1月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
31 |
1赤口 正月 |
2先勝 |
3友引 |
4先負 |
5仏滅 |
6大安 ● |
7赤口 七草粥 ●●● |
8先勝 成人の日/成人式 |
9友引 ●● |
10先負 ● |
11赤口 鏡開き ● |
12先勝 |
13友引 ● |
14先負 左義長(どんど焼き) ●●● |
15仏滅 小正月 左義長(どんど焼き) ●●● |
16大安 |
17赤口 |
18先勝 |
19友引 |
20先負 ● |
21仏滅 |
22大安 |
23赤口 |
24先勝 |
25友引 |
26先負 |
27仏滅 |
28大安 ● |
29赤口 ● |
30先勝 ● |
31友引 ● |
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2 |
3 |
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
北海道…●
東北…●
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九州・沖縄…●
年中行事…■
2024年1月1日(月)開催の年中行事
2024年1月6日(土)開催のイベント一覧
少林山七草大祭だるま市
1月6日~7日
今から200年ほど前、天明3年に浅間山の大噴火などの天変地異が多く起こり、大飢饉となってしまいました。この惨状を見かね、生活の苦しかった付近の農民救済のため9代目の住職東嶽和尚は、開山心越禅師の画かれた「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫り、張り子のだるまの作り方を豊岡村の山縣友五郎に伝授しました。そして正月七草大祭の縁日に掛け声勇ましく売られるようになったのが縁起だるまの始まりです。
まゆ毛は鶴が向かい合い、鼻から口ひげは亀が向かい合った鶴亀の顔で、顔の両側には家内安全や商売繁盛などの願いごとが記され、お腹には大きく福入りと書かれているため、縁起がいいことから縁起だるまと呼ばれています。達磨寺では近隣のだるま屋さんが精魂込めて作り上げる縁起だるまをさらに祈願をして御札を張り、授与品として授与しています。
2024年1月7日(日)開催の年中行事
七草粥
(ななくさがゆ)
1月7日
正月7日に「七草粥」を食べる習慣です。五節句のうち一番最初の「人日の節句」にあたる日で、七草は早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うといわれ、生命力に満ちた七草粥を食べると病気にならないと言われ、無病息災を祈念しました。粥に入れる春の七草は、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな(カブ)・すずしろ(ダイコン)です。
2024年1月7日(日)開催のイベント一覧
七日堂裸まいり(福満虚空藏菩薩圓藏寺)
1月7日
この地は不作や疫病に長く悩まされていましたが、虚空蔵尊のお告げを受けた弥生姫が、龍神から如意宝珠を借り受けることで悪病は退散しました。しかし、数年後の1月7日の夜に現れた龍神を信者たちは追い返すことに成功しました。その時の団結の尊さを今に伝えています。
午後8時30分の一番鐘を合図に、下帯一つの男衆が菊光堂を目指して113の石段を駆け上がり、大鰐口から下がった麻縄によじ登ります。民衆の力で只見川に凄む竜神を追い払ったという伝説に由来し、極寒の中での奇祭として有名で、大勢の見物客が訪れます。
少林山七草大祭だるま市
1月6日~7日
今から200年ほど前、天明3年に浅間山の大噴火などの天変地異が多く起こり、大飢饉となってしまいました。この惨状を見かね、生活の苦しかった付近の農民救済のため9代目の住職東嶽和尚は、開山心越禅師の画かれた「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫り、張り子のだるまの作り方を豊岡村の山縣友五郎に伝授しました。そして正月七草大祭の縁日に掛け声勇ましく売られるようになったのが縁起だるまの始まりです。
まゆ毛は鶴が向かい合い、鼻から口ひげは亀が向かい合った鶴亀の顔で、顔の両側には家内安全や商売繁盛などの願いごとが記され、お腹には大きく福入りと書かれているため、縁起がいいことから縁起だるまと呼ばれています。達磨寺では近隣のだるま屋さんが精魂込めて作り上げる縁起だるまをさらに祈願をして御札を張り、授与品として授与しています。
大善寺玉垂宮の鬼夜
1月7日
鬼夜は、仁徳天皇五六年(368)一月七日藤大臣(玉垂命)が、勅命により当地を荒し人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われています。大善寺玉垂宮の創建についてはよく分かっていませんが、景行天皇の皇子国乳別皇子を始祖とする水沼君が当地を治められたとき、その祖神を祀ったのが玉垂宮の前身と考えられています。
毎年一月七日の夜に行う追儺の祭事で、1600年余りの伝統があり、松明六本が境内を巡る火祭りです。1944 年には国の重要無形民俗文化財に指定され、日本三大火祭りの一つに数えられています。見どころは、夜の行事を飾る「大松明廻し」です。直径約1メートル、長さ約13メートル、重さ約1.2トンの「日本一」といわれる大松明6本が、裸の若者たちによって支えられます。紅蓮の炎を上げて燃え上がる光景は圧巻です。火の粉がかかると難を逃れるといわれています。
大宰府天満宮 鬼すべ神事/鶯替え神事
1月7日
「鷽替え神事」の由来ははっきりしないものの、「知らないうちについてしまった嘘を、天神さまの誠心に替える」という意味が込められています。「鬼すべ神事」は、寛和2年(986)道真公の曾孫にあたる大宰大弐 菅原輔正によって始められたと伝えられています。氏子奉仕者約300名が、角を付けた「鬼係」、鬼を守る「鬼敬語」、鬼退治をする「燻手(すべて)」の三役に分かれ、鬼退治を演じます。この神事で燃え残った鬼すべ堂の板壁を集まった人が持ち帰って火除けのお守りとする習慣があります。
「鷽替え神事」と「鬼すべ神事」は同じ日に続けて行われます。「鷽替え神事」は、参加者が木彫りの鷽を交換し一年間の幸福を祈念する当宮の特殊神事で、どなたでも参加できます。「鬼すべ神事」は、その年の災難消除や開運招福を願い、地元氏子会が中心となって行われる勇壮な火祭りです。
2024年1月8日(月)開催の年中行事
2024年1月9日(火)開催のイベント一覧
前橋初市まつり(だるま市)
1月9日
初市まつりは、六斎市として毎月4と9の日に開かれた日用雑貨や生糸の市が起源といわれています。厩橋(現在の前橋)城主、酒井重忠候の時代(1600年代初め)から続く伝統ある行事で、別名だるま市とも呼ばれます。
通称「だるま市」の名で親しまれ、前橋の新春の風物詩となっています。この初市まつりは、古だるまを燃やす「だるま供養」で幕を開け、「市神様」の渡御(とぎょ)へと続きます。国道50号線(本町通り)にはだるまや縁起物などの市(いち)が軒を連ね、だるまを買い求める人々で賑わいます。
前橋市
https://www.city.maebashi.gunma.jp/index.html
公益財団法人前橋市まちづくり公社
https://www.maebashi-cc.or.jp/suishinka/
今宮戎神社 十日戎
1月9、10、11日
豊臣時代の頃になると庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、同時期には豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。
関西で会社や商店が本腰を入れて営業を始めるこの時期に合わせて、商売繁盛、社運隆昌を願って行われる行事です。多くの参拝客が福笹や縁起物を求めて訪れます。本殿脇で配布される福笹に福娘さんから子宝(縁起物)をつけてもらうことができます。
十日えびす 西宮神社
1月9、10、11日
西宮のえびす様は、古くは茅渟海と云われた大阪湾の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、西宮に遷し祭られたのが起源と伝えられています。鎮座の年代は明らかではありませんが、えびすの名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。
十日えびすの準備は一月八日に卸売市場の若者の威勢のよい掛け声とともに奉納される大マグロで整います。九日の「宵えびす」には、有馬温泉の芸妓さんによる「献湯式(けんとうしき)」、 「宵宮祭(よいみやさい)」が行われ、深夜十二時にすべての神門が閉ざされ「居籠」に入ります。居籠とは大祭を行う前に身を清め、静寂の時を過す時間を持つことで、 十日午前四時の「十日えびす大祭」を厳粛裡に執り行うことが出来ます。大祭終了後の午前六時を期して表大門(赤門)を開き、恒例の「開門神事福男選び」を行います。そして境内は十日の「本えびす」から十一日の「残り福」まで、福を求める参拝者であふれます。
2024年1月10日(水)開催のイベント一覧
今宮戎神社 十日戎
1月9、10、11日
豊臣時代の頃になると庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、同時期には豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。
関西で会社や商店が本腰を入れて営業を始めるこの時期に合わせて、商売繁盛、社運隆昌を願って行われる行事です。多くの参拝客が福笹や縁起物を求めて訪れます。本殿脇で配布される福笹に福娘さんから子宝(縁起物)をつけてもらうことができます。
十日えびす 西宮神社
1月9、10、11日
西宮のえびす様は、古くは茅渟海と云われた大阪湾の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、西宮に遷し祭られたのが起源と伝えられています。鎮座の年代は明らかではありませんが、えびすの名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。
十日えびすの準備は一月八日に卸売市場の若者の威勢のよい掛け声とともに奉納される大マグロで整います。九日の「宵えびす」には、有馬温泉の芸妓さんによる「献湯式(けんとうしき)」、 「宵宮祭(よいみやさい)」が行われ、深夜十二時にすべての神門が閉ざされ「居籠」に入ります。居籠とは大祭を行う前に身を清め、静寂の時を過す時間を持つことで、 十日午前四時の「十日えびす大祭」を厳粛裡に執り行うことが出来ます。大祭終了後の午前六時を期して表大門(赤門)を開き、恒例の「開門神事福男選び」を行います。そして境内は十日の「本えびす」から十一日の「残り福」まで、福を求める参拝者であふれます。
2024年1月11日(木)開催の年中行事
鏡開き
(かがみびらき)
1月11日
正月11日から20日くらいの間に、正月の間に年神様にお供えしていた鏡餅を下ろし、雑煮やお汁粉などにして食べる行事です。お餅は神様の魂を宿す神聖な食べ物とされてきました。神様の魂を食べることで神様から力を分けていただき、一年を幸せに過ごす力を年神様に授けてもらうという意味があります。年神様は刃物を嫌がるため、包丁を使わず手やこづちで割り、縁起良く「開く」というようになりました。
2024年1月11日(木)開催のイベント一覧
今宮戎神社 十日戎
1月9、10、11日
豊臣時代の頃になると庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、同時期には豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。
関西で会社や商店が本腰を入れて営業を始めるこの時期に合わせて、商売繁盛、社運隆昌を願って行われる行事です。多くの参拝客が福笹や縁起物を求めて訪れます。本殿脇で配布される福笹に福娘さんから子宝(縁起物)をつけてもらうことができます。
十日えびす 西宮神社
1月9、10、11日
西宮のえびす様は、古くは茅渟海と云われた大阪湾の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、西宮に遷し祭られたのが起源と伝えられています。鎮座の年代は明らかではありませんが、えびすの名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。
十日えびすの準備は一月八日に卸売市場の若者の威勢のよい掛け声とともに奉納される大マグロで整います。九日の「宵えびす」には、有馬温泉の芸妓さんによる「献湯式(けんとうしき)」、 「宵宮祭(よいみやさい)」が行われ、深夜十二時にすべての神門が閉ざされ「居籠」に入ります。居籠とは大祭を行う前に身を清め、静寂の時を過す時間を持つことで、 十日午前四時の「十日えびす大祭」を厳粛裡に執り行うことが出来ます。大祭終了後の午前六時を期して表大門(赤門)を開き、恒例の「開門神事福男選び」を行います。そして境内は十日の「本えびす」から十一日の「残り福」まで、福を求める参拝者であふれます。
2024年1月13日(土)開催のイベント一覧
寒中みそぎ祭り(佐女川神社)
1月13日~15日
1831(天保2)年に、神社守の夢に「神体を清めよ」とのお告げがあり、お告げにしたがって御神体を海水で洗うと、その年から豊漁豊作になりそれから毎年1月13日~15日に行われています。
函館近郊の木古内町で、1831(天保2)年から続く伝統神事。行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる若者4人が、豊漁豊作を祈願してご神体を抱き、真冬の津軽海峡へと飛び込みます。
北海道をまるごと楽しもう!!
http://fukuroukai.sakura.ne.jp/pre2/?area=128
函館イベントガイド
https://event.hakobura.jp/3869
2024年1月14日(日)開催の年中行事
左義長(どんど焼き)
(さぎちょう)
1月14日の夜または1月15日の朝
小正月に、正月飾りを焚いて祓え清める行事です。刈り取り跡の残る田などに長い竹を三、四本組んで立て、正月に飾った門松やしめ飾り、書き初めなどを持ち寄って焚き上げます。その煙にのって年神様が天上に帰っていくとされ、その火で焼いた餅や団子を食べるとその年は無病息災で過ごせると言われています。地域によって、とんど(歳徳)、とんど焼き、どんどん焼きなどとも言われます。
2024年1月14日(日)開催のイベント一覧
寒中みそぎ祭り(佐女川神社)
1月13日~15日
1831(天保2)年に、神社守の夢に「神体を清めよ」とのお告げがあり、お告げにしたがって御神体を海水で洗うと、その年から豊漁豊作になりそれから毎年1月13日~15日に行われています。
函館近郊の木古内町で、1831(天保2)年から続く伝統神事。行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる若者4人が、豊漁豊作を祈願してご神体を抱き、真冬の津軽海峡へと飛び込みます。
北海道をまるごと楽しもう!!
http://fukuroukai.sakura.ne.jp/pre2/?area=128
函館イベントガイド
https://event.hakobura.jp/3869
鳥追い祭り
1月14日
鳥追い祭りは約400年の歴史を持つといわれている中之条町の伝統行事です。田畑の作物を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀豊穣や家内安全と厄除けなどを願って始められました。
毎年1月14日には、伊勢宮での神事の後に町中を練り歩き、「鳥追いだ、鳥追いだ、唐土(とっと)の鳥を追いもうせ、セッセッセ、サーラバよって追いもうせ」の掛声とともに太鼓をたたきます。厄年の人や商店等から厄落としや商売繁盛を祈って、みかん投げも行われています。
左義長(茅原の大とんど)
毎年1月14日
左義長(茅原の大とんど)は、修験道の開祖・役小角(役行者)の生誕地とされる御所市茅原の吉祥草寺で、修正会の結願の行事として、毎年1月14日に行われます。「茅原の大とんど」「左義長」とも呼ばれ、起源は大宝元年(701)にさかのぼます。県指定無形民俗文化財になっています。
当日は、早朝から、境内に茅原・玉手の各大字から人々が集まり、雌雄一対の大たいまつ(トンド)を作り、法要後、これを燃やしてその年の平和を祈ります。修験道と修正会と農村行事が結びついた県内では珍しい大規模なトンド行事です。
奈良県庁(ライブラリ)
https://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0516.html
茅原山吉祥草寺
http://www.en-chan.com/
2024年1月15日(月)開催の年中行事
左義長(どんど焼き)
(さぎちょう)
1月14日の夜または1月15日の朝
小正月に、正月飾りを焚いて祓え清める行事です。刈り取り跡の残る田などに長い竹を三、四本組んで立て、正月に飾った門松やしめ飾り、書き初めなどを持ち寄って焚き上げます。その煙にのって年神様が天上に帰っていくとされ、その火で焼いた餅や団子を食べるとその年は無病息災で過ごせると言われています。地域によって、とんど(歳徳)、とんど焼き、どんどん焼きなどとも言われます。
小正月
(こしょうがつ)
1月15日
元日を「大正月」、1月15日を「小正月」といいます。旧暦の1月15日に行われ、その年の最初の満月の日でしたが、現在は新暦の1月15日になりました。年神様を迎える大掛かりな大正月に比べ、小正月は小規模で家庭的な行事が多いのが特徴です。紅白の餅を柳の枝につける餅花(まゆ玉)を飾って豊作を祈り、小豆粥を食べて無病息災を祈ります。
2024年1月15日(月)開催のイベント一覧
寒中みそぎ祭り(佐女川神社)
1月13日~15日
1831(天保2)年に、神社守の夢に「神体を清めよ」とのお告げがあり、お告げにしたがって御神体を海水で洗うと、その年から豊漁豊作になりそれから毎年1月13日~15日に行われています。
函館近郊の木古内町で、1831(天保2)年から続く伝統神事。行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる若者4人が、豊漁豊作を祈願してご神体を抱き、真冬の津軽海峡へと飛び込みます。
北海道をまるごと楽しもう!!
http://fukuroukai.sakura.ne.jp/pre2/?area=128
函館イベントガイド
https://event.hakobura.jp/3869
裸まいり
1月15日
裸参りは、盛岡市に藩政時代から伝えられてきた「寒参り」で、1月15日の夕刻、盛岡八幡宮の年越し祭に行われました。藩政期には、桜山神社や北山教浄寺の「お阿弥陀さん」でも盛んに行われ、現在も続いています。裸参りは、一年の無事息災を祈願し、厄年の男女は厄を払います。
町内各組ごとに若者たちが風呂で心身を清めた後、背に注連を負い、はち巻き、腰にけんだいわらを垂れ、トウガラシを少し入れたくわえ紙を口に、素足にわらじという出で立ちで参加します。隊列は、鈴振り・ちょうちん持ち・紙の「はさみ」を持つ者、供物の三宝を持つ者などが1列に行列を整え、左右に大きく踏み出す独特の歩調を取りながら参拝します。
道祖神祭り
1月15日
この祭りがいつ始まったかは定かでありませんが、道祖神碑には「天保十巳亥年」と刻まれていることや河野家に残されている「文久三年道祖神小豆焼帳」などから江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたことが推察できます。
毎年1月15日に野沢温泉村で行われる火祭りです。前日に完成させた釘を一本も使わずに作った社殿を厄年の男達が守ります。いよいよ、激しい攻防戦が始まります。社殿正面前に燃え上がる火もとからたいまつに火を付け社殿正面へ攻撃します。火付けをするのは一般村民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年、社殿の上に上がっているのは42歳厄年です。約1時間半にわたる攻防戦の末、双方の手締めにより、社殿に火が入れられます。次第に社殿が燃え上がり、大きな炎が空高く燃え上がり、火祭りは終わります。
2024年1月20日(土)開催のイベント一覧
毛越寺二十日夜祭り
1月20日
毛越寺常行堂の祭神である霊験あらたかな「摩多羅神」の春祈願の日である。明治35年(1902年)に奥州市水沢区の黒石寺より蘇民祭が伝えられ二十日夜祭で開催された。昭和34年(1959年)から5年間中止されたが、昭和40年(1965年)に、毛越寺が中心となって現在の執行方法で復活した。
常行堂で正月二十日に行われる摩多羅神(またらじん)祭の結願の20日を「二十日夜祭(はつかやさい)」と呼んでいます。厄年の老若男女が、たいまつの明かりを先頭に常行堂まで行進、仏前に大根や白菜などの野菜をささげ、無病息災・家内安全を祈願します。
2024年1月28日(日)開催のイベント一覧
若草山焼き
毎年1月第四土曜日
若草山三重目の頂上には、鶯塚古墳という前方後円の巨大なお墓があります。その昔、このお墓から幽霊が出て人々を恐がらせるけれど山を焼くと幽霊が出なくなるらしい、また翌年1月頃までに山を焼かないと良くなければ、なにか望ましくないことが起こるらしい、などの迷信が長く続き、この山を通る人が勝手に火をつけるようになったといわれています。これにより東大寺境内に火が迫る事件が再三起こり、1738年12月に、奈良奉行所は若草山に放火禁止の立て札を立てました。しかし、その後も誰ともわからないまま放火は続き、近隣の寺や神社へ火が燃え広がるなど危険が絶えなかったため、江戸時代末期頃には若草山に隣接する東大寺・興福寺と奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養のためでもあったといえます。
古都奈良の早春を告げる伝統行事。山全体が燃やされ、夜空を焦がす壮観さは圧巻です。山焼き直前の大花火は、澄みきった冬の夜空を鮮やかな光と色で染め、その豪華な号砲で山焼きがスタートします。奈良市消防団約300名が、山麓中央の大かがり火から松明に火を移し、若草山の正面に火を運びます。法螺貝、ラッパの合図で約33ヘクタール、周囲3800メートルの草地に一斉点火します。
2024年1月29日(月)開催のイベント一覧
千歳・支笏湖氷濤まつり(氷の美術館)
1月29日~2月23日
1979年に地元の有志が開催。2024年は第44回開催となります。
支笏湖の湖水をスプリンクラーで吹き付け凍らせた、大小様々な氷のオブジェが立ち並ぶ、北海道を代表する冬の祭典。
2024年1月30日(火)開催のイベント一覧
千歳・支笏湖氷濤まつり(氷の美術館)
1月29日~2月23日
1979年に地元の有志が開催。2024年は第44回開催となります。
支笏湖の湖水をスプリンクラーで吹き付け凍らせた、大小様々な氷のオブジェが立ち並ぶ、北海道を代表する冬の祭典。
2024年1月31日(水)開催のイベント一覧
千歳・支笏湖氷濤まつり(氷の美術館)
1月29日~2月23日
1979年に地元の有志が開催。2024年は第44回開催となります。
支笏湖の湖水をスプリンクラーで吹き付け凍らせた、大小様々な氷のオブジェが立ち並ぶ、北海道を代表する冬の祭典。
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー