。大鷲神社はかつては武運長久の神として武士の間で信仰されていましたが、庶民の間では専ら開運の神として信仰を集めるようになりました。
金刀比羅大鷲神社 酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
安政6年(1859)に横浜が開港するにあたり、港崎遊郭の地に金刀比羅社を祀って守護神として商売繁盛を招来するよう、讃岐の象頭山(四国琴平町)から金毘羅大権現を勧請して祭祀しました。古くは、武将階級のみの祭りであった様ですが、この酉の市の祭事が商人や花街などの根強い開運守護神の信仰が深くなり、毎年11月の酉の日に盛んに斎行されるようになりました。
金刀比羅大鷲神社の御祭神は天之鳥船之命の御名から宝を鳥船(鳳凰、即ちおおとり)で、とり十二子の酉をあてられ、酉の市は正しくは鳥街・酉の市ともお酉様ともいって大鷲神社の例大祭です。お酉様の熊手は酉(鷲トリ)が取るに通じ取る熊手というので福運をかき集める縁起から喜ばれ、熊手に開運守りをつけ鷲掴みという語源から更に大鷲づかみという縁起にもとづいて一般参拝者に授与されています。
【公式】横浜市観光情報サイト - Yokohama Official Visitors' Guide
https://www.welcome.city.yokohama.jp/eventinfo/ev_detail.php?bid=yw4385
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
http://www.gionhigashi.com/gion
2023年11月6日(月)開催のイベント一覧
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
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祇園東歌舞会
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2023年11月25日(土)開催のイベント一覧
こども強飯式
11月25日
日光市七里にある生岡神社に神様を祭る儀式として昔から伝えられている「お飯食の案内もん」「春駒」「強飯式」の3つの儀式を「生岡神社強飯式」と言います。この「強飯式」は,子供が演じるので「子供強飯式」とも呼ばれています。毎年11月25日に生岡神社で、3つの儀式が3回くり返して行われます。同神社はもともと寺院でしたが、明治時代の神仏分離令で神社となったため僧侶による強飯式ができなくなり、地元の青年が復活、次第に山伏役らの年齢が下がっていったのが子供強飯式の由来とされます。
小学5、6年の児童が山伏と、山伏に従い荷物を背負う「強力」を演じ、ほら貝を合図に登場します。強飯頂戴人に対し、「ありがたい山海の珍味を残さず食え」「一粒も残してはならん」と命じ、去っていく儀式を繰り返します。子供強飯式に参加した頂戴人や参列した人々には、七難即滅・七福即生、家運長久などの御利益があると言われています。
日光旅ナビ(日光市観光協会公式サイト)
http://www.nikko-kankou.org/
産経新聞2014年11月26日付 地方 栃木 関東
「小学生が伝統神事に挑戦 栃木・生岡神社で子供強飯式」
https://www.sankei.com/article/20141126-7XKN3ZWHJJNZHFW2QCUXQU67KI/
一條大祭(一條神社)
11月下旬の3日間
一條大祭は文久2年(1862年)、土佐藩の幡多郡奉行らにより幡多郡総鎮守として社殿が造営され、一條神社の建立が行われて以来、盛大に行われている例大祭です。神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、京都の下鴨神社からいただいたご神火による提灯行列など三日間さまざまな行事がおこなわれております。町は数万人の人出で大いに賑わいます。現在の社殿は、昭和19(1944)年の建立されたものです。
2023年11月7日(火)開催のイベント一覧
保呂羽山の霜月神楽
11月7日~8日
霜月神楽は、保呂羽山にある「波宇志別(ハウシワケノ)神社」に伝わる神事です。波宇志別神社は天平宝字元年(757年)の創建と伝えられ1200年以上の歴史があるといわれています。神に今年の収穫を感謝し、来る年へ五穀豊穣を祈るものです。
神楽の体系としては湯立神楽に区分され、近郷の神官が祭主の神殿に集まり夜を徹して神楽を行います。神楽は三十三番の神事で構成され、神子舞いである保呂羽山舞いでは、神子が舞の途中で託宣(神の言葉)を告げる場面があり、巫女の原型ともいえる女官(神子)の姿を伝えています。
横手市ホームページ
https://www.city.yokote.lg.jp/kanko/1004035/1005097.html
秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト
(秋田県あきた未来創造部地域づくり推進課)
https://common3.pref.akita.lg.jp/genkimura/sp/village/detail.html?cid=34&vid=1&id=1545
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
http://www.gionhigashi.com/gion
2023年11月8日(水)開催のイベント一覧
保呂羽山の霜月神楽
11月7日~8日
霜月神楽は、保呂羽山にある「波宇志別(ハウシワケノ)神社」に伝わる神事です。波宇志別神社は天平宝字元年(757年)の創建と伝えられ1200年以上の歴史があるといわれています。神に今年の収穫を感謝し、来る年へ五穀豊穣を祈るものです。
神楽の体系としては湯立神楽に区分され、近郷の神官が祭主の神殿に集まり夜を徹して神楽を行います。神楽は三十三番の神事で構成され、神子舞いである保呂羽山舞いでは、神子が舞の途中で託宣(神の言葉)を告げる場面があり、巫女の原型ともいえる女官(神子)の姿を伝えています。
横手市ホームページ
https://www.city.yokote.lg.jp/kanko/1004035/1005097.html
秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト
(秋田県あきた未来創造部地域づくり推進課)
https://common3.pref.akita.lg.jp/genkimura/sp/village/detail.html?cid=34&vid=1&id=1545
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
http://www.gionhigashi.com/gion
2023年11月9日(木)開催のイベント一覧
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
http://www.gionhigashi.com/gion
2023年11月10日(金)開催のイベント一覧
祇園をどり
毎年11月1日~10日
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。
祇園をどりは毎年11月1日から10日まで祇園会館で行われる唯一秋に上演される花街の公演です。京都五花街の一つである「祇園東」の芸舞妓総出演による舞踊公演で、京都の秋の恒例行事として国内外から好評を得ています。
毎日新聞2017.9.1 芸舞妓はんなり 祇園をどりパンフレット撮影
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/227000c
祇園東歌舞会
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金刀比羅宮 紅葉祭
毎年11月10日
金刀比羅宮は、香川県琴平町の象頭山に鎮座する神社です。金刀比羅宮の歴史は古く、由緒についてはいくつかの説があります。大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祀って琴平神社になったという説や、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものです。門前町から御本宮までの785段の石段、石段1,368段目の山中には、金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命をお祭りする厳魂神社(奥社)が鎮座します。
春の桜花祭と共に金刀比羅宮の優雅な特殊神事です。神職・巫女の行列が伶人の奏楽を伴い大門から御本宮まで参進、御本宮での祭典では、紅葉の小枝を飾った神饌を奉り、斎主が祝詞を奏上、引き続き神職が舞を奏進します。祭典の後、緑黛殿での直会(なおらい)において「今様」を奏上。明治15年頃、琴平明道学校教授であった国学者 水野秋彦の作歌を今様歌とし、以来、桜花祭と紅葉祭で奏するようになりました。
2023年11月11日(土)開催の年中行事
2023年11月13日(月)開催のイベント一覧
松明あかし
11月13日
430年以上前に須賀川城が伊達政宗の攻略を受けた際に、人々が城を守るため手に手に松明を持って集まったことに由来します。その後は戦士した人々の霊を弔うために続けられてきました。
「松明あかし」は430年以上続く日本三大火祭りのひとつです。巨大な松明の重さは3トン、長さは10メートル。30本ある巨大松明をそれぞれ150人の若衆が担いて街を練り歩き、五老山に立てて火を灯します。勇壮な松明太鼓が鳴り響くなか、30本の松明に火がつけられ、山肌は真っ赤な炎に包まれます。晩秋の夜空を焦がす松明の火は大迫力です。
2023年11月15日(水)開催の年中行事
2023年11月16日(木)開催のイベント一覧
浅草鷲神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
江戸の年中行事を記した「東都歳時記」には、酉の日・酉の祭で神社が賑うのは天保壬辰(1832)より凡そ六十余年以前とあり、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていたことがわかります。
十一月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が行われます。十一月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれます。以前は、酉の祭と呼ばれていましたが、次第に市の文字があてられてきました。酉の市(酉の祭)は、鷲神社御祭神の御神慮を伺い、御神恩に感謝して、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。
花園神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。
花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。商売繁盛の熊手を売る露店商のにぎやかな声は、師走を迎える街に欠かせない風物詩。毎年60万人もの人が訪れる市の日は花園神社名物の見世物小屋を観るチャンスでもあります。
大國魂神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
大國霊神社の起源は、第12代景行天皇41年(111年)5月5日に大神の託宣に依って造られたものとされます。出雲臣天穂日命の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられてから、代々の国造が奉仕してきました。酉の市ですが、すでに江戸時代から商人や水商売の人々に人気のある祭ではありましたが、農具や農作物も 売り出され、豊作祈願の思いを込めて農民の参拝者にも人気がありました。
酉の市は大國霊神社の境内にある大鷲神社の祭礼で、11月の酉の日に行われます。初酉を一の酉、 次を二の酉、3番目を三の酉といい、「三の酉がある年は、火事が多い」といった俗信もあります。大鷲神社はかつては武運長久の神として武士の間で信仰されていましたが、庶民の間では専ら開運の神として信仰を集めるようになりました。
金刀比羅大鷲神社 酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
安政6年(1859)に横浜が開港するにあたり、港崎遊郭の地に金刀比羅社を祀って守護神として商売繁盛を招来するよう、讃岐の象頭山(四国琴平町)から金毘羅大権現を勧請して祭祀しました。古くは、武将階級のみの祭りであった様ですが、この酉の市の祭事が商人や花街などの根強い開運守護神の信仰が深くなり、毎年11月の酉の日に盛んに斎行されるようになりました。
金刀比羅大鷲神社の御祭神は天之鳥船之命の御名から宝を鳥船(鳳凰、即ちおおとり)で、とり十二子の酉をあてられ、酉の市は正しくは鳥街・酉の市ともお酉様ともいって大鷲神社の例大祭です。お酉様の熊手は酉(鷲トリ)が取るに通じ取る熊手というので福運をかき集める縁起から喜ばれ、熊手に開運守りをつけ鷲掴みという語源から更に大鷲づかみという縁起にもとづいて一般参拝者に授与されています。
【公式】横浜市観光情報サイト - Yokohama Official Visitors' Guide
https://www.welcome.city.yokohama.jp/eventinfo/ev_detail.php?bid=yw4385
2023年11月28日(火)開催のイベント一覧
浅草鷲神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
江戸の年中行事を記した「東都歳時記」には、酉の日・酉の祭で神社が賑うのは天保壬辰(1832)より凡そ六十余年以前とあり、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていたことがわかります。
十一月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が行われます。十一月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれます。以前は、酉の祭と呼ばれていましたが、次第に市の文字があてられてきました。酉の市(酉の祭)は、鷲神社御祭神の御神慮を伺い、御神恩に感謝して、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。
花園神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。
花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。商売繁盛の熊手を売る露店商のにぎやかな声は、師走を迎える街に欠かせない風物詩。毎年60万人もの人が訪れる市の日は花園神社名物の見世物小屋を観るチャンスでもあります。
大國魂神社酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
大國霊神社の起源は、第12代景行天皇41年(111年)5月5日に大神の託宣に依って造られたものとされます。出雲臣天穂日命の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられてから、代々の国造が奉仕してきました。酉の市ですが、すでに江戸時代から商人や水商売の人々に人気のある祭ではありましたが、農具や農作物も 売り出され、豊作祈願の思いを込めて農民の参拝者にも人気がありました。
酉の市は大國霊神社の境内にある大鷲神社の祭礼で、11月の酉の日に行われます。初酉を一の酉、 次を二の酉、3番目を三の酉といい、「三の酉がある年は、火事が多い」といった俗信もあります。大鷲神社はかつては武運長久の神として武士の間で信仰されていましたが、庶民の間では専ら開運の神として信仰を集めるようになりました。
金刀比羅大鷲神社 酉の市
11月4日一の酉・16日二の酉・
28日三の酉
安政6年(1859)に横浜が開港するにあたり、港崎遊郭の地に金刀比羅社を祀って守護神として商売繁盛を招来するよう、讃岐の象頭山(四国琴平町)から金毘羅大権現を勧請して祭祀しました。古くは、武将階級のみの祭りであった様ですが、この酉の市の祭事が商人や花街などの根強い開運守護神の信仰が深くなり、毎年11月の酉の日に盛んに斎行されるようになりました。
金刀比羅大鷲神社の御祭神は天之鳥船之命の御名から宝を鳥船(鳳凰、即ちおおとり)で、とり十二子の酉をあてられ、酉の市は正しくは鳥街・酉の市ともお酉様ともいって大鷲神社の例大祭です。お酉様の熊手は酉(鷲トリ)が取るに通じ取る熊手というので福運をかき集める縁起から喜ばれ、熊手に開運守りをつけ鷲掴みという語源から更に大鷲づかみという縁起にもとづいて一般参拝者に授与されています。
【公式】横浜市観光情報サイト - Yokohama Official Visitors' Guide
https://www.welcome.city.yokohama.jp/eventinfo/ev_detail.php?bid=yw4385
2023年11月22日(水)開催のイベント一覧
八代妙見祭 (八代神社)
毎年11月22日、23日
妙見祭は、早くは中世に八代を支配した相良氏の『八代日記』永正12年(1515)の条に、行列を伴う祭礼としてその記述がみられますが、近世になり、寛永9年(1632)に細川忠興(三斎)が八代に入部すると、妙見宮は細川家の守護社となり、その祭礼も隆盛しました。元禄年間(1688~1703)には、財力を蓄えた城下町の商人層が祭礼に参加して祭りの風流化が進みましだ。行事の期日は、かつては旧暦10月でしたが、明治5年の改暦以後、新暦で行われるようになり、1993年から現行の期日になり、現在に至っています。
八代妙見祭の神幸行事は、毎年11月22日(お下り)と11月23日(お上り)に開催されます。熊本県八代市にある八代神社の祭礼に行われる行事で、北極星と北斗七星を神格化した妙見神に対する信仰に基づき、神社の例祭は妙見祭と呼ばれています。神幸行事のメインとなる11月23日には、獅子や奴、木馬、笠鉾、亀蛇など多彩な行列が神輿に供奉して賑やかに市内を練り歩きます。
神話の高千穂夜神楽まつり
(高千穂神社)
毎年11月22日、23日
高千穂の夜神楽は日本神話の天岩戸神話の中で天照大御神が天岩戸に籠もったさい、その前で天鈿女命が舞を舞ったことが起源だと伝えられています。平安末期から鎌倉時代かけて成立したと言われている高千穂の夜神楽は約800年ほど歴史のあるものです。江戸時代の末頃まで高千穂神社の神職がほしゃとして伝承し、神社で奉納してきたと考えられています。今日のような33番に整えられ、高千穂では地区ごとに代々誇りをもって神楽を伝え舞いつないできました。
この高千穂で秋の収穫が終わると、高千穂の村では氏神様のお祭りが始まります。高千穂の村まつりは秋の収穫への感謝と翌年の五穀豊穣を祈願して、氏神様を神楽宿と呼ばれる民家や、公民館などにお招きして、夜を徹して33番の神楽を奉納します。昭和53年に「高千穂の夜神楽」として国の重要無形民俗文化財の指定を受けており、神楽を愛し神々への信仰を失わなかった高千穂の里人によって守られてきた伝統芸能です。
2023年11月23日(木)開催の年中行事
勤労感謝の日
(きんろうかんしゃのひ)
11月23日
勤労感謝の日は、「国民の祝日」の一つであり、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とされています。戦前の新嘗祭を引き継ぐ行事です。
2023年11月23日(木)開催のイベント一覧
どぶろく祭り(大森神社)
毎年11月23日
大森神社の例大祭は「どぶろく祭り」と呼ばれています。大森神社は育生町の尾川・長井・粉所地区の氏神で、鎌倉時代初期の建保元年(1213年)、地元の南 太夫が奈良・春日神社に詣でた際に神鏡を持ち帰って祀ったのが始まりと伝えられています。祭神は天児屋命。神明造りの神社が多い この地域の中では珍しく、本殿は古式を残す1間社の「春日造り」です。
大森神社では、毎年行われる例大祭に醸造した“どぶろく”を用います。神事に用いられた“どぶろく”は、参拝者へふるまわれて、杉木立ちと清流に囲まれた境内はほろ酔い気分に包まれます。米の豊作を神に感謝し、来年の五穀豊穣を祈って行われる祭礼用のどぶろくは、例祭の1ヶ月 前から仕込みが始まります。仕込み以後は、1日3回温度を調べて例祭まで大切に保存されます。祭礼用のお神酒としてどぶろくの醸造を認められているのは伊勢神宮や飛騨・白川郷など東海地方ではあまり例がありません。
天神祭(古熊神社)
毎年11月23日
山口天神祭とは、古熊神社の御神幸祭及び例祭、そしてそれに付随する様々な祭典の総称です。応安6年(1373)の御鎮座以来続けられており、約650年の伝統があります。古熊神社の主祭神は菅原道真公、配祀神として子どもの菅原福部童子を祀っています。父の元へ向かう福部童子の病気平癒のために掛け軸を送ったとされています。
このお祭りの目玉はなんといっても御神幸(ごじんこう)行列。昔から伝承される古の出で立ちをした人々が踊りながら、山口商店街を中心に、山口の町を練り歩きます。お祭りとしては、格式・伝統・世俗の三位一体になった素晴らしいお祭りで、一見の価値があります。餅まきもあります。
八代妙見祭 (八代神社)
毎年11月22日、23日
妙見祭は、早くは中世に八代を支配した相良氏の『八代日記』永正12年(1515)の条に、行列を伴う祭礼としてその記述がみられますが、近世になり、寛永9年(1632)に細川忠興(三斎)が八代に入部すると、妙見宮は細川家の守護社となり、その祭礼も隆盛しました。元禄年間(1688~1703)には、財力を蓄えた城下町の商人層が祭礼に参加して祭りの風流化が進みましだ。行事の期日は、かつては旧暦10月でしたが、明治5年の改暦以後、新暦で行われるようになり、1993年から現行の期日になり、現在に至っています。
八代妙見祭の神幸行事は、毎年11月22日(お下り)と11月23日(お上り)に開催されます。熊本県八代市にある八代神社の祭礼に行われる行事で、北極星と北斗七星を神格化した妙見神に対する信仰に基づき、神社の例祭は妙見祭と呼ばれています。神幸行事のメインとなる11月23日には、獅子や奴、木馬、笠鉾、亀蛇など多彩な行列が神輿に供奉して賑やかに市内を練り歩きます。
神話の高千穂夜神楽まつり
(高千穂神社)
毎年11月22日、23日
高千穂の夜神楽は日本神話の天岩戸神話の中で天照大御神が天岩戸に籠もったさい、その前で天鈿女命が舞を舞ったことが起源だと伝えられています。平安末期から鎌倉時代かけて成立したと言われている高千穂の夜神楽は約800年ほど歴史のあるものです。江戸時代の末頃まで高千穂神社の神職がほしゃとして伝承し、神社で奉納してきたと考えられています。今日のような33番に整えられ、高千穂では地区ごとに代々誇りをもって神楽を伝え舞いつないできました。
この高千穂で秋の収穫が終わると、高千穂の村では氏神様のお祭りが始まります。高千穂の村まつりは秋の収穫への感謝と翌年の五穀豊穣を祈願して、氏神様を神楽宿と呼ばれる民家や、公民館などにお招きして、夜を徹して33番の神楽を奉納します。昭和53年に「高千穂の夜神楽」として国の重要無形民俗文化財の指定を受けており、神楽を愛し神々への信仰を失わなかった高千穂の里人によって守られてきた伝統芸能です。
2023年11月26日(日)開催のイベント一覧
防府天満宮 御神幸祭(裸坊祭)
毎年11月の第4土曜日
西暦903年(延喜3年 平安時代)、菅原道真公は「無実の罪」によりに左遷された太宰府の地で薨去されました。それからおよそ100年を経た西暦1004年(寛弘元年 平安時代)、時の一条天皇より勅使が菅原道真公最後の寄港地、防府天満宮に使わされ、勅使降祭(お御霊を慰める祭典)が斎行され、初めて天皇から「無実の罪」が奏上されました。防府天満宮 御神幸祭はこの勅使降祭を起源とし、道真公に「無実の知らせ」を伝えるお祭りとして連綿と受け継がれており、崇敬の源となる最も重要な神事です。江戸時代後期になって一般民衆も奉仕を熱望するようになり、身の潔白を示すことで供奉を許さようになりました。民衆は潔白の証として佐波川の冷水で身を清め、そのままの姿で奉仕しました。その姿から裸坊と呼ばれるようになり、御神幸祭のことを裸坊祭とも称するようになりました。
菅原道真公は「無実の罪」により失意のうちに太宰府で薨去されました。防府天満宮の御神幸祭は太宰府よりここ防府に遷り留まられた道真公のお御霊に、毎年毎年「無実の知らせ」をお伝えし御心をお慰めするため、縁深い勝間の浦まで渡御する壮大なお祭りです。毎年11月の第4土曜日、18時に防府天満宮の拝殿正面の扉が開かれると、数百人の裸坊が一斉に拝殿になだれ込み、「兄弟わっしょい」の掛声と共に、境内は一気に熱気を帯びます。
防府天満宮
https://www.hofutenmangu.com/1004
一般社団法人防府観光コンベンション協会
https://visit-hofu.jp/events/11/hadakabou
一條大祭(一條神社)
11月下旬の3日間
一條大祭は文久2年(1862年)、土佐藩の幡多郡奉行らにより幡多郡総鎮守として社殿が造営され、一條神社の建立が行われて以来、盛大に行われている例大祭です。神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、京都の下鴨神社からいただいたご神火による提灯行列など三日間さまざまな行事がおこなわれております。町は数万人の人出で大いに賑わいます。現在の社殿は、昭和19(1944)年の建立されたものです。
2023年11月27日(月)開催のイベント一覧
一條大祭(一條神社)
11月下旬の3日間
一條大祭は文久2年(1862年)、土佐藩の幡多郡奉行らにより幡多郡総鎮守として社殿が造営され、一條神社の建立が行われて以来、盛大に行われている例大祭です。神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、京都の下鴨神社からいただいたご神火による提灯行列など三日間さまざまな行事がおこなわれております。町は数万人の人出で大いに賑わいます。現在の社殿は、昭和19(1944)年の建立されたものです。
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー