8月
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
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年中行事…■
2023年8月13日(日)開催の年中行事
お盆
(おぼん)
8月13日~8月16日
(地域によっては7月)
先祖の霊を家にお迎えして供養する行事です。神道の「みたま祭り」と仏教の「盂蘭盆会」が融合し、今日のお盆の形となりました。もともとは旧暦7月の行事ですが、新暦では8月半ばにあたるため、現在では月遅れで8月に行う地域が多くなっています。花や食べ物を飾った盆棚を用意し、初日の夕方、迎え火で先祖を迎え、最終日には無事に戻れるように送り火を焚きます。
2023年8月13日(日)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
白鳥おどり(徹夜踊り)
8月13~15日
戦後、各地で盆踊りの復活の機運が高まると、1947年「白鳥踊り保存会」が設立されました。白鳥神社などで拝殿踊りとして踊り継がれてきた白山民謡文化圏の多くの踊りの種目の中から、代表的ないくつかの踊り種目を選んで「白鳥おどり」として整備しました。
7月中旬から8月下旬にかけて踊られ、特に8月の13・14・15日のお盆にはキリコ灯籠で照らされた屋台を囲み、全国から集まった踊り 好きと地元の人たちが、東の空がうっすらとあけるまで踊り明かします。曲は、《源助さん》《シッチョイ》《八ツ坂》《猫の子》《神代》《老坂》《世栄》の7曲。それぞれ特色のある唄です。特徴のある《八ツ坂》《神代》《老坂》《世栄》の曲名は、1947年に保存会で命名されたものだそうです。また拝殿踊などで踊られた《さのさ》も最後に踊られることがあります。
白山文化の里 白鳥観光協会 HP
http://shirotori-gujo.com/
(一社)岐阜県観光連盟 HP
https://www.kankou-gifu.jp/spot/1329/
郡上おどり(徹夜踊り)
8月13~16日
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきました。江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。
7月中旬から9月上旬にかけて30夜以上(徹夜踊りは8月13日~16日)にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏は踊りとともに始まり、踊りとともに終わるといえます。会場はひと晩に1カ所ずつ。これは町内あちこちでの縁日祭りにちなんでおこなわれるもので、新旧入り交じった感じがしないでもないですが、そのうちの多くからこの町に残る伝統や風習を垣間見ることができます。
ろうそくまつり(高野山万燈供養会)
毎年8月13日
高野山の万燈会のはじまりは、天長九年(八三二)八月二十二日に行った「高野山万燈会願文」(『性霊集』巻第八)に求められる。それが長久五年(一〇四四)に三つに分れ、祖師弘法大師に捧げる聖火となりました。高野山は、弘仁7年(816) 7月8日 空海が高野山下賜を上奏し、この年勅許が下ったことに始まりました。
毎年8月13日高野山では萬燈供養会(高野山ろうそく祭り)が開催されます。ろうそく祭りとは参拝者によって一の橋から奥之院までの聖域約2キロメートルの参道を約10万本のローソクの光で荘厳し、先祖をはじめ奥之院に眠る総ての御霊(みたま)を供養するお祭りです。参道に浮かぶ約10万本のローソクの光は幻想的で、漆黒の闇にきらめく灯りの線は高野山の夏の風物となっています。参拝者はその灯りの中に先祖を思い、お盆の送り火とします。
高野山真言宗総本山金剛峯寺
https://www.koyasan.or.jp/
密教文化(1994 年 1994 巻 186 号 p. 1-38 密教研究会発行)
高野山の年中行事(一) 日野西眞定
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1994/186/1994_186_1/_pdf/-char/ja
三原やっさ祭り
毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間
永禄10年(1567年)、戦国時代の智将とうたわれた毛利元就の三男小早川隆景が、瀬戸内の水軍を統率するために、水、陸、交通の要地である備後の国三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城を築きました。やっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、 祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは"やっさ"に始まり"やっさ"に終わる習わしになったと伝えられています。
やっさ祭りは、毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間で開催され、中国地方を代表する夏祭りとして40数万人の人出で賑わいます。2日間のやっさ踊りでは、約7,000人の踊り手が、17時頃から三原駅前周辺の踊りコースを「やっさ、やっさ」と練り歩きます。また、花火大会は、20時頃から約1時間、糸崎沖から打上が行われます。
松山まつり
毎年8月11〜13日
松山まつり(第6回までは『松山おどり』)の誕生は1966年です。2年前には、東京オリンピックが開催され、同年には松山-東京間に空の直行便が飛ぶようになるなど地元に活気がみなぎっていた時期でした。四国には、阿波おどりやよさこい鳴子おどりなど全国にその名を知られる“おどり”が多くあります。松山市としても名物の“おどり”をつくるべくと考えられたのが「松山おどり」でした。第1回『松山おどり』は、8月13・14の両日と決まり、45連、約3千人の踊り子が、二手に分かれて松山城下の中心街を踊り抜きました。
松山まつりは、8月の真夏の3日間、大街道・千舟町会場と堀之内会場の2カ所で盛大に開催されます。市民や里帰りされている皆さんに真夏の憩いを提供するほか、観光客を誘致し、地域を活性化をする役割を果たしています。大街道・千舟町会場では、野球拳おどりや野球サンバなどの連やチームが、大街道商店街から出発した後、千舟町通りで踊りを披露します。最終パフォーマンス会場の堀之内会場では、野球拳踊りなどの演舞をはじめ、飲食・物販ブースや縁日ブースが立ち並びます。
鳴門市阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波踊りは日本三大盆踊りの一つです。由来はいろいろあります。天正15年(1587年)に蜂須賀家政が徳島城を落成した際、お祝いに庶民に無礼講で踊らせたことが発祥だと言われています。また、阿波踊りが旧暦の七月に行われている精霊踊りだと言う話もあります。阿波踊りは江戸時代より、明治、大正、昭和をわたり、四百年以上の歴史を持ち、日本国内で最も規模が大きい祭りになりました。
阿波踊りは2拍子で、リズムに従って踊ります。楽器は「鳴り物」と言われ、笛、三味線、太鼓、鉦、大胴などになります。男性の衣装は半天、また浴衣をしりからげにします。女性は浴衣に網笠を深く被り、下駄を履く。阿波踊りはリズムが激しくて、踊りは豪快です。女踊りは華やかでありながら力強いものに、男踊りは勇壮で大胆なものへと独自に進化を続けてきました。とくに総踊りは踊り子千人、鳴り物数百人という圧倒的な迫力で観客を魅了します。
さぬき高松まつり
毎年8月12日~14日
高松では1951年に「高松港まつり」が始まり、漁船のパレードや花火大会などが行われていました。この祭りに1964年年、高松中央商店街が加わり「商工港まつり」となりました。さらに1947年より屋島山上で行われていた「盆踊り大会」が開催され香川県下はもちろん四国各県や岡山県の団体も参加して盛大に行われていましたが、両まつりを一つにまとめて1964年に誕生したのが「さぬき高松まつり」です。
四国の四大祭りの一つとして、また、讃岐路の真夏の夜を彩る祭典として、市民をはじめ多くの観光客にも親しまれています。「ものっそ高松」を合言葉に、「瀬戸の都・高松」にふさわしい一大イベントとして、中央公園・中央通り・サンポート高松をメイン会場に、盛大に開催されます。あわせて開催される花火大会「どんどん高松」は四国最大級で、四国の玄関口である高松のウォーターフロントに、光のシャワーが降り注ぎます!大輪の花を咲かせる大玉や、型物、スターマインなど見どころ満載です。
阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波おどりは400年を超える歴史を持つといわれています。「阿波の殿様 蜂須賀様(蜂須賀公)が 今に残せし 阿波おどり」と歌われますが、徳島藩祖・蜂須賀家政による「築城起源説」に基づいています。しかし、この説には疑問も多く、現在は、盆踊りが「組踊り」「ぞめき踊り」「俄」といった民衆芸能の影響を受けながら形が作られてきたとする説が有力のようです。それでも、在郷の盆踊りではなく、徳島城下で踊られた盆踊りが現在につながっていることは間違いなさそうです。
阿波おどりは、徳島が世界に誇る伝統芸能です。今では町おこしの一環として高円寺(東京)や南越谷(埼玉)など全国各地で阿波おどりが開催されていますが、本場・徳島市では毎年8月12日から15日までの間、国内外から100万人を超える観光客が訪れるなど、日本有数のイベントとなっています。また、市中心部には一年を通して阿波おどりを楽しめる阿波おどり会館もあり、徳島市ではいつでも阿波おどりの魅力に触れることができます。
2023年8月14日(月)開催の年中行事
お盆
(おぼん)
8月13日~8月16日
(地域によっては7月)
先祖の霊を家にお迎えして供養する行事です。神道の「みたま祭り」と仏教の「盂蘭盆会」が融合し、今日のお盆の形となりました。もともとは旧暦7月の行事ですが、新暦では8月半ばにあたるため、現在では月遅れで8月に行う地域が多くなっています。花や食べ物を飾った盆棚を用意し、初日の夕方、迎え火で先祖を迎え、最終日には無事に戻れるように送り火を焚きます。
2023年8月14日(月)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
おびひろ平原まつり
8月14日~16日
平原まつりは、1947年から「平和まつり」として始まり、十勝の大地を拓いた先人への報恩感謝と五穀豊穣の願いが込められた幅広い世代の人たちが楽しめるおまつりです。
全道各地より参加団体が集まる迫力満点の「太鼓まつり」や、若者を中心の「夢降夜(ゆめふるや)」など最高潮に盛り上がります。夜の「盆おどり」は、工夫を凝らした衣装や踊りが見所で、飛び入りでの参加もできます。また、「子ども盆おどり」も開催されます。
函館八幡宮例祭
8月14日~15日
約370年前の松前藩の時代にニシンの豊漁を神に感謝したのが起源と言われています。
八幡様と市民に親しまれている函館八幡宮の例祭。2年に一度、偶数年に行われる2日日の御巡幸祭での、本神輿、剣道神輿、幼稚園神輿の3台による134段の石段かけのぼり神事が見もの。毎年開催される「祭り市」は地元の人に人気です。
白鳥おどり(徹夜踊り)
8月13~15日
戦後、各地で盆踊りの復活の機運が高まると、1947年「白鳥踊り保存会」が設立されました。白鳥神社などで拝殿踊りとして踊り継がれてきた白山民謡文化圏の多くの踊りの種目の中から、代表的ないくつかの踊り種目を選んで「白鳥おどり」として整備しました。
7月中旬から8月下旬にかけて踊られ、特に8月の13・14・15日のお盆にはキリコ灯籠で照らされた屋台を囲み、全国から集まった踊り 好きと地元の人たちが、東の空がうっすらとあけるまで踊り明かします。曲は、《源助さん》《シッチョイ》《八ツ坂》《猫の子》《神代》《老坂》《世栄》の7曲。それぞれ特色のある唄です。特徴のある《八ツ坂》《神代》《老坂》《世栄》の曲名は、1947年に保存会で命名されたものだそうです。また拝殿踊などで踊られた《さのさ》も最後に踊られることがあります。
白山文化の里 白鳥観光協会 HP
http://shirotori-gujo.com/
(一社)岐阜県観光連盟 HP
https://www.kankou-gifu.jp/spot/1329/
郡上おどり(徹夜踊り)
8月13~16日
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきました。江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。
7月中旬から9月上旬にかけて30夜以上(徹夜踊りは8月13日~16日)にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏は踊りとともに始まり、踊りとともに終わるといえます。会場はひと晩に1カ所ずつ。これは町内あちこちでの縁日祭りにちなんでおこなわれるもので、新旧入り交じった感じがしないでもないですが、そのうちの多くからこの町に残る伝統や風習を垣間見ることができます。
三原やっさ祭り
毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間
永禄10年(1567年)、戦国時代の智将とうたわれた毛利元就の三男小早川隆景が、瀬戸内の水軍を統率するために、水、陸、交通の要地である備後の国三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城を築きました。やっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、 祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは"やっさ"に始まり"やっさ"に終わる習わしになったと伝えられています。
やっさ祭りは、毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間で開催され、中国地方を代表する夏祭りとして40数万人の人出で賑わいます。2日間のやっさ踊りでは、約7,000人の踊り手が、17時頃から三原駅前周辺の踊りコースを「やっさ、やっさ」と練り歩きます。また、花火大会は、20時頃から約1時間、糸崎沖から打上が行われます。
鳥取しゃんしゃん祭
毎年8月14日
鳥取県東部地方に古くから伝わる「因幡の傘踊り」を誰でも簡単に踊れるようにアレンジして、大衆化することを考えました。当時の高田勇鳥取市長は、横枕地区の高山柳蔵氏に依頼して、現在の「きなんせ節」の振付を完成させ、1964年の鳥取市庁舎新築落成を記念して、この新作傘踊りを発表しました。1965年の祭りからこの踊りを取り入れることになり、祭りの名称を広く募集したところ、山脇豪・藤井愃夫両氏の「しゃんしゃん祭」 が選ばれました。「しゃんしゃん」とは、市街地の温泉で「湯がしゃんしゃん沸く」と「鈴の音がしゃんしゃん鳴る」という意味で名付けられました。
鳥取県東部地方に伝わる「因幡の傘踊り」を元に誰でも簡単に踊れるように変化した華やかな傘踊りがメインイベントになっています。4000人を超える踊り子が会場を埋め尽くし、色彩豊かな傘と鈴の音とともに一斉に舞う姿は圧巻です。2014年に“最大の傘踊り”として世界記録を達成し、今や全国にも広く知られる祭りとなっています。鳥取駅前を祭一色に染める鳥取の夏の風物詩です。使われる傘はひとつずつ手作りで独特の模様とシャンシャンと鳴る鈴が特徴です。
鳥取しゃんしゃん祭公式サイト
http://tottori-shanshan.jp
鳥取市観光サイト
https://www.torican.jp/festival/detail_1090.html
鳴門市阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波踊りは日本三大盆踊りの一つです。由来はいろいろあります。天正15年(1587年)に蜂須賀家政が徳島城を落成した際、お祝いに庶民に無礼講で踊らせたことが発祥だと言われています。また、阿波踊りが旧暦の七月に行われている精霊踊りだと言う話もあります。阿波踊りは江戸時代より、明治、大正、昭和をわたり、四百年以上の歴史を持ち、日本国内で最も規模が大きい祭りになりました。
阿波踊りは2拍子で、リズムに従って踊ります。楽器は「鳴り物」と言われ、笛、三味線、太鼓、鉦、大胴などになります。男性の衣装は半天、また浴衣をしりからげにします。女性は浴衣に網笠を深く被り、下駄を履く。阿波踊りはリズムが激しくて、踊りは豪快です。女踊りは華やかでありながら力強いものに、男踊りは勇壮で大胆なものへと独自に進化を続けてきました。とくに総踊りは踊り子千人、鳴り物数百人という圧倒的な迫力で観客を魅了します。
さぬき高松まつり
毎年8月12日~14日
高松では1951年に「高松港まつり」が始まり、漁船のパレードや花火大会などが行われていました。この祭りに1964年年、高松中央商店街が加わり「商工港まつり」となりました。さらに1947年より屋島山上で行われていた「盆踊り大会」が開催され香川県下はもちろん四国各県や岡山県の団体も参加して盛大に行われていましたが、両まつりを一つにまとめて1964年に誕生したのが「さぬき高松まつり」です。
四国の四大祭りの一つとして、また、讃岐路の真夏の夜を彩る祭典として、市民をはじめ多くの観光客にも親しまれています。「ものっそ高松」を合言葉に、「瀬戸の都・高松」にふさわしい一大イベントとして、中央公園・中央通り・サンポート高松をメイン会場に、盛大に開催されます。あわせて開催される花火大会「どんどん高松」は四国最大級で、四国の玄関口である高松のウォーターフロントに、光のシャワーが降り注ぎます!大輪の花を咲かせる大玉や、型物、スターマインなど見どころ満載です。
阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波おどりは400年を超える歴史を持つといわれています。「阿波の殿様 蜂須賀様(蜂須賀公)が 今に残せし 阿波おどり」と歌われますが、徳島藩祖・蜂須賀家政による「築城起源説」に基づいています。しかし、この説には疑問も多く、現在は、盆踊りが「組踊り」「ぞめき踊り」「俄」といった民衆芸能の影響を受けながら形が作られてきたとする説が有力のようです。それでも、在郷の盆踊りではなく、徳島城下で踊られた盆踊りが現在につながっていることは間違いなさそうです。
阿波おどりは、徳島が世界に誇る伝統芸能です。今では町おこしの一環として高円寺(東京)や南越谷(埼玉)など全国各地で阿波おどりが開催されていますが、本場・徳島市では毎年8月12日から15日までの間、国内外から100万人を超える観光客が訪れるなど、日本有数のイベントとなっています。また、市中心部には一年を通して阿波おどりを楽しめる阿波おどり会館もあり、徳島市ではいつでも阿波おどりの魅力に触れることができます。
姫島盆踊り
毎年8月14日・15日
姫島村の盆踊りは、鎌倉時代の念仏踊りから発展したものと言われています。 昭和20年代に大人から子供の踊りとなり、可愛らしいキツネの化粧とユーモラスなしぐさが受けて盆踊りを代表する踊りとなりました。 毎年14日、15日はキツネ踊り、アヤ踊り、銭太鼓踊り、猿丸太夫踊り等がくり出して賑わいます。
伝統踊りには、キツネ踊りをはじめアヤ踊り、銭太鼓、猿丸太夫があり、地区の子供たちや一般の人々によって踊り継がれています。新しい創作踊りも次々と生まれ、ユーモアや趣向を凝らした衣装などで見る人を楽しませてくれます。踊り手は中央広場と各地区にある盆坪を廻って踊り歩きます。毎年8月14日から16日までの3日間開催され、14日・15日が特に賑わい、夜間臨時便が運行される等、特に賑わいます。国の選択無形民俗文化財です。
2023年8月15日(火)開催の年中行事
お盆
(おぼん)
8月13日~8月16日
(地域によっては7月)
先祖の霊を家にお迎えして供養する行事です。神道の「みたま祭り」と仏教の「盂蘭盆会」が融合し、今日のお盆の形となりました。もともとは旧暦7月の行事ですが、新暦では8月半ばにあたるため、現在では月遅れで8月に行う地域が多くなっています。花や食べ物を飾った盆棚を用意し、初日の夕方、迎え火で先祖を迎え、最終日には無事に戻れるように送り火を焚きます。
2023年8月15日(火)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
おびひろ平原まつり
8月14日~16日
平原まつりは、1947年から「平和まつり」として始まり、十勝の大地を拓いた先人への報恩感謝と五穀豊穣の願いが込められた幅広い世代の人たちが楽しめるおまつりです。
全道各地より参加団体が集まる迫力満点の「太鼓まつり」や、若者を中心の「夢降夜(ゆめふるや)」など最高潮に盛り上がります。夜の「盆おどり」は、工夫を凝らした衣装や踊りが見所で、飛び入りでの参加もできます。また、「子ども盆おどり」も開催されます。
函館八幡宮例祭
8月14日~15日
約370年前の松前藩の時代にニシンの豊漁を神に感謝したのが起源と言われています。
八幡様と市民に親しまれている函館八幡宮の例祭。2年に一度、偶数年に行われる2日日の御巡幸祭での、本神輿、剣道神輿、幼稚園神輿の3台による134段の石段かけのぼり神事が見もの。毎年開催される「祭り市」は地元の人に人気です。
南部の火祭り
8月15日
起源は定かではありませんが、舟運のさかんになった江戸中期の元禄時代頃からであろうと推定されます。8月15日に行われる夏の一大風物詩「南部の火祭り」は盆の送り火と川供養の奇祭であると同時に稲を病害虫から守るための虫送りの意味も込められています。
オープニングを飾るのは「投げ松明」で松明を競って投げ上げます。そして「大松明」の炎が仏様の道明かりとなり「灯篭流し」が厳かに行われます。一斉に点火される「百八たい」が富士川の両岸で燃え上がると、祭りはクライマックスを迎えます。
白鳥おどり(徹夜踊り)
8月13~15日
戦後、各地で盆踊りの復活の機運が高まると、1947年「白鳥踊り保存会」が設立されました。白鳥神社などで拝殿踊りとして踊り継がれてきた白山民謡文化圏の多くの踊りの種目の中から、代表的ないくつかの踊り種目を選んで「白鳥おどり」として整備しました。
7月中旬から8月下旬にかけて踊られ、特に8月の13・14・15日のお盆にはキリコ灯籠で照らされた屋台を囲み、全国から集まった踊り 好きと地元の人たちが、東の空がうっすらとあけるまで踊り明かします。曲は、《源助さん》《シッチョイ》《八ツ坂》《猫の子》《神代》《老坂》《世栄》の7曲。それぞれ特色のある唄です。特徴のある《八ツ坂》《神代》《老坂》《世栄》の曲名は、1947年に保存会で命名されたものだそうです。また拝殿踊などで踊られた《さのさ》も最後に踊られることがあります。
白山文化の里 白鳥観光協会 HP
http://shirotori-gujo.com/
(一社)岐阜県観光連盟 HP
https://www.kankou-gifu.jp/spot/1329/
郡上おどり(徹夜踊り)
8月13~16日
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきました。江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。
7月中旬から9月上旬にかけて30夜以上(徹夜踊りは8月13日~16日)にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏は踊りとともに始まり、踊りとともに終わるといえます。会場はひと晩に1カ所ずつ。これは町内あちこちでの縁日祭りにちなんでおこなわれるもので、新旧入り交じった感じがしないでもないですが、そのうちの多くからこの町に残る伝統や風習を垣間見ることができます。
丹波篠山デカンショ祭
8月15・16日
「デカンショ節の元唄は、この地方の古い盆踊り唄「みつ節」である。これが明治の中頃、旧篠山藩主、青山忠允の教育係をしていた亘理章三郎が作った「デッコンショ」が明治31(1898)年夏、房州館山の江戸屋旅館で旧制第一高等学校の生徒らに伝えられ、「デカンショ」と変じました。最初は学生歌、バンカラな書生節で、明治、大正にかけて日本全国に広がっていきました。 戦後、それまで各地区別に行われていた盆踊りを統一し、1953年に第1回デカンショ祭が開催されました。
丹波篠山を賑やかに彩る真夏の夜の盆踊りの祭典です。日本屈指の民謡の祭典として全国的にも有名なデカンショ祭。デカンショ節に合わせ、日本有数の許諾木造ヤグラを囲んで踊る「ヤグラ総踊り」では市内はもとより遠来の人たちもそれぞれ連を組み、幾重にも連なる輪に打ち上げ花火も加わり、丹波篠山の真夏の夜は大いに盛り上がります。
丹波篠山市公式観光サイトぐるり!丹波篠山
https://tourism.sasayama.jp/
篠山市HP
https://www.city.sasayama.hyogo.jp/siryositu/burari14.html
津和野踊り
8月15日
敵城を落とすために、初代藩主の父である亀井茲矩が衣装、所作、音曲を考案した踊りだと伝えられています。400年を超える歴史があります。知略で戦に勝った記念の踊りとして、お盆に踊られるようになった踊りは、1617年に亀井政矩が津和野藩主になってから今日まで、ずっと津和野の地で踊られ続けています。
岩見神楽や灯篭流しが行われたのに続いて、黒い頭巾をかぶり、静かに舞い踊る津和野踊りが行われます。白い装束に白ハチマキの黒い頭巾をかぶり静かに舞い踊る姿を見て、初めて見た人は「まるで忍者だ」と思うかもしれません。敵の城主の歌舞音曲好きにつけこんで攻めるために、踊り手の中に兵を紛れ込ませるための工夫から生まれたものです。
鳴門市阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波踊りは日本三大盆踊りの一つです。由来はいろいろあります。天正15年(1587年)に蜂須賀家政が徳島城を落成した際、お祝いに庶民に無礼講で踊らせたことが発祥だと言われています。また、阿波踊りが旧暦の七月に行われている精霊踊りだと言う話もあります。阿波踊りは江戸時代より、明治、大正、昭和をわたり、四百年以上の歴史を持ち、日本国内で最も規模が大きい祭りになりました。
阿波踊りは2拍子で、リズムに従って踊ります。楽器は「鳴り物」と言われ、笛、三味線、太鼓、鉦、大胴などになります。男性の衣装は半天、また浴衣をしりからげにします。女性は浴衣に網笠を深く被り、下駄を履く。阿波踊りはリズムが激しくて、踊りは豪快です。女踊りは華やかでありながら力強いものに、男踊りは勇壮で大胆なものへと独自に進化を続けてきました。とくに総踊りは踊り子千人、鳴り物数百人という圧倒的な迫力で観客を魅了します。
阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波おどりは400年を超える歴史を持つといわれています。「阿波の殿様 蜂須賀様(蜂須賀公)が 今に残せし 阿波おどり」と歌われますが、徳島藩祖・蜂須賀家政による「築城起源説」に基づいています。しかし、この説には疑問も多く、現在は、盆踊りが「組踊り」「ぞめき踊り」「俄」といった民衆芸能の影響を受けながら形が作られてきたとする説が有力のようです。それでも、在郷の盆踊りではなく、徳島城下で踊られた盆踊りが現在につながっていることは間違いなさそうです。
阿波おどりは、徳島が世界に誇る伝統芸能です。今では町おこしの一環として高円寺(東京)や南越谷(埼玉)など全国各地で阿波おどりが開催されていますが、本場・徳島市では毎年8月12日から15日までの間、国内外から100万人を超える観光客が訪れるなど、日本有数のイベントとなっています。また、市中心部には一年を通して阿波おどりを楽しめる阿波おどり会館もあり、徳島市ではいつでも阿波おどりの魅力に触れることができます。
姫島盆踊り
毎年8月14日・15日
姫島村の盆踊りは、鎌倉時代の念仏踊りから発展したものと言われています。 昭和20年代に大人から子供の踊りとなり、可愛らしいキツネの化粧とユーモラスなしぐさが受けて盆踊りを代表する踊りとなりました。 毎年14日、15日はキツネ踊り、アヤ踊り、銭太鼓踊り、猿丸太夫踊り等がくり出して賑わいます。
伝統踊りには、キツネ踊りをはじめアヤ踊り、銭太鼓、猿丸太夫があり、地区の子供たちや一般の人々によって踊り継がれています。新しい創作踊りも次々と生まれ、ユーモアや趣向を凝らした衣装などで見る人を楽しませてくれます。踊り手は中央広場と各地区にある盆坪を廻って踊り歩きます。毎年8月14日から16日までの3日間開催され、14日・15日が特に賑わい、夜間臨時便が運行される等、特に賑わいます。国の選択無形民俗文化財です。
精霊流し
毎年8月15日
長崎の精霊流しの原型は、中国の「彩舟(さいしゅう)」だといわれています。お供え物で飾った唐船の模型を燃やし、亡くなった人たちを供養した行事です。彩舟流しは明治以降に廃止されましたが、長崎でお盆の8月15日に行われる精霊流しは影響を受けたものと考えられます。江戸時代享保年間(1716年~1735年)の頃に、「物好きな男が小舟に供物を積んで流した」と記されており、それをほかの人たちが真似をしたことから精霊流しが始まったという説もあります。
毎年8月15日に行われる精霊流しは、盆前に死去した人の遺族が故人の霊を弔うために手作りの船を造り、船を曳きながら街中を練り歩き極楽浄土へ送り出すという長崎の伝統行事です。各家で造られる船は大小様々。材料は主に竹、板、ワラ。 長く突き出した船首(みよし)には家紋や家名、町名が大きく記されます。当日は夕暮れ時になると町のあちらこちらから「チャンコンチャンコン」という鐘の音と、「ドーイドーイ」の掛け声が聞こえ、耳をつんざくほどの爆竹の音が鳴り響き、行列は夜遅くまで続きます。
長崎市公式観光サイト「あっ!とながさき」
https://www.at-nagasaki.jp/
長崎市
https://www.city.nagasaki.lg.jp/index.html
山鹿灯籠まつり
毎年8月15日・16日
「山鹿灯籠」は和紙と糊だけで作られた山鹿の伝統工芸品です。起源は、深い霧に行く手を阻まれた第12代景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人たちが松明を掲げ無事にお迎えしたことに由来します。以来、里人たちは行在所跡(現在の大宮神社)に天皇を祀り、毎年灯火を献上するようになったのが始まりとされています。室町時代になると紙製の金灯籠に姿を変え、その後、金灯籠を頭に掲げた女性が舞い踊る「山鹿灯籠踊り」が誕生し、祭りの代名詞ともいえる千人灯籠踊りが生まれました。
山鹿の町全体を幻想的な灯りで彩る、九州屈指の夏の風物詩「山鹿灯籠まつり」。頭に金灯籠を掲げた浴衣姿の女性たちが、ゆったりとした情緒漂う「よへほ節」の調べにのせて優雅に舞い踊ります。「よへほ」の語源については、「酔へ+ほ」からきたのではないかという説があり、「ほ」というのは肥後弁特有の、他人に何かを促すときや、相手の気を惹いたりする意味があるため、お酒を勧めていることになります。このことから、この唄はもともと酒席、いわゆるお座敷唄として歌われていたようです。
山鹿市
https://www.city.yamaga.kumamoto.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html
山鹿探訪なび(山鹿市商工観光課)
https://yamaga-tanbou.jp/
2023年8月16日(水)開催の年中行事
お盆
(おぼん)
8月13日~8月16日
(地域によっては7月)
先祖の霊を家にお迎えして供養する行事です。神道の「みたま祭り」と仏教の「盂蘭盆会」が融合し、今日のお盆の形となりました。もともとは旧暦7月の行事ですが、新暦では8月半ばにあたるため、現在では月遅れで8月に行う地域が多くなっています。花や食べ物を飾った盆棚を用意し、初日の夕方、迎え火で先祖を迎え、最終日には無事に戻れるように送り火を焚きます。
2023年8月16日(水)開催のイベント一覧
おびひろ平原まつり
8月14日~16日
平原まつりは、1947年から「平和まつり」として始まり、十勝の大地を拓いた先人への報恩感謝と五穀豊穣の願いが込められた幅広い世代の人たちが楽しめるおまつりです。
全道各地より参加団体が集まる迫力満点の「太鼓まつり」や、若者を中心の「夢降夜(ゆめふるや)」など最高潮に盛り上がります。夜の「盆おどり」は、工夫を凝らした衣装や踊りが見所で、飛び入りでの参加もできます。また、「子ども盆おどり」も開催されます。
西馬音内の盆踊り
8月16日~18日
最も古い起源としては、鎌倉時代の正応年間(1288~93)に源親という修行僧が蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。 これに、関ヶ原の戦いで敗れ慶長6年(1601)に滅んだ西馬音内城主小野寺一族を偲び、土着した臣下たちが宝泉寺(西馬音内寺町)の境内で行った亡者踊りがいつの頃からか合流したと言われています。
町の中心通りで焚かれるかがり火を囲み、男性の奏でる勇ましくにぎやかなお囃子と、色鮮やかな衣装で優雅に舞う女性の艶やかさが「不調和の美」を構築し、見る者を幻想の世界に引きずり込みます。
鬼来迎
8月16日
鬼来迎の由来は鎌倉時代の初期、後鳥羽院の時代に遡ります。十七歳の新霊を供養し墓堤を弔うために建久七年(1196年)、慈士山地蔵院広西寺を建立し開山となりました。ところが、その年の仲夏、寺の庭に青・黒・赤・白の鬼面と、祖老母の面等が天降ってきました。他の説では、運慶・湛慶・安阿弥の三人の彫刻師が、面を彫刻し鬼に扮して演じてみせた、という話もあります。
広済寺に伝わる仏教劇「鬼来迎」。全国で唯一の古典的仏教劇とされ、国指定重要無形民俗文化財になっています。鎌倉時代に始まり、戦時中も途切れることなく約800年にわたって受け継がれてきたといわれています。「鬼来迎」は、地獄の責め苦と菩薩による救済を描いた「大序」「賽の河原」「釜入れ」「死出の山」の4段と、広済寺建立の物語「和尚道行」「墓参」「和尚物語」の3段からなります。
横芝光町商工会
https://yokoshibahikari.jp/kiraigou/kiraigo.html
横芝光町観光情報サイト(横芝光町役場)
https://www.town.yokoshibahikari.chiba.jp/site/yokoshibahikari-navi/
郡上おどり(徹夜踊り)
8月13~16日
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきました。江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。
7月中旬から9月上旬にかけて30夜以上(徹夜踊りは8月13日~16日)にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏は踊りとともに始まり、踊りとともに終わるといえます。会場はひと晩に1カ所ずつ。これは町内あちこちでの縁日祭りにちなんでおこなわれるもので、新旧入り交じった感じがしないでもないですが、そのうちの多くからこの町に残る伝統や風習を垣間見ることができます。
丹波篠山デカンショ祭
8月15・16日
「デカンショ節の元唄は、この地方の古い盆踊り唄「みつ節」である。これが明治の中頃、旧篠山藩主、青山忠允の教育係をしていた亘理章三郎が作った「デッコンショ」が明治31(1898)年夏、房州館山の江戸屋旅館で旧制第一高等学校の生徒らに伝えられ、「デカンショ」と変じました。最初は学生歌、バンカラな書生節で、明治、大正にかけて日本全国に広がっていきました。 戦後、それまで各地区別に行われていた盆踊りを統一し、1953年に第1回デカンショ祭が開催されました。
丹波篠山を賑やかに彩る真夏の夜の盆踊りの祭典です。日本屈指の民謡の祭典として全国的にも有名なデカンショ祭。デカンショ節に合わせ、日本有数の許諾木造ヤグラを囲んで踊る「ヤグラ総踊り」では市内はもとより遠来の人たちもそれぞれ連を組み、幾重にも連なる輪に打ち上げ花火も加わり、丹波篠山の真夏の夜は大いに盛り上がります。
丹波篠山市公式観光サイトぐるり!丹波篠山
https://tourism.sasayama.jp/
篠山市HP
https://www.city.sasayama.hyogo.jp/siryositu/burari14.html
京都五山送り火
8月16日
山に画かれた字跡に点火する行為がいつ始まったかについてはよくわかっていません。平安時代とも江戸時代とも言われていますが、史料が登場するのは近世に入ってからです。江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っており、大文字、妙法、船形、加えて所々の山、原野で火を点けていたと考えられます。
夏の夜空を彩る「京都五山送り火」は、お盆の精霊を送る伝統行事です。東山に大の字が浮かび上がり、続いて、松ケ崎に妙・法、西賀茂に船形、大北山に左大文字、そして、嵯峨に鳥居形が点ります。これら5つの送り火はすべて京都市登録無形民俗文化財です。
山鹿灯籠まつり
毎年8月15日・16日
「山鹿灯籠」は和紙と糊だけで作られた山鹿の伝統工芸品です。起源は、深い霧に行く手を阻まれた第12代景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人たちが松明を掲げ無事にお迎えしたことに由来します。以来、里人たちは行在所跡(現在の大宮神社)に天皇を祀り、毎年灯火を献上するようになったのが始まりとされています。室町時代になると紙製の金灯籠に姿を変え、その後、金灯籠を頭に掲げた女性が舞い踊る「山鹿灯籠踊り」が誕生し、祭りの代名詞ともいえる千人灯籠踊りが生まれました。
山鹿の町全体を幻想的な灯りで彩る、九州屈指の夏の風物詩「山鹿灯籠まつり」。頭に金灯籠を掲げた浴衣姿の女性たちが、ゆったりとした情緒漂う「よへほ節」の調べにのせて優雅に舞い踊ります。「よへほ」の語源については、「酔へ+ほ」からきたのではないかという説があり、「ほ」というのは肥後弁特有の、他人に何かを促すときや、相手の気を惹いたりする意味があるため、お酒を勧めていることになります。このことから、この唄はもともと酒席、いわゆるお座敷唄として歌われていたようです。
山鹿市
https://www.city.yamaga.kumamoto.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html
山鹿探訪なび(山鹿市商工観光課)
https://yamaga-tanbou.jp/
2023年8月1日(火)開催の年中行事
中元
(ちゅうげん)
7月上旬から8月中旬
お世話になった人や仕事上のつきあいのある人へ感謝を込めて贈り物をする習慣です。中国では正月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元といいました。中元は財物を差し出して罪過を許される日で火を焚き祭りを行いました。日本では「中元」だけが残り、お盆のお供物を贈る習慣として発展しました。
八朔
(はっさく)
8月1日
旧暦では毎月1日を「朔(さく)」といいます。八朔は別名「田の実」の節句ともいいます。8月1日はちょうど稲が穂を出し始める時期だったため、「田の実」と、「頼み」をかけて、農家では八朔の日に豊作祈願をしていました。その後、「頼み」の風習が流行し、師匠や恩人への贈答が盛んに行われました。京都祇園では、八朔に芸姑・舞妓が出入りの茶屋などへ挨拶に回るしきたりがあります。
2023年8月1日(火)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
八戸三社大祭
7月31日~8月4日
享保6年(1721年)、法霊社(現在の龗神社)の神輿が、天候不順の回復と五穀豊穣を願って八戸城下を一巡し、長者山虚空蔵堂(現在の新羅神社)へ渡御したのが祭りのはじまりです。
八戸市内に所在する龗(おがみ)神社、長者山新羅神社、神明宮の三社合同例祭です。8月1日のお通りと8月3日のお還りでは、三社の神幸行列に従い、27台の大型で豪華な山車が行列を組んで市内を巡行します。
盛岡さんさ踊り
8月1日~4日
その昔、南部盛岡城下に羅刹という鬼が悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。
藩政時代から伝わる盆踊り「さんさ踊り」が市内の目抜き通りで4日間繰り広げられます。踊り手、笛、太鼓あわせて2万人の群舞となり、踊り手2万人の浴衣姿も鮮やかに、600本の笛、その数日本一の5000個もの太鼓がビル街に鳴り響きます。
盛岡さんさ踊り公式サイト(盛岡さんさ踊り実行委員会)
http://www.sansaodori.jp/
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
大宮夏まつり
毎年8月1日~2日
氷川神社の総本山、武蔵一宮氷川神社の例大祭「中山道まつり」を中心に多くのイベントが行われます。サンバと御輿が競演するスパークカーニバル、夢を託した美しい竹飾りが揺れるなか様々な催しが行われる大宮日進七夕まつり、中山道みやはらまつり、東大宮サマーフェスティバル、指扇まつり大会など、大宮駅周辺で開催される夏祭りです。
中山道祭りでは、武蔵一宮氷川神社の境内に揃った神輿や山車は、神職からお払いを受けた後、旧中山道を練り歩きます。1日は武蔵一宮氷川神社の例大祭でお祓いを受けた大宮駅東口駅前周辺の地元町会の御輿と山車が、大宮駅前東口周辺を練り歩きます。メインとなる2日は、御輿の揃い渡御(とぎょ)・山車の揃い巡行・民踊・阿波おどり・太鼓演奏など、会場のあちこちで様々な催しが行われます。
武蔵一宮氷川神社
https://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
さいたま市
https://www.city.saitama.jp/
公益社団法人さいたま観光国際協会
https://www.stib.jp/
松本ぼんぼん
8月上旬
江戸時代末期から城下町松本の本町・中町・東町を中心に始まったといわれていますが定かではありません。ぼんぼんは女の子の行事であり、かつては女の子にとって浴衣を着て、ポックリ下駄を履くことが何よりも楽しみであったといいます。「盆々」とも表記され、女の子たちが哀愁をこめて歌う盆唄から、ぼんぼんと呼ばれるようになりました。
ぼんぼんは、紙で作った花を頭に飾り、浴衣にほうずき提灯をさげ、ポックリ下駄をはいて「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさっては山のしおれ草」と町内をうたい歩く、8月上旬の女の子の行事です。かつては現在のように列を組まず、「盆を組む」などといって女の子が互いに肩に手をかけて町のなかを練り歩いたといいます。歌は哀調を帯びたメロディで、先祖の霊をしずめる行事ともいわれています。
長野県の芸術・文化 公益財団法人 八十二文化財団
https://www.82bunka.or.jp/bunkazai/legend/detail/08/post-31.php
松本市
https://www.city.matsumoto.nagano.jp
住吉祭(住吉大社)
毎年7/30~8/1
住吉祭は、奈良・平安時代ころにまとめられた『住吉大社神代記』に、堺での「六月解除」として既に見えています。 鎌倉時代末期の『住吉太神宮諸神事次第』には、6月晦日に堺の開口宿院へ渡御する神輿などの行列のことが記されています。『住吉大社神代記』によれば、住吉大社の夏祭りは、奈良時代には、六月の御解除として恒例的に行なわれていたようです。
大阪の夏祭りを締めくくる住吉祭は、大阪中をお祓いする「お清め」の意義があり、古くより「おはらい」ともいわれました。7月海の日に「神輿洗神事」、7月30日に「宵宮祭」、翌日「夏越祓神事・例大祭」、そして8月1日にはいよいよ、住吉大神の御神霊(おみたま)をお遷した神輿が行列を仕立て、堺の宿院頓宮までお渡りする「神輿渡御」が行われます。
2023年8月2日(水)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
八戸三社大祭
7月31日~8月4日
享保6年(1721年)、法霊社(現在の龗神社)の神輿が、天候不順の回復と五穀豊穣を願って八戸城下を一巡し、長者山虚空蔵堂(現在の新羅神社)へ渡御したのが祭りのはじまりです。
八戸市内に所在する龗(おがみ)神社、長者山新羅神社、神明宮の三社合同例祭です。8月1日のお通りと8月3日のお還りでは、三社の神幸行列に従い、27台の大型で豪華な山車が行列を組んで市内を巡行します。
盛岡さんさ踊り
8月1日~4日
その昔、南部盛岡城下に羅刹という鬼が悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。
藩政時代から伝わる盆踊り「さんさ踊り」が市内の目抜き通りで4日間繰り広げられます。踊り手、笛、太鼓あわせて2万人の群舞となり、踊り手2万人の浴衣姿も鮮やかに、600本の笛、その数日本一の5000個もの太鼓がビル街に鳴り響きます。
盛岡さんさ踊り公式サイト(盛岡さんさ踊り実行委員会)
http://www.sansaodori.jp/
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
青森ねぶた祭り
8月2日~7日
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
日本の火祭り“青森ねぶた祭”は、毎年8月2日から7日まで、全国・世界各地から約270万人の観光客を迎え、華やかに開催されます。歌舞伎や歴史・神話を題材に、「勇壮・華麗・哀調」といったさまざまな表情をもつ「ねぶた」、色とりどりの衣装を身にまとったハネトたち、心に焼き付く笛や太鼓、手振り鉦、夏の夜に強烈な光景が展開します。
青森ねぶた祭公式サイト
(青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人
青森観光コンベンション協会)
https://www.nebuta.jp/
青森市ホームページ
https://www.city.aomori.aomori.jp/index.html
大宮夏まつり
毎年8月1日~2日
氷川神社の総本山、武蔵一宮氷川神社の例大祭「中山道まつり」を中心に多くのイベントが行われます。サンバと御輿が競演するスパークカーニバル、夢を託した美しい竹飾りが揺れるなか様々な催しが行われる大宮日進七夕まつり、中山道みやはらまつり、東大宮サマーフェスティバル、指扇まつり大会など、大宮駅周辺で開催される夏祭りです。
中山道祭りでは、武蔵一宮氷川神社の境内に揃った神輿や山車は、神職からお払いを受けた後、旧中山道を練り歩きます。1日は武蔵一宮氷川神社の例大祭でお祓いを受けた大宮駅東口駅前周辺の地元町会の御輿と山車が、大宮駅前東口周辺を練り歩きます。メインとなる2日は、御輿の揃い渡御(とぎょ)・山車の揃い巡行・民踊・阿波おどり・太鼓演奏など、会場のあちこちで様々な催しが行われます。
武蔵一宮氷川神社
https://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
さいたま市
https://www.city.saitama.jp/
公益社団法人さいたま観光国際協会
https://www.stib.jp/
吉備津彦神社の御田植祭
毎年8月2日、3日
古くは平安時代より執り行われてきたとされる「五穀豊穣」を祈願する神事で、岡山県の無形民俗文化財に指定されています。もとは旧暦の六月二十七日、二十八日に行なわれたましたが、第一日目は御斗代神事といい夜中に行なわれる。かつては誰にも解らぬようにして棚に供えられていたので備前の七不思議の一つとして著名でした。二日目は御旗神事といい、生木綿を打ちかけ、先端の横木に十五本の扇をさした大旗が十七、八本程行列しました。
「岡山県指定重要無形民俗文化財」である吉備津神社の夏祭です。1日目は、厄神祭・本殿祭・御斗代祭が斎行されます。特に御斗代祭は祭員が、神池の靏島と亀島に分かれて暗闇の中でお祭りをご奉仕します。また、花火大会や露店もこの日だけの催事です。2日目は、本殿祭・御幡献納祭が斎行されます。特に御幡献納祭は、御幡の形が舟の帆柱に似た形をしていることから、桃太郎が鬼征伐して凱旋してきたときの舟の帆柱や、稲作文化が伝来したときの舟の帆柱を示しているともいわれています。
2023年8月3日(木)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
八戸三社大祭
7月31日~8月4日
享保6年(1721年)、法霊社(現在の龗神社)の神輿が、天候不順の回復と五穀豊穣を願って八戸城下を一巡し、長者山虚空蔵堂(現在の新羅神社)へ渡御したのが祭りのはじまりです。
八戸市内に所在する龗(おがみ)神社、長者山新羅神社、神明宮の三社合同例祭です。8月1日のお通りと8月3日のお還りでは、三社の神幸行列に従い、27台の大型で豪華な山車が行列を組んで市内を巡行します。
盛岡さんさ踊り
8月1日~4日
その昔、南部盛岡城下に羅刹という鬼が悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。
藩政時代から伝わる盆踊り「さんさ踊り」が市内の目抜き通りで4日間繰り広げられます。踊り手、笛、太鼓あわせて2万人の群舞となり、踊り手2万人の浴衣姿も鮮やかに、600本の笛、その数日本一の5000個もの太鼓がビル街に鳴り響きます。
盛岡さんさ踊り公式サイト(盛岡さんさ踊り実行委員会)
http://www.sansaodori.jp/
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
青森ねぶた祭り
8月2日~7日
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
日本の火祭り“青森ねぶた祭”は、毎年8月2日から7日まで、全国・世界各地から約270万人の観光客を迎え、華やかに開催されます。歌舞伎や歴史・神話を題材に、「勇壮・華麗・哀調」といったさまざまな表情をもつ「ねぶた」、色とりどりの衣装を身にまとったハネトたち、心に焼き付く笛や太鼓、手振り鉦、夏の夜に強烈な光景が展開します。
青森ねぶた祭公式サイト
(青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人
青森観光コンベンション協会)
https://www.nebuta.jp/
青森市ホームページ
https://www.city.aomori.aomori.jp/index.html
秋田竿燈まつり
8月3日~6日
始まりは、江戸時代の宝暦年間(1751~1763)と言われており、夏の眠気や邪気を祓う「ねぶり流し」を起源としています。ねぶり流しの風習に加え、提灯が普及した江戸時代、お盆の時に家の前に立てる高灯籠を持ち運べるようにしたものが、竿燈の原型と言われています。城下の職人町や商人町から発展していき、270年もの長い時を経ながら現在の形となりました。
竿燈全体を稲穂、連なる提灯を米俵に見立てて、額・腰・肩・手の平などで操って五穀豊穣を祈る祭りです。大若と呼ばれる最も大きな竿燈は高さ12m、重さ50kgにもなります。この竿燈を平手・額・肩・腰に乗せ、「ドッコイショー、ドッコイショー」のかけ声とともに、次々に技が披露されます。国重要無形民俗文化財で、東北三大祭りのひとつとされています。
万灯祭
8月3~5日
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。ご祭神は伊邪那岐大神と伊弉冉大神の二柱の神さまです。「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。生命の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
8月3日の薄暮、杉坂山(ご祭神降臨の地)で御神火祭が行われ、浄火が古式により切り出されます。麓の調宮)神社を経てご本社に運ばれると、1万灯を超える提灯に明かりが灯されます。伊邪那岐 伊邪那美の大神様は、数々の尊いご神蹟をあらわされたのち、女神さまは黄泉の国(死後の世界)の大神となられました。万灯祭は私共の祖先の御霊をお護りくださる女神様に感謝を捧げるお祭りで、湖国の夏の風物詩としても有名です。
吉備津彦神社の御田植祭
毎年8月2日、3日
古くは平安時代より執り行われてきたとされる「五穀豊穣」を祈願する神事で、岡山県の無形民俗文化財に指定されています。もとは旧暦の六月二十七日、二十八日に行なわれたましたが、第一日目は御斗代神事といい夜中に行なわれる。かつては誰にも解らぬようにして棚に供えられていたので備前の七不思議の一つとして著名でした。二日目は御旗神事といい、生木綿を打ちかけ、先端の横木に十五本の扇をさした大旗が十七、八本程行列しました。
「岡山県指定重要無形民俗文化財」である吉備津神社の夏祭です。1日目は、厄神祭・本殿祭・御斗代祭が斎行されます。特に御斗代祭は祭員が、神池の靏島と亀島に分かれて暗闇の中でお祭りをご奉仕します。また、花火大会や露店もこの日だけの催事です。2日目は、本殿祭・御幡献納祭が斎行されます。特に御幡献納祭は、御幡の形が舟の帆柱に似た形をしていることから、桃太郎が鬼征伐して凱旋してきたときの舟の帆柱や、稲作文化が伝来したときの舟の帆柱を示しているともいわれています。
2023年8月4日(金)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
八戸三社大祭
7月31日~8月4日
享保6年(1721年)、法霊社(現在の龗神社)の神輿が、天候不順の回復と五穀豊穣を願って八戸城下を一巡し、長者山虚空蔵堂(現在の新羅神社)へ渡御したのが祭りのはじまりです。
八戸市内に所在する龗(おがみ)神社、長者山新羅神社、神明宮の三社合同例祭です。8月1日のお通りと8月3日のお還りでは、三社の神幸行列に従い、27台の大型で豪華な山車が行列を組んで市内を巡行します。
盛岡さんさ踊り
8月1日~4日
その昔、南部盛岡城下に羅刹という鬼が悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。
藩政時代から伝わる盆踊り「さんさ踊り」が市内の目抜き通りで4日間繰り広げられます。踊り手、笛、太鼓あわせて2万人の群舞となり、踊り手2万人の浴衣姿も鮮やかに、600本の笛、その数日本一の5000個もの太鼓がビル街に鳴り響きます。
盛岡さんさ踊り公式サイト(盛岡さんさ踊り実行委員会)
http://www.sansaodori.jp/
いわての文化情報大事典
http://www.bunka.pref.iwate.jp/
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
青森ねぶた祭り
8月2日~7日
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
日本の火祭り“青森ねぶた祭”は、毎年8月2日から7日まで、全国・世界各地から約270万人の観光客を迎え、華やかに開催されます。歌舞伎や歴史・神話を題材に、「勇壮・華麗・哀調」といったさまざまな表情をもつ「ねぶた」、色とりどりの衣装を身にまとったハネトたち、心に焼き付く笛や太鼓、手振り鉦、夏の夜に強烈な光景が展開します。
青森ねぶた祭公式サイト
(青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人
青森観光コンベンション協会)
https://www.nebuta.jp/
青森市ホームページ
https://www.city.aomori.aomori.jp/index.html
秋田竿燈まつり
8月3日~6日
始まりは、江戸時代の宝暦年間(1751~1763)と言われており、夏の眠気や邪気を祓う「ねぶり流し」を起源としています。ねぶり流しの風習に加え、提灯が普及した江戸時代、お盆の時に家の前に立てる高灯籠を持ち運べるようにしたものが、竿燈の原型と言われています。城下の職人町や商人町から発展していき、270年もの長い時を経ながら現在の形となりました。
竿燈全体を稲穂、連なる提灯を米俵に見立てて、額・腰・肩・手の平などで操って五穀豊穣を祈る祭りです。大若と呼ばれる最も大きな竿燈は高さ12m、重さ50kgにもなります。この竿燈を平手・額・肩・腰に乗せ、「ドッコイショー、ドッコイショー」のかけ声とともに、次々に技が披露されます。国重要無形民俗文化財で、東北三大祭りのひとつとされています。
荒馬まつり
8月4日~7日
江戸時代発祥の神事。今別荒馬は田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝を祈るため催されます。神送り、サナブリ(早苗饗)の行事として伝わってきました。
馬役の男性と手綱取りの女性の二人が男女ベアで踊る、青森県無形民俗文化財しての勇壮な踊りです。東北各地で伝承されている「駒踊り」の一種であり、青森県の無形民俗文化財に指定されている今別町の伝統芸能です。 はじめはおとなしかった荒馬がしだいに激しく踊るようになります。馬役の男性と手綱取りの女性の掛け合いが楽しい踊りです。
青森県庁 祭り
https://www.pref.aomori.lg.jp/kids/09_festival.html
今別町HP 荒馬まつり
https://www.town.imabetsu.lg.jp/sightseeing/event/arama.html
荒馬(今別町役場企画調財政課)
https://www.imabetsu-arama.com/
立佞武多祭り
8月4日~8日
もっとも古い記録は享保7年(1722年)の記事で藩主が各町内の「祢ふた」を見たとありります。この時期の「ねぷた」は素朴な形でしたが、19世紀に入ると人形灯籠の出現と「ねぷた」の大型化が生じました。「ねぷた」は明治時代に入ってますます大きくなり高さが30メートル級の巨大ネプタが出現するようになりました。五所川原でも明治40年頃に高さ15間(約27メートル)に及ぶ「ねぷた」が作られていましたが、電灯線や電話線が張り巡らされるようになると小型化していきました。
五所川原の「立佞武多」は「青森ねぶた」「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の1つで、平成10年に約80年ぶりに復活しました。三大佞武多の中でも五所川原の「立佞武多」は高さ約23m、重さ約19トンの巨大な佞武多で「ヤッテマレ」の掛け声と共に練り歩き、沿道の観客を魅了します。
八重垣神社祇園祭
毎年8月4日~5日
見徳寺に所蔵する古文書によれば「祇園会は元禄十年(1697)の頃なり、別当見徳寺始め毎年天王宮免田米をもって祭礼す」とあり、これを祇園祭の起源とみることができます。神輿が担がれるようになったのは正徳三年(1713)の頃で、祇園祭特有のお囃子が登場するのは明治中期以降で、その伝承の経過から通称「三川囃子」と呼ばれています。
八重垣神社祇園祭は、10町内から合わせて20基ほどの神輿が繰り出されます。この地方特有の「あんりゃぁどした」という威勢のいい掛け声で練り歩く姿は、見ている者も心踊ります。また、神輿の行列に冷水を浴びせかけるのもこの祭りの特徴です。祇園祭では女人禁制の旧例が緩和されて、女神輿が繰り出されるようになりました。この女神輿は、全国でも珍しい女性だけが担ぐ神輿として注目を集めています。ハイライトは神輿連合渡御です。八重垣神社に次々と入る前には最高潮に達し、担ぎ手たちの力の入った渡御が見られます。
匝瑳市役所
https://www.city.sosa.lg.jp/page/page000941.html
ちば 千葉のまつり公益社団法人千葉県観光物産協会
https://maruchiba.jp/miryoku/marugoto/matsuri.html
万灯祭
8月3~5日
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。ご祭神は伊邪那岐大神と伊弉冉大神の二柱の神さまです。「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。生命の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
8月3日の薄暮、杉坂山(ご祭神降臨の地)で御神火祭が行われ、浄火が古式により切り出されます。麓の調宮)神社を経てご本社に運ばれると、1万灯を超える提灯に明かりが灯されます。伊邪那岐 伊邪那美の大神様は、数々の尊いご神蹟をあらわされたのち、女神さまは黄泉の国(死後の世界)の大神となられました。万灯祭は私共の祖先の御霊をお護りくださる女神様に感謝を捧げるお祭りで、湖国の夏の風物詩としても有名です。
つり橋まつり「揺れ太鼓」
毎年8月4日
谷瀬)の吊り橋は1954年に、谷瀬集落の住民がお金を出し合って架けた生活用の吊り橋です。高さ54メートル、長さ297メートルと、日本有数のスケールを誇っています。つり橋まつりが始まったのは1992年で、吊り橋での演奏は大阪在住の和太鼓の先生の発案でした。十津川村での交通事故死ゼロの記録更新の安全祈願を込めて、開催する運びとなりました。
生活用鉄線橋では日本一を誇る「谷瀬のつり橋」で 揺れ太鼓の演奏が行われます。地元十津川村の太鼓集団による勇壮な姿、つり橋の上での迫真の演奏は天空に響きわたり大迫力です。和太鼓を叩く「鼓魂(こだま)」のメンバーは、村営バスの運転手や旅館の主人、村役場の職員、小学生や中学生など。歩いて渡るだけでもスリル満点な吊り橋での演奏は、想像を超える揺れとの闘いになるそうです。
2023年8月5日(土)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
青森ねぶた祭り
8月2日~7日
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
日本の火祭り“青森ねぶた祭”は、毎年8月2日から7日まで、全国・世界各地から約270万人の観光客を迎え、華やかに開催されます。歌舞伎や歴史・神話を題材に、「勇壮・華麗・哀調」といったさまざまな表情をもつ「ねぶた」、色とりどりの衣装を身にまとったハネトたち、心に焼き付く笛や太鼓、手振り鉦、夏の夜に強烈な光景が展開します。
青森ねぶた祭公式サイト
(青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人
青森観光コンベンション協会)
https://www.nebuta.jp/
青森市ホームページ
https://www.city.aomori.aomori.jp/index.html
秋田竿燈まつり
8月3日~6日
始まりは、江戸時代の宝暦年間(1751~1763)と言われており、夏の眠気や邪気を祓う「ねぶり流し」を起源としています。ねぶり流しの風習に加え、提灯が普及した江戸時代、お盆の時に家の前に立てる高灯籠を持ち運べるようにしたものが、竿燈の原型と言われています。城下の職人町や商人町から発展していき、270年もの長い時を経ながら現在の形となりました。
竿燈全体を稲穂、連なる提灯を米俵に見立てて、額・腰・肩・手の平などで操って五穀豊穣を祈る祭りです。大若と呼ばれる最も大きな竿燈は高さ12m、重さ50kgにもなります。この竿燈を平手・額・肩・腰に乗せ、「ドッコイショー、ドッコイショー」のかけ声とともに、次々に技が披露されます。国重要無形民俗文化財で、東北三大祭りのひとつとされています。
荒馬まつり
8月4日~7日
江戸時代発祥の神事。今別荒馬は田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝を祈るため催されます。神送り、サナブリ(早苗饗)の行事として伝わってきました。
馬役の男性と手綱取りの女性の二人が男女ベアで踊る、青森県無形民俗文化財しての勇壮な踊りです。東北各地で伝承されている「駒踊り」の一種であり、青森県の無形民俗文化財に指定されている今別町の伝統芸能です。 はじめはおとなしかった荒馬がしだいに激しく踊るようになります。馬役の男性と手綱取りの女性の掛け合いが楽しい踊りです。
青森県庁 祭り
https://www.pref.aomori.lg.jp/kids/09_festival.html
今別町HP 荒馬まつり
https://www.town.imabetsu.lg.jp/sightseeing/event/arama.html
荒馬(今別町役場企画調財政課)
https://www.imabetsu-arama.com/
立佞武多祭り
8月4日~8日
もっとも古い記録は享保7年(1722年)の記事で藩主が各町内の「祢ふた」を見たとありります。この時期の「ねぷた」は素朴な形でしたが、19世紀に入ると人形灯籠の出現と「ねぷた」の大型化が生じました。「ねぷた」は明治時代に入ってますます大きくなり高さが30メートル級の巨大ネプタが出現するようになりました。五所川原でも明治40年頃に高さ15間(約27メートル)に及ぶ「ねぷた」が作られていましたが、電灯線や電話線が張り巡らされるようになると小型化していきました。
五所川原の「立佞武多」は「青森ねぶた」「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の1つで、平成10年に約80年ぶりに復活しました。三大佞武多の中でも五所川原の「立佞武多」は高さ約23m、重さ約19トンの巨大な佞武多で「ヤッテマレ」の掛け声と共に練り歩き、沿道の観客を魅了します。
山形花笠まつり
8月5日~7日
蔵王開山1,250年にあたる昭和38年(1963年)、山形県、山形市、山形新聞社、山形商工会議所などが中心となり、蔵王の観光開発とPRを目的に「蔵王夏まつり」が開催されました。 『山形花笠まつり』は「花笠音頭大パレード」として、この「蔵王夏まつり」のイベントのひとつでしたが、昭和40年(1965年)からは単独の『山形花笠まつり』として行う現在の形となりました。
華やかに彩られた山車を先頭に、「ヤッショ、マカショ。」の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡ります。『花笠音頭』に合わせて1万人を超える踊り手の躍動感あふれる踊りと、山形の花である『紅花』をあしらった笠の波がうねり咲きこぼれ群舞を繰り広げます。華麗な〝正調女踊り〟〝勇壮な正調男踊り〟など、多彩な踊りが観客を魅了する真夏の夜の祭典です。
郡山うねめまつり
毎年8月第1金・土・日
昭和40年に安積郡9カ町村が郡山と合併し、市民が一体となれるまつりをおこしたいという気運が高まり、郷土の伝説である釆女物語を主題とした『うねめまつり』がつくられました。
東北五大まつりのひとつ「うねめまつり」は、奈良時代のうねめ(宮中の女官)伝説にちなんだお祭りで、全市をあげて行われる郡山市最大のまつりです。
郡山市ホームページ
https://www.city.koriyama.lg.jp/index.html
郡山うねめまつり実行委員会(郡山商工会議所 開発事業部内)
https://www.ko-cci.or.jp/event/maturi/uneme.html
桐生八木節まつり
8月5日~7日
1964年に春の商工祭、夏の祇園祭・七夕祭・花火大会、秋の桐生祭、その他地域の祭礼などをまとめて、第1回桐生まつりとして開催されました。その後、1988年に桐生八木節まつりと改称し現在にいたっています。
桐生八木節まつり期間中は、市内各所での八木節おどりのほか、全日本八木節競演大会、ダンス八木節、ジャンボパレードなど多彩なイベントが繰り広げられ、大勢の人出で賑わいます。桐生の織物製品を市価よりもかなり安く一堂に集めた「織都桐生千三百年 桐生織物メチャクチャ市(桐生織物産地謝恩セール)」、市内の各団体がそれぞれのテーマに沿った衣装を着て練り歩く「ジャンボパレード」など、多彩なイベントのほか、伝統ある桐生祇園祭の神輿渡御などが行われます。
新潟まつり
8月5日~7日
新潟まつりは、北前船の寄港地であった新潟の地に、大阪の住吉神社から御神体を勧請して創建された湊元神社で、1726年(享保11年)住吉行列(住吉祭)が行われたのが起源とされます。この住吉祭と、川開き、開港記念祭、商工祭の4つの祭を1955年(昭和30年)に統合したのが現在の新潟まつりです。1955年に第一回がスタートしました。
新潟まつりは新潟市の中心部で開催されます。初日は、日本最大級の「大民謡流し」、土曜日には「市民みこし」、「水上みこし渡御」が行われます。日曜日はクライマックスの「大花火大会」です。その他にも市民参加型のステージイベント「お祭り広場」や新潟の味、飲食屋台、新潟キラキラパレードなど見どころ盛りだくさんで開催されます。
八重垣神社祇園祭
毎年8月4日~5日
見徳寺に所蔵する古文書によれば「祇園会は元禄十年(1697)の頃なり、別当見徳寺始め毎年天王宮免田米をもって祭礼す」とあり、これを祇園祭の起源とみることができます。神輿が担がれるようになったのは正徳三年(1713)の頃で、祇園祭特有のお囃子が登場するのは明治中期以降で、その伝承の経過から通称「三川囃子」と呼ばれています。
八重垣神社祇園祭は、10町内から合わせて20基ほどの神輿が繰り出されます。この地方特有の「あんりゃぁどした」という威勢のいい掛け声で練り歩く姿は、見ている者も心踊ります。また、神輿の行列に冷水を浴びせかけるのもこの祭りの特徴です。祇園祭では女人禁制の旧例が緩和されて、女神輿が繰り出されるようになりました。この女神輿は、全国でも珍しい女性だけが担ぐ神輿として注目を集めています。ハイライトは神輿連合渡御です。八重垣神社に次々と入る前には最高潮に達し、担ぎ手たちの力の入った渡御が見られます。
匝瑳市役所
https://www.city.sosa.lg.jp/page/page000941.html
ちば 千葉のまつり公益社団法人千葉県観光物産協会
https://maruchiba.jp/miryoku/marugoto/matsuri.html
万灯祭
8月3~5日
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。ご祭神は伊邪那岐大神と伊弉冉大神の二柱の神さまです。「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。生命の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
8月3日の薄暮、杉坂山(ご祭神降臨の地)で御神火祭が行われ、浄火が古式により切り出されます。麓の調宮)神社を経てご本社に運ばれると、1万灯を超える提灯に明かりが灯されます。伊邪那岐 伊邪那美の大神様は、数々の尊いご神蹟をあらわされたのち、女神さまは黄泉の国(死後の世界)の大神となられました。万灯祭は私共の祖先の御霊をお護りくださる女神様に感謝を捧げるお祭りで、湖国の夏の風物詩としても有名です。
淡路島まつり
8月の第1週の日曜日を含む金・土・日
淡路島を代表する夏祭りです。淡路島まつりのおどり大会には、本場徳島からも阿波踊りの連も参加して、素晴らしい踊りを披露してくれます。最終日の花火大会では、夜空で花開く花火と海面に映りこむ花火のグラデーションで、3日間続いた祭りのフィナーレを彩ります。
火の国祭り
例年8月第1金曜~週末
熊本の夏の風物詩で、その第1回目は1978年に開催されました。郷土色豊かな市民総参加の夏まつりとして親しまれています。
「火の国まつり」メ-ンイベントである「おてもやん総おどり」では、約60団体、総勢5,000人の踊り手が街中を熊本の代表的な民謡「おてもやん」や軽快なリズムの「サンバおてもやん」に合わせて熊本市内の中心部を踊り歩きます。
わっしょい百万夏まつり
例年8月第1金曜~~日曜
北九州市が政令指定都市になってから10年目の1973年に10周年のイベントを開こうと、社団法人北九州青年会議所のメンバーが発案し、「まつり北九州」の名前でお祭りを開催しました。北九州市の夏の風物詩「わっしょい百万夏まつり」は、昭和63年の市制25周年を機に、市民の心を一つに合わせ多くの人々が楽しめるまつりとして初めて開催されました。です。この年は福岡県北九州市の市制、政令都市25周年にあたる1988年に記念行事としてにまつり北九州が選ばれ、更にパワーアップしたお祭りにしようと、わっしょい百万夏祭りと名前を変えました。
幕開けは、鮮やかな色彩のフロートや趣向を凝らした山車の行進や参加数約4,000人の大パレードです。続いて北九州を代表する小倉祗園太鼓、黒崎祗園山笠、五平太ばやし、大里電照山笠などが一堂に集まる夏祭り大集合といった光景です。総勢約15,000人ほどが参加しての百万総踊りや花火大会など、北九州の夏祭りをまとめて楽しめます。
わっしょい百万夏まつり
(わっしょい百万夏まつり振興会)大社
https://wasshoi.info/
北九州市
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/index.html
小倉北区
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokurakita/index.html
2023年8月6日(日)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
青森ねぶた祭り
8月2日~7日
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
日本の火祭り“青森ねぶた祭”は、毎年8月2日から7日まで、全国・世界各地から約270万人の観光客を迎え、華やかに開催されます。歌舞伎や歴史・神話を題材に、「勇壮・華麗・哀調」といったさまざまな表情をもつ「ねぶた」、色とりどりの衣装を身にまとったハネトたち、心に焼き付く笛や太鼓、手振り鉦、夏の夜に強烈な光景が展開します。
青森ねぶた祭公式サイト
(青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人
青森観光コンベンション協会)
https://www.nebuta.jp/
青森市ホームページ
https://www.city.aomori.aomori.jp/index.html
秋田竿燈まつり
8月3日~6日
始まりは、江戸時代の宝暦年間(1751~1763)と言われており、夏の眠気や邪気を祓う「ねぶり流し」を起源としています。ねぶり流しの風習に加え、提灯が普及した江戸時代、お盆の時に家の前に立てる高灯籠を持ち運べるようにしたものが、竿燈の原型と言われています。城下の職人町や商人町から発展していき、270年もの長い時を経ながら現在の形となりました。
竿燈全体を稲穂、連なる提灯を米俵に見立てて、額・腰・肩・手の平などで操って五穀豊穣を祈る祭りです。大若と呼ばれる最も大きな竿燈は高さ12m、重さ50kgにもなります。この竿燈を平手・額・肩・腰に乗せ、「ドッコイショー、ドッコイショー」のかけ声とともに、次々に技が披露されます。国重要無形民俗文化財で、東北三大祭りのひとつとされています。
荒馬まつり
8月4日~7日
江戸時代発祥の神事。今別荒馬は田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝を祈るため催されます。神送り、サナブリ(早苗饗)の行事として伝わってきました。
馬役の男性と手綱取りの女性の二人が男女ベアで踊る、青森県無形民俗文化財しての勇壮な踊りです。東北各地で伝承されている「駒踊り」の一種であり、青森県の無形民俗文化財に指定されている今別町の伝統芸能です。 はじめはおとなしかった荒馬がしだいに激しく踊るようになります。馬役の男性と手綱取りの女性の掛け合いが楽しい踊りです。
青森県庁 祭り
https://www.pref.aomori.lg.jp/kids/09_festival.html
今別町HP 荒馬まつり
https://www.town.imabetsu.lg.jp/sightseeing/event/arama.html
荒馬(今別町役場企画調財政課)
https://www.imabetsu-arama.com/
立佞武多祭り
8月4日~8日
もっとも古い記録は享保7年(1722年)の記事で藩主が各町内の「祢ふた」を見たとありります。この時期の「ねぷた」は素朴な形でしたが、19世紀に入ると人形灯籠の出現と「ねぷた」の大型化が生じました。「ねぷた」は明治時代に入ってますます大きくなり高さが30メートル級の巨大ネプタが出現するようになりました。五所川原でも明治40年頃に高さ15間(約27メートル)に及ぶ「ねぷた」が作られていましたが、電灯線や電話線が張り巡らされるようになると小型化していきました。
五所川原の「立佞武多」は「青森ねぶた」「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の1つで、平成10年に約80年ぶりに復活しました。三大佞武多の中でも五所川原の「立佞武多」は高さ約23m、重さ約19トンの巨大な佞武多で「ヤッテマレ」の掛け声と共に練り歩き、沿道の観客を魅了します。
山形花笠まつり
8月5日~7日
蔵王開山1,250年にあたる昭和38年(1963年)、山形県、山形市、山形新聞社、山形商工会議所などが中心となり、蔵王の観光開発とPRを目的に「蔵王夏まつり」が開催されました。 『山形花笠まつり』は「花笠音頭大パレード」として、この「蔵王夏まつり」のイベントのひとつでしたが、昭和40年(1965年)からは単独の『山形花笠まつり』として行う現在の形となりました。
華やかに彩られた山車を先頭に、「ヤッショ、マカショ。」の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡ります。『花笠音頭』に合わせて1万人を超える踊り手の躍動感あふれる踊りと、山形の花である『紅花』をあしらった笠の波がうねり咲きこぼれ群舞を繰り広げます。華麗な〝正調女踊り〟〝勇壮な正調男踊り〟など、多彩な踊りが観客を魅了する真夏の夜の祭典です。
能代役七夕
8月6日~7日
能代ねぶながしは、千年以上も昔、阿部比羅夫や坂上田村麻呂が蝦夷との戦いの際、多数の灯籠を用いて蝦夷を威嚇したことが始まりという説や、秋の豊作を祈願するため、炎夏の眠気を覚まし、疫病払いとして米代川に灯籠を焼き流したという説など、さまざまな起源説があります。
能代市で開催される伝統的な七夕祭りです。初日には大勢の若者がお囃子や太鼓を先頭に灯籠を担いで練り歩き、2日目には灯籠の頭部分にあるシャチに火をつけて米代川に流します。能代ねぶながしとも呼ばれます。
いわき七夕まつり(平七夕まつり)
8月6日~8日
「平七夕祭り」の始まりは、大正8年に宮城県仙台市に本店がある七十七銀行が現在のいわき市の平に支店を出し、本家の仙台の七夕祭りにならい平でも同様の七夕祭りを始めたことによります。2019年より「いわき七夕まつり」に改称されました。
町中にたくさんの笹飾りや露店が並び、期間中、車道は歩行者天国となります。いわき市の伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り大会」をはじめ、最終日に開催される「いわきおどり」では、1万人以上の踊り手が一斉に踊り始めとても迫力があり、活気と熱気に溢れる、いわきの夏の風物詩になっています。
仙台七夕まつり
8月6日~8日
第6代伊達宗村が文化向上の目的で奨励したために盛んになったといわれますが、詳細は不明です。第一次大戦後の不景気の際に商店主によって大規模な飾り付けが始まりました。仙台空襲で焼け野原になった町にも多くの七夕飾りが設けられました。
日本一の規模を誇る七夕行事。東北三大祭りのひとつとして知られています。伝統の「七つ飾り」に彩られた絢爛豪華な笹飾りが華やかに街を彩り、趣向を凝らした多くのイベントもあり、全国から訪れる観光客を魅了します。
郡山うねめまつり
毎年8月第1金・土・日
昭和40年に安積郡9カ町村が郡山と合併し、市民が一体となれるまつりをおこしたいという気運が高まり、郷土の伝説である釆女物語を主題とした『うねめまつり』がつくられました。
東北五大まつりのひとつ「うねめまつり」は、奈良時代のうねめ(宮中の女官)伝説にちなんだお祭りで、全市をあげて行われる郡山市最大のまつりです。
郡山市ホームページ
https://www.city.koriyama.lg.jp/index.html
郡山うねめまつり実行委員会(郡山商工会議所 開発事業部内)
https://www.ko-cci.or.jp/event/maturi/uneme.html
桐生八木節まつり
8月5日~7日
1964年に春の商工祭、夏の祇園祭・七夕祭・花火大会、秋の桐生祭、その他地域の祭礼などをまとめて、第1回桐生まつりとして開催されました。その後、1988年に桐生八木節まつりと改称し現在にいたっています。
桐生八木節まつり期間中は、市内各所での八木節おどりのほか、全日本八木節競演大会、ダンス八木節、ジャンボパレードなど多彩なイベントが繰り広げられ、大勢の人出で賑わいます。桐生の織物製品を市価よりもかなり安く一堂に集めた「織都桐生千三百年 桐生織物メチャクチャ市(桐生織物産地謝恩セール)」、市内の各団体がそれぞれのテーマに沿った衣装を着て練り歩く「ジャンボパレード」など、多彩なイベントのほか、伝統ある桐生祇園祭の神輿渡御などが行われます。
新潟まつり
8月5日~7日
新潟まつりは、北前船の寄港地であった新潟の地に、大阪の住吉神社から御神体を勧請して創建された湊元神社で、1726年(享保11年)住吉行列(住吉祭)が行われたのが起源とされます。この住吉祭と、川開き、開港記念祭、商工祭の4つの祭を1955年(昭和30年)に統合したのが現在の新潟まつりです。1955年に第一回がスタートしました。
新潟まつりは新潟市の中心部で開催されます。初日は、日本最大級の「大民謡流し」、土曜日には「市民みこし」、「水上みこし渡御」が行われます。日曜日はクライマックスの「大花火大会」です。その他にも市民参加型のステージイベント「お祭り広場」や新潟の味、飲食屋台、新潟キラキラパレードなど見どころ盛りだくさんで開催されます。
ふるさと宮まつり(二荒山神社)
8月第一土曜・日曜
1976年に宇都宮青年会議所の創立10周年記念事業として、宇都宮市制80周年の年に挙行されました。この頃多くの都市と同様急激な都市化の波が市民相互の心のふれあいの場を次第に少なくしてしまいました。そこで、市民の交流の場をつくり、そのなかでお互いの「心」のふれあいを求め、市民意識の高揚を図ろうではないか、と新たな祭りが提案され誕生したのが「ふるさと宮まつり」です。
ふるさと宮祭は、うつのみや夏の夜の祭典です。「であいとふれあい」をテーマに、宇都宮のメインストリート、大通りを中心に繰り広げられる熱狂的なイベントです。みこし・パレード・郷土芸能・おどり・お囃子(おはやし)・和太鼓・鳶木遣りはしご乗り(とびきやりはしごのり)のほか、宮っ子よさこいなど多彩な催しが宇都宮の夜を飾ります。
淡路島まつり
8月の第1週の日曜日を含む金・土・日
淡路島を代表する夏祭りです。淡路島まつりのおどり大会には、本場徳島からも阿波踊りの連も参加して、素晴らしい踊りを披露してくれます。最終日の花火大会では、夜空で花開く花火と海面に映りこむ花火のグラデーションで、3日間続いた祭りのフィナーレを彩ります。
石取祭
毎年8月第1土,日曜日
桑名の石取祭は、旧城下町桑名の総鎮守、通称春日神社で行われ、町屋川で採取した石を氏神に奉納することを目的とした石取りと呼ばれる行事が祭礼化したものです。江戸時代初期に始まったものといわれ、桑名城下の町人や藩士が楽しみにしていた初夏の祭りです。
桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を採って祭地を浄(きよ)めるため春日神社に石を奉納する祭りで、毎年8月第1日曜日とその前日の土曜日に執り行われています。町々から曳き出される祭車は、太鼓と鉦で囃しながら町々を練り回ります。 本楽(日曜日)は午前2時より本楽の叩き出しが明け方まで行われ、午後からは各祭車が組ごとに列を作り、渡祭(神社参拝)のための順番に曳き揃えを行います。 浴衣に羽織の正装で行き交う姿は豪華絢爛な祭絵巻を醸し出します。一番くじを引いた花車を先頭に曳き出された祭車は列をなし、春日神社への渡祭が順次行われます。
長良川全国花火大会
※2023年は中止
毎年8月第1土曜日
岐阜新聞・岐阜放送が1946年から、長良川河畔で行っている花火大会です。第1回は終戦の翌年1946年に開催され、復興・岐阜を願って打ち上げられた花火は、敗戦に打ちひしがれていた岐阜の市民に生きる希望を与えたといわれています。
毎年8月の第一土曜日に開催される全国でも有数の規模を誇る花火大会です。清流長良川を舞台に全国から選りすぐりの花火師が集い、伝統技に裏打ちされた質・量ともに最高の花火を披露する花火大会です。長良川の川原から約3万発の花火が極めて高い密度で打ち上げられます。金華山をバックに迫力ある花火が観客を魅了します。昼の部は音と煙の花火がメインとなり、花火気分を盛り上げます。夜の部は、オープニングスターマインで幕を開け、日本煙火芸術協会の特別作品銘品集、感謝の花火「感佩(かんぱい)の華」、オリジナルスターマイン、ナイアガラなど盛りだくさんのプログラムが続きます。
安城七夕まつり
8月6日~8日
終戦後の、どこか暗い雰囲気のあった頃に、まちの商工業の活性化を図ろうと1950年に商工館が開館しました。農業中心のまちであった安城で商店街の大売り出しを行ったり花火大会が行われたりと、人とまちの交流が活発になっていきました。まつりの下地が育っていく中で、1952年に市制が施行され安城市が誕生すると、まつりももっと盛大なものにしようということから七夕まつりの企画がスタートしました。
安城七夕まつりは、竹飾りのストリートが日本一長いと言われ、同様に短冊の数、願いごとに関するイベントの数も日本一であると思われます。これこそが安城七夕まつりの長年にわたる歴史の中で培ってきた財産で、2009年からは「願いごと、日本一。」をキーワードに、今まで以上に願いごと関連のイベントを充実させてきました。街は大きなくす玉や七色の吹き流しで飾り付けられ、安城七夕親善大使パレード、マーチングパレード、DANCEパレードなど催し物が連日繰り広げられます。
倉吉打吹まつり
毎年8月第一土・日曜日開催
倉吉市の中心市街は打吹山の麓に位置しています。「打吹」の言葉は、打吹山に伝わる「天女伝説」に由来しています。1977年から始まる倉吉市民の祭りです。
2日にかけて行われる倉吉市の夏まつりです。1日目は、倉吉銀座通りでパレードや約1,500人の参加によるみつぼし踊り大会が行われます。2日目は会場を倉吉大橋下河川敷に移して、打吹天女コンテストやバンド演奏のステージが行われるほか、まつりのフィナーレとして花火が打ち上げられ、倉吉の夜空を彩ります。
倉吉打吹まつり公式
https://www.city.kurayoshi.lg.jp/matsuri/
鳥取県観光案内とっとり旅の生情報
(公益社団法人鳥取県観光連盟)
https://www.tottori-guide.jp/
山口七夕ちょうちんまつり
8月6日・7日
室町時代、守護大名大内盛見(1399~1431年)が先祖の冥福を祈るため、お盆の夜に笹竹の高灯篭に火をともしたのがはじまりと伝えられています。1979年、「七夕まつり」から「山口七夕ちょうちんまつり」に改称しました。8月6、7火の両日ちょうちんを灯し、毎年趣向を凝らした山笠や御輿が登場し現在に至っています。
31代大内義隆が、フランシスコ・サビエルのキリスト教布教を許し、「山口で日本初のクリスマスミサがあった」との史実にちなんだ「ちょうちんツリー」、大内弘世の時代、山口に滞在した明の使節趙秩が読んだ七言絶句の漢詩「山口十境詩」が支柱に書かれた「提灯山笠」の巡行など様々な提灯が祭りを盛り上げます。
火の国祭り
例年8月第1金曜~週末
熊本の夏の風物詩で、その第1回目は1978年に開催されました。郷土色豊かな市民総参加の夏まつりとして親しまれています。
「火の国まつり」メ-ンイベントである「おてもやん総おどり」では、約60団体、総勢5,000人の踊り手が街中を熊本の代表的な民謡「おてもやん」や軽快なリズムの「サンバおてもやん」に合わせて熊本市内の中心部を踊り歩きます。
わっしょい百万夏まつり
例年8月第1金曜~~日曜
北九州市が政令指定都市になってから10年目の1973年に10周年のイベントを開こうと、社団法人北九州青年会議所のメンバーが発案し、「まつり北九州」の名前でお祭りを開催しました。北九州市の夏の風物詩「わっしょい百万夏まつり」は、昭和63年の市制25周年を機に、市民の心を一つに合わせ多くの人々が楽しめるまつりとして初めて開催されました。です。この年は福岡県北九州市の市制、政令都市25周年にあたる1988年に記念行事としてにまつり北九州が選ばれ、更にパワーアップしたお祭りにしようと、わっしょい百万夏祭りと名前を変えました。
幕開けは、鮮やかな色彩のフロートや趣向を凝らした山車の行進や参加数約4,000人の大パレードです。続いて北九州を代表する小倉祗園太鼓、黒崎祗園山笠、五平太ばやし、大里電照山笠などが一堂に集まる夏祭り大集合といった光景です。総勢約15,000人ほどが参加しての百万総踊りや花火大会など、北九州の夏祭りをまとめて楽しめます。
わっしょい百万夏まつり
(わっしょい百万夏まつり振興会)大社
https://wasshoi.info/
北九州市
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/index.html
小倉北区
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokurakita/index.html
2023年8月7日(月)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
弘前ねぷた祭り
8月1日~7日
享保7年(1722年)五代藩主信寿の「祢むた」見物が最古です。絵画資料では、天明8年(1788年)に八代藩主信明の国入りにしたがった比良野貞彦の描いた『奥民図彙』の「子ムタ祭之図」が最古となっています。藩政時代は現在のような組ねぷたや扇ねぷたではなく、四角な燈籠に飾りをつけたものや、野菜を形どった組ねぷたであったことがわかります。
弘前ねぷたの山車は大型の燈籠で、扇ねぷたを主として、人形型の組ねぷたも見られます。構成は、扇ねぷたが額・開き・扇から、組ねぷたが額・開き・高欄・人形からなる。笛・太鼓の囃子につれて「ヤーヤド、ヤーヤド」の掛声で気勢をあげて大勢が曳きます。。大小数十のねぷたの中には古風をよく残したものも多く、青森のねぶたと並んで貴重な民俗行事となっています。
青森ねぶた祭り
8月2日~7日
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
日本の火祭り“青森ねぶた祭”は、毎年8月2日から7日まで、全国・世界各地から約270万人の観光客を迎え、華やかに開催されます。歌舞伎や歴史・神話を題材に、「勇壮・華麗・哀調」といったさまざまな表情をもつ「ねぶた」、色とりどりの衣装を身にまとったハネトたち、心に焼き付く笛や太鼓、手振り鉦、夏の夜に強烈な光景が展開します。
青森ねぶた祭公式サイト
(青森ねぶた祭実行委員会事務局 公益社団法人
青森観光コンベンション協会)
https://www.nebuta.jp/
青森市ホームページ
https://www.city.aomori.aomori.jp/index.html
荒馬まつり
8月4日~7日
江戸時代発祥の神事。今別荒馬は田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝を祈るため催されます。神送り、サナブリ(早苗饗)の行事として伝わってきました。
馬役の男性と手綱取りの女性の二人が男女ベアで踊る、青森県無形民俗文化財しての勇壮な踊りです。東北各地で伝承されている「駒踊り」の一種であり、青森県の無形民俗文化財に指定されている今別町の伝統芸能です。 はじめはおとなしかった荒馬がしだいに激しく踊るようになります。馬役の男性と手綱取りの女性の掛け合いが楽しい踊りです。
青森県庁 祭り
https://www.pref.aomori.lg.jp/kids/09_festival.html
今別町HP 荒馬まつり
https://www.town.imabetsu.lg.jp/sightseeing/event/arama.html
荒馬(今別町役場企画調財政課)
https://www.imabetsu-arama.com/
立佞武多祭り
8月4日~8日
もっとも古い記録は享保7年(1722年)の記事で藩主が各町内の「祢ふた」を見たとありります。この時期の「ねぷた」は素朴な形でしたが、19世紀に入ると人形灯籠の出現と「ねぷた」の大型化が生じました。「ねぷた」は明治時代に入ってますます大きくなり高さが30メートル級の巨大ネプタが出現するようになりました。五所川原でも明治40年頃に高さ15間(約27メートル)に及ぶ「ねぷた」が作られていましたが、電灯線や電話線が張り巡らされるようになると小型化していきました。
五所川原の「立佞武多」は「青森ねぶた」「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の1つで、平成10年に約80年ぶりに復活しました。三大佞武多の中でも五所川原の「立佞武多」は高さ約23m、重さ約19トンの巨大な佞武多で「ヤッテマレ」の掛け声と共に練り歩き、沿道の観客を魅了します。
山形花笠まつり
8月5日~7日
蔵王開山1,250年にあたる昭和38年(1963年)、山形県、山形市、山形新聞社、山形商工会議所などが中心となり、蔵王の観光開発とPRを目的に「蔵王夏まつり」が開催されました。 『山形花笠まつり』は「花笠音頭大パレード」として、この「蔵王夏まつり」のイベントのひとつでしたが、昭和40年(1965年)からは単独の『山形花笠まつり』として行う現在の形となりました。
華やかに彩られた山車を先頭に、「ヤッショ、マカショ。」の勇ましい掛け声と花笠太鼓が高らかに真夏の夜に響き渡ります。『花笠音頭』に合わせて1万人を超える踊り手の躍動感あふれる踊りと、山形の花である『紅花』をあしらった笠の波がうねり咲きこぼれ群舞を繰り広げます。華麗な〝正調女踊り〟〝勇壮な正調男踊り〟など、多彩な踊りが観客を魅了する真夏の夜の祭典です。
能代役七夕
8月6日~7日
能代ねぶながしは、千年以上も昔、阿部比羅夫や坂上田村麻呂が蝦夷との戦いの際、多数の灯籠を用いて蝦夷を威嚇したことが始まりという説や、秋の豊作を祈願するため、炎夏の眠気を覚まし、疫病払いとして米代川に灯籠を焼き流したという説など、さまざまな起源説があります。
能代市で開催される伝統的な七夕祭りです。初日には大勢の若者がお囃子や太鼓を先頭に灯籠を担いで練り歩き、2日目には灯籠の頭部分にあるシャチに火をつけて米代川に流します。能代ねぶながしとも呼ばれます。
能代市ホームページ
https://www.city.noshiro.lg.jp/res/kanko/theme/1188
祭りびと
https://matsuribito.net/05000037.php
いわき七夕まつり(平七夕まつり)
8月6日~8日
「平七夕祭り」の始まりは、大正8年に宮城県仙台市に本店がある七十七銀行が現在のいわき市の平に支店を出し、本家の仙台の七夕祭りにならい平でも同様の七夕祭りを始めたことによります。2019年より「いわき七夕まつり」に改称されました。
町中にたくさんの笹飾りや露店が並び、期間中、車道は歩行者天国となります。いわき市の伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り大会」をはじめ、最終日に開催される「いわきおどり」では、1万人以上の踊り手が一斉に踊り始めとても迫力があり、活気と熱気に溢れる、いわきの夏の風物詩になっています。
仙台七夕まつり
8月6日~8日
第6代伊達宗村が文化向上の目的で奨励したために盛んになったといわれますが、詳細は不明です。第一次大戦後の不景気の際に商店主によって大規模な飾り付けが始まりました。仙台空襲で焼け野原になった町にも多くの七夕飾りが設けられました。
日本一の規模を誇る七夕行事。東北三大祭りのひとつとして知られています。伝統の「七つ飾り」に彩られた絢爛豪華な笹飾りが華やかに街を彩り、趣向を凝らした多くのイベントもあり、全国から訪れる観光客を魅了します。
郡山うねめまつり
毎年8月第1金・土・日
昭和40年に安積郡9カ町村が郡山と合併し、市民が一体となれるまつりをおこしたいという気運が高まり、郷土の伝説である釆女物語を主題とした『うねめまつり』がつくられました。
東北五大まつりのひとつ「うねめまつり」は、奈良時代のうねめ(宮中の女官)伝説にちなんだお祭りで、全市をあげて行われる郡山市最大のまつりです。
郡山市ホームページ
https://www.city.koriyama.lg.jp/index.html
郡山うねめまつり実行委員会(郡山商工会議所 開発事業部内)
https://www.ko-cci.or.jp/event/maturi/uneme.html
桐生八木節まつり
8月5日~7日
1964年に春の商工祭、夏の祇園祭・七夕祭・花火大会、秋の桐生祭、その他地域の祭礼などをまとめて、第1回桐生まつりとして開催されました。その後、1988年に桐生八木節まつりと改称し現在にいたっています。
桐生八木節まつり期間中は、市内各所での八木節おどりのほか、全日本八木節競演大会、ダンス八木節、ジャンボパレードなど多彩なイベントが繰り広げられ、大勢の人出で賑わいます。桐生の織物製品を市価よりもかなり安く一堂に集めた「織都桐生千三百年 桐生織物メチャクチャ市(桐生織物産地謝恩セール)」、市内の各団体がそれぞれのテーマに沿った衣装を着て練り歩く「ジャンボパレード」など、多彩なイベントのほか、伝統ある桐生祇園祭の神輿渡御などが行われます。
新潟まつり
8月5日~7日
新潟まつりは、北前船の寄港地であった新潟の地に、大阪の住吉神社から御神体を勧請して創建された湊元神社で、1726年(享保11年)住吉行列(住吉祭)が行われたのが起源とされます。この住吉祭と、川開き、開港記念祭、商工祭の4つの祭を1955年(昭和30年)に統合したのが現在の新潟まつりです。1955年に第一回がスタートしました。
新潟まつりは新潟市の中心部で開催されます。初日は、日本最大級の「大民謡流し」、土曜日には「市民みこし」、「水上みこし渡御」が行われます。日曜日はクライマックスの「大花火大会」です。その他にも市民参加型のステージイベント「お祭り広場」や新潟の味、飲食屋台、新潟キラキラパレードなど見どころ盛りだくさんで開催されます。
ふるさと宮まつり(二荒山神社)
8月第一土曜・日曜
1976年に宇都宮青年会議所の創立10周年記念事業として、宇都宮市制80周年の年に挙行されました。この頃多くの都市と同様急激な都市化の波が市民相互の心のふれあいの場を次第に少なくしてしまいました。そこで、市民の交流の場をつくり、そのなかでお互いの「心」のふれあいを求め、市民意識の高揚を図ろうではないか、と新たな祭りが提案され誕生したのが「ふるさと宮まつり」です。
ふるさと宮祭は、うつのみや夏の夜の祭典です。「であいとふれあい」をテーマに、宇都宮のメインストリート、大通りを中心に繰り広げられる熱狂的なイベントです。みこし・パレード・郷土芸能・おどり・お囃子(おはやし)・和太鼓・鳶木遣りはしご乗り(とびきやりはしごのり)のほか、宮っ子よさこいなど多彩な催しが宇都宮の夜を飾ります。
石取祭
毎年8月第1土,日曜日
桑名の石取祭は、旧城下町桑名の総鎮守、通称春日神社で行われ、町屋川で採取した石を氏神に奉納することを目的とした石取りと呼ばれる行事が祭礼化したものです。江戸時代初期に始まったものといわれ、桑名城下の町人や藩士が楽しみにしていた初夏の祭りです。
桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を採って祭地を浄(きよ)めるため春日神社に石を奉納する祭りで、毎年8月第1日曜日とその前日の土曜日に執り行われています。町々から曳き出される祭車は、太鼓と鉦で囃しながら町々を練り回ります。 本楽(日曜日)は午前2時より本楽の叩き出しが明け方まで行われ、午後からは各祭車が組ごとに列を作り、渡祭(神社参拝)のための順番に曳き揃えを行います。 浴衣に羽織の正装で行き交う姿は豪華絢爛な祭絵巻を醸し出します。一番くじを引いた花車を先頭に曳き出された祭車は列をなし、春日神社への渡祭が順次行われます。
安城七夕まつり
8月6日~8日
終戦後の、どこか暗い雰囲気のあった頃に、まちの商工業の活性化を図ろうと1950年に商工館が開館しました。農業中心のまちであった安城で商店街の大売り出しを行ったり花火大会が行われたりと、人とまちの交流が活発になっていきました。まつりの下地が育っていく中で、1952年に市制が施行され安城市が誕生すると、まつりももっと盛大なものにしようということから七夕まつりの企画がスタートしました。
安城七夕まつりは、竹飾りのストリートが日本一長いと言われ、同様に短冊の数、願いごとに関するイベントの数も日本一であると思われます。これこそが安城七夕まつりの長年にわたる歴史の中で培ってきた財産で、2009年からは「願いごと、日本一。」をキーワードに、今まで以上に願いごと関連のイベントを充実させてきました。街は大きなくす玉や七色の吹き流しで飾り付けられ、安城七夕親善大使パレード、マーチングパレード、DANCEパレードなど催し物が連日繰り広げられます。
淡路島まつり
8月の第1週の日曜日を含む金・土・日
淡路島を代表する夏祭りです。淡路島まつりのおどり大会には、本場徳島からも阿波踊りの連も参加して、素晴らしい踊りを披露してくれます。最終日の花火大会では、夜空で花開く花火と海面に映りこむ花火のグラデーションで、3日間続いた祭りのフィナーレを彩ります。
倉吉打吹まつり
毎年8月第一土・日曜日開催
倉吉市の中心市街は打吹山の麓に位置しています。「打吹」の言葉は、打吹山に伝わる「天女伝説」に由来しています。1977年から始まる倉吉市民の祭りです。
2日にかけて行われる倉吉市の夏まつりです。1日目は、倉吉銀座通りでパレードや約1,500人の参加によるみつぼし踊り大会が行われます。2日目は会場を倉吉大橋下河川敷に移して、打吹天女コンテストやバンド演奏のステージが行われるほか、まつりのフィナーレとして花火が打ち上げられ、倉吉の夜空を彩ります。
倉吉打吹まつり公式
https://www.city.kurayoshi.lg.jp/matsuri/
鳥取県観光案内とっとり旅の生情報
(公益社団法人鳥取県観光連盟)
https://www.tottori-guide.jp/
山口七夕ちょうちんまつり
8月6日・7日
室町時代、守護大名大内盛見(1399~1431年)が先祖の冥福を祈るため、お盆の夜に笹竹の高灯篭に火をともしたのがはじまりと伝えられています。1979年、「七夕まつり」から「山口七夕ちょうちんまつり」に改称しました。8月6、7火の両日ちょうちんを灯し、毎年趣向を凝らした山笠や御輿が登場し現在に至っています。
31代大内義隆が、フランシスコ・サビエルのキリスト教布教を許し、「山口で日本初のクリスマスミサがあった」との史実にちなんだ「ちょうちんツリー」、大内弘世の時代、山口に滞在した明の使節趙秩が読んだ七言絶句の漢詩「山口十境詩」が支柱に書かれた「提灯山笠」の巡行など様々な提灯が祭りを盛り上げます。
火の国祭り
例年8月第1金曜~週末
熊本の夏の風物詩で、その第1回目は1978年に開催されました。郷土色豊かな市民総参加の夏まつりとして親しまれています。
「火の国まつり」メ-ンイベントである「おてもやん総おどり」では、約60団体、総勢5,000人の踊り手が街中を熊本の代表的な民謡「おてもやん」や軽快なリズムの「サンバおてもやん」に合わせて熊本市内の中心部を踊り歩きます。
わっしょい百万夏まつり
例年8月第1金曜~~日曜
北九州市が政令指定都市になってから10年目の1973年に10周年のイベントを開こうと、社団法人北九州青年会議所のメンバーが発案し、「まつり北九州」の名前でお祭りを開催しました。北九州市の夏の風物詩「わっしょい百万夏まつり」は、昭和63年の市制25周年を機に、市民の心を一つに合わせ多くの人々が楽しめるまつりとして初めて開催されました。です。この年は福岡県北九州市の市制、政令都市25周年にあたる1988年に記念行事としてにまつり北九州が選ばれ、更にパワーアップしたお祭りにしようと、わっしょい百万夏祭りと名前を変えました。
幕開けは、鮮やかな色彩のフロートや趣向を凝らした山車の行進や参加数約4,000人の大パレードです。続いて北九州を代表する小倉祗園太鼓、黒崎祗園山笠、五平太ばやし、大里電照山笠などが一堂に集まる夏祭り大集合といった光景です。総勢約15,000人ほどが参加しての百万総踊りや花火大会など、北九州の夏祭りをまとめて楽しめます。
わっしょい百万夏まつり
(わっしょい百万夏まつり振興会)大社
https://wasshoi.info/
北九州市
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/index.html
小倉北区
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokurakita/index.html
2023年8月8日(火)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
立佞武多祭り
8月4日~8日
もっとも古い記録は享保7年(1722年)の記事で藩主が各町内の「祢ふた」を見たとありります。この時期の「ねぷた」は素朴な形でしたが、19世紀に入ると人形灯籠の出現と「ねぷた」の大型化が生じました。「ねぷた」は明治時代に入ってますます大きくなり高さが30メートル級の巨大ネプタが出現するようになりました。五所川原でも明治40年頃に高さ15間(約27メートル)に及ぶ「ねぷた」が作られていましたが、電灯線や電話線が張り巡らされるようになると小型化していきました。
五所川原の「立佞武多」は「青森ねぶた」「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の1つで、平成10年に約80年ぶりに復活しました。三大佞武多の中でも五所川原の「立佞武多」は高さ約23m、重さ約19トンの巨大な佞武多で「ヤッテマレ」の掛け声と共に練り歩き、沿道の観客を魅了します。
いわき七夕まつり(平七夕まつり)
8月6日~8日
「平七夕祭り」の始まりは、大正8年に宮城県仙台市に本店がある七十七銀行が現在のいわき市の平に支店を出し、本家の仙台の七夕祭りにならい平でも同様の七夕祭りを始めたことによります。2019年より「いわき七夕まつり」に改称されました。
町中にたくさんの笹飾りや露店が並び、期間中、車道は歩行者天国となります。いわき市の伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り大会」をはじめ、最終日に開催される「いわきおどり」では、1万人以上の踊り手が一斉に踊り始めとても迫力があり、活気と熱気に溢れる、いわきの夏の風物詩になっています。
仙台七夕まつり
8月6日~8日
第6代伊達宗村が文化向上の目的で奨励したために盛んになったといわれますが、詳細は不明です。第一次大戦後の不景気の際に商店主によって大規模な飾り付けが始まりました。仙台空襲で焼け野原になった町にも多くの七夕飾りが設けられました。
日本一の規模を誇る七夕行事。東北三大祭りのひとつとして知られています。伝統の「七つ飾り」に彩られた絢爛豪華な笹飾りが華やかに街を彩り、趣向を凝らした多くのイベントもあり、全国から訪れる観光客を魅了します。
安城七夕まつり
8月6日~8日
終戦後の、どこか暗い雰囲気のあった頃に、まちの商工業の活性化を図ろうと1950年に商工館が開館しました。農業中心のまちであった安城で商店街の大売り出しを行ったり花火大会が行われたりと、人とまちの交流が活発になっていきました。まつりの下地が育っていく中で、1952年に市制が施行され安城市が誕生すると、まつりももっと盛大なものにしようということから七夕まつりの企画がスタートしました。
安城七夕まつりは、竹飾りのストリートが日本一長いと言われ、同様に短冊の数、願いごとに関するイベントの数も日本一であると思われます。これこそが安城七夕まつりの長年にわたる歴史の中で培ってきた財産で、2009年からは「願いごと、日本一。」をキーワードに、今まで以上に願いごと関連のイベントを充実させてきました。街は大きなくす玉や七色の吹き流しで飾り付けられ、安城七夕親善大使パレード、マーチングパレード、DANCEパレードなど催し物が連日繰り広げられます。
2023年8月9日(水)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
石山寺千日会
8月9日
石山寺千日会は、この日観音さまにお参りすると、千日分の功徳があるといわれ、境内には、万燈供養として、先祖や亡くなられた方を供養するお塔婆が吊り下げられた約1000張の提灯が設置されており、故人をしのぶ方々が多く参られます。石山寺は聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まりとされています。
8月9日の千日会(一日の参詣が千日の功徳を持つという深重悲願の当日)には、観音さまの前で僧侶により、護国の英霊の冥福を祈るとともに万霊の供養を行い、万灯供養が厳修されます。
よさこい祭り
毎年8月9日(前夜祭)
10日、11日(本番2日)、
12日(後夜祭・全国大会)の4日間
戦後の荒廃した市民生活が落ち着きを見せ始めた1954年8月に、不況を吹き飛ばし市民の健康と繁栄を祈願し、併せて夏枯れの商店街振興を促すため高知商工会議所が中心となり発足しました。1954年の第1回の参加人数は750人参加団体は21団体でしたが、その後参加人数は増加しついに踊り子は1万人を突破し現在は2万人に迫る勢いです。
高知市内9カ所の競演場・7ヶ所の演舞場で約200チーム、約18,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルです。伝統的な音楽からロックのバンド演奏が増え、個性豊かな髪型や衣装も見所のひとつになっております。振り付けもヒッポホップ調、ラップ調、サンバ調、ロック調、古典の踊りと工夫を凝らしており、見物人を飽きさせない祭りです。
2023年8月10日(木)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
よさこい祭り
毎年8月9日(前夜祭)
10日、11日(本番2日)、
12日(後夜祭・全国大会)の4日間
戦後の荒廃した市民生活が落ち着きを見せ始めた1954年8月に、不況を吹き飛ばし市民の健康と繁栄を祈願し、併せて夏枯れの商店街振興を促すため高知商工会議所が中心となり発足しました。1954年の第1回の参加人数は750人参加団体は21団体でしたが、その後参加人数は増加しついに踊り子は1万人を突破し現在は2万人に迫る勢いです。
高知市内9カ所の競演場・7ヶ所の演舞場で約200チーム、約18,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルです。伝統的な音楽からロックのバンド演奏が増え、個性豊かな髪型や衣装も見所のひとつになっております。振り付けもヒッポホップ調、ラップ調、サンバ調、ロック調、古典の踊りと工夫を凝らしており、見物人を飽きさせない祭りです。
2023年8月11日(金)開催の年中行事
山の日
(やまのひ)
8月11日
山の日は、平成28年から設けられた最も新しい「国民の祝日」であり、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日とされています。もっとも新しい国民の祝日です。
2023年8月11日(金)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
大文字まつり
8月11日
1968年に当時の石川大館市長が発案し大館市主催で行われたのは始まりです。日本一の大きさと美しさを誇り、悠久の父なる山、母なる山をたたえて「五色瑞鳥」といわれる鳳凰から名づけられた鳳凰山に、祖先への感謝と大館市が将来に向かい大きく発展することを祈願して大文字焼きを実施しています。
大館大文字まつりは大館市の夏の風物詩で、昼の部・夜の部の2部構成で開催されます。昼は浴衣姿の人たちによる大館大文字踊りや市内小学生のスクールバンドによる演奏が行われ、まつり気分を盛り上げます。夜になると市内を流れる長木川では花火大会が行われます。また、それと同時に市の東に位置する鳳凰山に 『 大 』 の火文字が浮かび上がります。
ちょうちん祭り(多度大社)
毎年8月11日・12日
社伝によれば、雄略天皇の御宇に社殿が造営され、天平宝字7年、満願禅師によって神宮寺が創建、その後『多度神宮寺伽藍縁起並資財帳』が牒上されるに至り、伊勢国の准国分寺と目される程の壮麗な伽藍が造営された。
ちょうちん祭りは多度大社の夏の恒例祭で上げ馬神事、流鏑馬神事と共に重要な祭りです。献灯された数千灯の提灯の灯りが一斉に灯ると、境内は幽玄な世界へと誘われます。それぞれの提灯に願いを託して奉納すると願いが叶うとされています。そして暑い夏を人々が、穏やかに過ごせますようにと祈るお祭りです。境内各所では、ビンゴゲームや夜店、キャラクターショーなど様々な楽しい催し物が行われます。ちょうちん祭りは多度大社ではになっています。多度地域の風物詩となっています。
松山まつり
毎年8月11〜13日
松山まつり(第6回までは『松山おどり』)の誕生は1966年です。2年前には、東京オリンピックが開催され、同年には松山-東京間に空の直行便が飛ぶようになるなど地元に活気がみなぎっていた時期でした。四国には、阿波おどりやよさこい鳴子おどりなど全国にその名を知られる“おどり”が多くあります。松山市としても名物の“おどり”をつくるべくと考えられたのが「松山おどり」でした。第1回『松山おどり』は、8月13・14の両日と決まり、45連、約3千人の踊り子が、二手に分かれて松山城下の中心街を踊り抜きました。
松山まつりは、8月の真夏の3日間、大街道・千舟町会場と堀之内会場の2カ所で盛大に開催されます。市民や里帰りされている皆さんに真夏の憩いを提供するほか、観光客を誘致し、地域を活性化をする役割を果たしています。大街道・千舟町会場では、野球拳おどりや野球サンバなどの連やチームが、大街道商店街から出発した後、千舟町通りで踊りを披露します。最終パフォーマンス会場の堀之内会場では、野球拳踊りなどの演舞をはじめ、飲食・物販ブースや縁日ブースが立ち並びます。
よさこい祭り
毎年8月9日(前夜祭)
10日、11日(本番2日)、
12日(後夜祭・全国大会)の4日間
戦後の荒廃した市民生活が落ち着きを見せ始めた1954年8月に、不況を吹き飛ばし市民の健康と繁栄を祈願し、併せて夏枯れの商店街振興を促すため高知商工会議所が中心となり発足しました。1954年の第1回の参加人数は750人参加団体は21団体でしたが、その後参加人数は増加しついに踊り子は1万人を突破し現在は2万人に迫る勢いです。
高知市内9カ所の競演場・7ヶ所の演舞場で約200チーム、約18,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルです。伝統的な音楽からロックのバンド演奏が増え、個性豊かな髪型や衣装も見所のひとつになっております。振り付けもヒッポホップ調、ラップ調、サンバ調、ロック調、古典の踊りと工夫を凝らしており、見物人を飽きさせない祭りです。
2023年8月12日(土)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
ちょうちん祭り(多度大社)
毎年8月11日・12日
社伝によれば、雄略天皇の御宇に社殿が造営され、天平宝字7年、満願禅師によって神宮寺が創建、その後『多度神宮寺伽藍縁起並資財帳』が牒上されるに至り、伊勢国の准国分寺と目される程の壮麗な伽藍が造営された。
ちょうちん祭りは多度大社の夏の恒例祭で上げ馬神事、流鏑馬神事と共に重要な祭りです。献灯された数千灯の提灯の灯りが一斉に灯ると、境内は幽玄な世界へと誘われます。それぞれの提灯に願いを託して奉納すると願いが叶うとされています。そして暑い夏を人々が、穏やかに過ごせますようにと祈るお祭りです。境内各所では、ビンゴゲームや夜店、キャラクターショーなど様々な楽しい催し物が行われます。ちょうちん祭りは多度大社ではになっています。多度地域の風物詩となっています。
三原やっさ祭り
毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間
永禄10年(1567年)、戦国時代の智将とうたわれた毛利元就の三男小早川隆景が、瀬戸内の水軍を統率するために、水、陸、交通の要地である備後の国三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城を築きました。やっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、 祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは"やっさ"に始まり"やっさ"に終わる習わしになったと伝えられています。
やっさ祭りは、毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間で開催され、中国地方を代表する夏祭りとして40数万人の人出で賑わいます。2日間のやっさ踊りでは、約7,000人の踊り手が、17時頃から三原駅前周辺の踊りコースを「やっさ、やっさ」と練り歩きます。また、花火大会は、20時頃から約1時間、糸崎沖から打上が行われます。
松山まつり
毎年8月11〜13日
松山まつり(第6回までは『松山おどり』)の誕生は1966年です。2年前には、東京オリンピックが開催され、同年には松山-東京間に空の直行便が飛ぶようになるなど地元に活気がみなぎっていた時期でした。四国には、阿波おどりやよさこい鳴子おどりなど全国にその名を知られる“おどり”が多くあります。松山市としても名物の“おどり”をつくるべくと考えられたのが「松山おどり」でした。第1回『松山おどり』は、8月13・14の両日と決まり、45連、約3千人の踊り子が、二手に分かれて松山城下の中心街を踊り抜きました。
松山まつりは、8月の真夏の3日間、大街道・千舟町会場と堀之内会場の2カ所で盛大に開催されます。市民や里帰りされている皆さんに真夏の憩いを提供するほか、観光客を誘致し、地域を活性化をする役割を果たしています。大街道・千舟町会場では、野球拳おどりや野球サンバなどの連やチームが、大街道商店街から出発した後、千舟町通りで踊りを披露します。最終パフォーマンス会場の堀之内会場では、野球拳踊りなどの演舞をはじめ、飲食・物販ブースや縁日ブースが立ち並びます。
鳴門市阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波踊りは日本三大盆踊りの一つです。由来はいろいろあります。天正15年(1587年)に蜂須賀家政が徳島城を落成した際、お祝いに庶民に無礼講で踊らせたことが発祥だと言われています。また、阿波踊りが旧暦の七月に行われている精霊踊りだと言う話もあります。阿波踊りは江戸時代より、明治、大正、昭和をわたり、四百年以上の歴史を持ち、日本国内で最も規模が大きい祭りになりました。
阿波踊りは2拍子で、リズムに従って踊ります。楽器は「鳴り物」と言われ、笛、三味線、太鼓、鉦、大胴などになります。男性の衣装は半天、また浴衣をしりからげにします。女性は浴衣に網笠を深く被り、下駄を履く。阿波踊りはリズムが激しくて、踊りは豪快です。女踊りは華やかでありながら力強いものに、男踊りは勇壮で大胆なものへと独自に進化を続けてきました。とくに総踊りは踊り子千人、鳴り物数百人という圧倒的な迫力で観客を魅了します。
よさこい祭り
毎年8月9日(前夜祭)
10日、11日(本番2日)、
12日(後夜祭・全国大会)の4日間
戦後の荒廃した市民生活が落ち着きを見せ始めた1954年8月に、不況を吹き飛ばし市民の健康と繁栄を祈願し、併せて夏枯れの商店街振興を促すため高知商工会議所が中心となり発足しました。1954年の第1回の参加人数は750人参加団体は21団体でしたが、その後参加人数は増加しついに踊り子は1万人を突破し現在は2万人に迫る勢いです。
高知市内9カ所の競演場・7ヶ所の演舞場で約200チーム、約18,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルです。伝統的な音楽からロックのバンド演奏が増え、個性豊かな髪型や衣装も見所のひとつになっております。振り付けもヒッポホップ調、ラップ調、サンバ調、ロック調、古典の踊りと工夫を凝らしており、見物人を飽きさせない祭りです。
さぬき高松まつり
毎年8月12日~14日
高松では1951年に「高松港まつり」が始まり、漁船のパレードや花火大会などが行われていました。この祭りに1964年年、高松中央商店街が加わり「商工港まつり」となりました。さらに1947年より屋島山上で行われていた「盆踊り大会」が開催され香川県下はもちろん四国各県や岡山県の団体も参加して盛大に行われていましたが、両まつりを一つにまとめて1964年に誕生したのが「さぬき高松まつり」です。
四国の四大祭りの一つとして、また、讃岐路の真夏の夜を彩る祭典として、市民をはじめ多くの観光客にも親しまれています。「ものっそ高松」を合言葉に、「瀬戸の都・高松」にふさわしい一大イベントとして、中央公園・中央通り・サンポート高松をメイン会場に、盛大に開催されます。あわせて開催される花火大会「どんどん高松」は四国最大級で、四国の玄関口である高松のウォーターフロントに、光のシャワーが降り注ぎます!大輪の花を咲かせる大玉や、型物、スターマインなど見どころ満載です。
阿波おどり
毎年8月12日~15日
阿波おどりは400年を超える歴史を持つといわれています。「阿波の殿様 蜂須賀様(蜂須賀公)が 今に残せし 阿波おどり」と歌われますが、徳島藩祖・蜂須賀家政による「築城起源説」に基づいています。しかし、この説には疑問も多く、現在は、盆踊りが「組踊り」「ぞめき踊り」「俄」といった民衆芸能の影響を受けながら形が作られてきたとする説が有力のようです。それでも、在郷の盆踊りではなく、徳島城下で踊られた盆踊りが現在につながっていることは間違いなさそうです。
阿波おどりは、徳島が世界に誇る伝統芸能です。今では町おこしの一環として高円寺(東京)や南越谷(埼玉)など全国各地で阿波おどりが開催されていますが、本場・徳島市では毎年8月12日から15日までの間、国内外から100万人を超える観光客が訪れるなど、日本有数のイベントとなっています。また、市中心部には一年を通して阿波おどりを楽しめる阿波おどり会館もあり、徳島市ではいつでも阿波おどりの魅力に触れることができます。
2023年8月17日(木)開催のイベント一覧
西馬音内の盆踊り
8月16日~18日
最も古い起源としては、鎌倉時代の正応年間(1288~93)に源親という修行僧が蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。 これに、関ヶ原の戦いで敗れ慶長6年(1601)に滅んだ西馬音内城主小野寺一族を偲び、土着した臣下たちが宝泉寺(西馬音内寺町)の境内で行った亡者踊りがいつの頃からか合流したと言われています。
町の中心通りで焚かれるかがり火を囲み、男性の奏でる勇ましくにぎやかなお囃子と、色鮮やかな衣装で優雅に舞う女性の艶やかさが「不調和の美」を構築し、見る者を幻想の世界に引きずり込みます。
船幸祭(建部大社)
毎年8月17日
景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命が、御子稲依別王と共に住まわれていた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが建部大社の草創です。その後天武天皇白鳳4年(675年)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として崇め奉ったのが現在の建部大社です。船幸祭はいつのころからか神輿の船渡御が中断していましたが、大正4年(1915)に大正天皇の御大典記念にあわせて再興されました。
船幸祭は近江一の宮建部大社の例祭で、湖国に夏の終わりが近い事を知らせる大津三大祭りの一つです。日本武尊が船団を従え、海路をたどられた故事に基づき執り行われる夏祭りです。 瀬田川を海路に見立て船渡御が再現されます。大神輿を載せた御座船を先頭に、船団は約4キロ下流の御旅所 がある、黒津浜(供御の瀬)へと向かいます。 到着後、古式の則って別宮の毛知比神社・新宮の新茂智神社から神饌が献じられます。 大神輿の動きに合わせ打ち上げられる花火がみどころです。
2023年8月18日(金)開催のイベント一覧
西馬音内の盆踊り
8月16日~18日
最も古い起源としては、鎌倉時代の正応年間(1288~93)に源親という修行僧が蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。 これに、関ヶ原の戦いで敗れ慶長6年(1601)に滅んだ西馬音内城主小野寺一族を偲び、土着した臣下たちが宝泉寺(西馬音内寺町)の境内で行った亡者踊りがいつの頃からか合流したと言われています。
町の中心通りで焚かれるかがり火を囲み、男性の奏でる勇ましくにぎやかなお囃子と、色鮮やかな衣装で優雅に舞う女性の艶やかさが「不調和の美」を構築し、見る者を幻想の世界に引きずり込みます。
田名部まつり(田名部神社例大祭)
8月18日~20日
田名部神社の創立年代は1616年の類焼のために不明ですが、370年の歴史を持つと言われています。
“田名部まつり”と称される下北半島最大のお祭り「田名部神社例大祭」では、京都祇園の流れを組む5台の山車が市内を練り歩きます。船で往来があった京都祇園の祭りの影響を受けているとされる飾りや囃子は、随所に祇園を感じさせます。最終日には、山車が全てそろって樽酒を酌み交わし、来年の再会を誓う「五車別れ」が行われ、クライマックスを迎えます。
旅東北 東北の観光・旅行情報サイト
(⼀般社団法⼈東北観光推進機構)
https://www.tohokukanko.jp/index.html
田名部神社
http://tanabujinja.or.jp/
むつ市
https://www.city.mutsu.lg.jp/
2023年8月19日(土)開催のイベント一覧
田名部まつり(田名部神社例大祭)
8月18日~20日
田名部神社の創立年代は1616年の類焼のために不明ですが、370年の歴史を持つと言われています。
“田名部まつり”と称される下北半島最大のお祭り「田名部神社例大祭」では、京都祇園の流れを組む5台の山車が市内を練り歩きます。船で往来があった京都祇園の祭りの影響を受けているとされる飾りや囃子は、随所に祇園を感じさせます。最終日には、山車が全てそろって樽酒を酌み交わし、来年の再会を誓う「五車別れ」が行われ、クライマックスを迎えます。
旅東北 東北の観光・旅行情報サイト
(⼀般社団法⼈東北観光推進機構)
https://www.tohokukanko.jp/index.html
田名部神社
http://tanabujinja.or.jp/
むつ市
https://www.city.mutsu.lg.jp/
花輪ばやし
8月19日~20日
花輪ばやしは、花輪の総鎮守「幸稲荷神社」に奉納される祭礼ばやしです。火災のため、起源や歴史的な背景が正確に解明されていませんが、囃子の起源は平安時代末期、都からこの地方に流れてきた貴人の笛の曲に、後世、太鼓・鉦・三味線がついて現在のような形になったと考えられています。現在のようなお祭りの形になったのは江戸時代の文化文政の頃だと考えられます。
祭典は、お盆明けの8月16日本殿から、お御輿が直径1m余りの大太鼓を従えて町内を一巡りして「御旅所」に安置されることから始まり5日間行われます。花輪ばやしは、その中の19日・20日の両日幸稲荷神社・産土の神に奉納するため盛大に行われているものです。国指定重要無形民俗文化財で、平成26年、ユネスコ無形文化遺産にも登録。
2023年8月20日(日)開催のイベント一覧
田名部まつり(田名部神社例大祭)
8月18日~20日
田名部神社の創立年代は1616年の類焼のために不明ですが、370年の歴史を持つと言われています。
“田名部まつり”と称される下北半島最大のお祭り「田名部神社例大祭」では、京都祇園の流れを組む5台の山車が市内を練り歩きます。船で往来があった京都祇園の祭りの影響を受けているとされる飾りや囃子は、随所に祇園を感じさせます。最終日には、山車が全てそろって樽酒を酌み交わし、来年の再会を誓う「五車別れ」が行われ、クライマックスを迎えます。
旅東北 東北の観光・旅行情報サイト
(⼀般社団法⼈東北観光推進機構)
https://www.tohokukanko.jp/index.html
田名部神社
http://tanabujinja.or.jp/
むつ市
https://www.city.mutsu.lg.jp/
花輪ばやし
8月19日~20日
花輪ばやしは、花輪の総鎮守「幸稲荷神社」に奉納される祭礼ばやしです。火災のため、起源や歴史的な背景が正確に解明されていませんが、囃子の起源は平安時代末期、都からこの地方に流れてきた貴人の笛の曲に、後世、太鼓・鉦・三味線がついて現在のような形になったと考えられています。現在のようなお祭りの形になったのは江戸時代の文化文政の頃だと考えられます。
祭典は、お盆明けの8月16日本殿から、お御輿が直径1m余りの大太鼓を従えて町内を一巡りして「御旅所」に安置されることから始まり5日間行われます。花輪ばやしは、その中の19日・20日の両日幸稲荷神社・産土の神に奉納するため盛大に行われているものです。国指定重要無形民俗文化財で、平成26年、ユネスコ無形文化遺産にも登録。
広瀬川灯ろう流し
8月20日
宝暦・天明・天保の大凶作によって数十万人が飢餓で亡くなりました。伊達藩のみならず藩外からも多くの人が食を求め、この広瀬川付近に集まりました。伊達藩ではできる限りの施策を取りましたが数拾万人とも伝えられるほどの多くの人が最期を迎えました。非業な死を遂げた人々を供養するため、「伊達家第七代 重村公夫人」の観心院が広瀬橋のたもとに桃源院を開基し、灯ろう流しを始めたと伝えられています。
故人を偲ぶ灯ろう流しと、未来への清栄の願いを込めての夏祭りです。毎年3000個もの灯ろうが川面を幻想的に彩ります。あわせて野外コンサートや花火大会など様々なイベントが催され、夏の風物詩として多くの人々に愛されています。
笠間のまつり
8月中旬土曜
笠間のまつりは、地元の青年会議所のメンバーにより始まりました。笠間市にはかつて鎌倉時代に築城された「笠間城」という城が存在しました。明治時代の廃城令により建物は壊されましたが、現在も石垣や堀が残っています。1991年に「笠間城」を一日限り復元させてる「一夜城」というイベントを開催したところ、多くの人が集まり非常に盛り上がったことが、笠間の祭りの始まりです。
一番の見所は、ねぶたや、その周りで跳ねる跳ね人(ハネト)たち。パレードに登場するねぶたは本場青森市のものだけでなく、市民が作成したものも登場します。その他にも神輿渡御も行われ、笠間市でしか味わえないオリジナリティーのあるねぶた祭りとなっています。
米子がいな祭
毎年7月下旬もしくは8月上旬に二日間
「米子の郷土色豊かな祭を作ろう!」との思いで、市民有志が1974年に企画開催した市民祭りです。今年で49回目を迎える米子市で開催される夏祭りです。「がいな」とは、当地の方言で「大きい」を意味する言葉です。
米子市の夏の一大行事である「米子がいな祭」では、太鼓の音が力強く鳴り響く中、人々が身長の数倍の長さの竿に吊るされた万灯(がいな万灯)を抱え上げます。お祭りのクライマックスにはおよそ6,000発もの花火が打ち上げられます。「がいな」は地元の方言で、「大きい」「巨大な」を意味します。
2023年8月21日(月)開催のイベント一覧
永平寺大燈籠流し
8月21日
1988年に先祖の御魂や自然界の生物への供養を行うことを趣旨ひ始まりました。曹洞(そうとう)宗大本山永平寺の協力も得て、町内を流れる九頭竜川に約1万基の灯籠が流れるイベントへ発展し、県内外から毎年約2万5000人の見物客が訪れています。
曹洞宗大本山永平寺の役寮、雲衲衆による読経が営まれた後、 先人たちへの「愛と感謝」、供養の想いを込めた約1万個の燈籠が流され、川面にまたたくような幻想的な光の帯をつくります。その様は荘厳にて厳粛で、 見る人の心をなごませてくれる。河川で行われる燈籠流しとしては日本一です。
永平寺町
https://www.town.eiheiji.lg.jp/
永平寺大灯籠流し
https://toronagashi.com/
福井経済新聞
https://fukui.keizai.biz/headline/903/
米子がいな祭
毎年7月下旬もしくは8月上旬に二日間
「米子の郷土色豊かな祭を作ろう!」との思いで、市民有志が1974年に企画開催した市民祭りです。今年で49回目を迎える米子市で開催される夏祭りです。「がいな」とは、当地の方言で「大きい」を意味する言葉です。
米子市の夏の一大行事である「米子がいな祭」では、太鼓の音が力強く鳴り響く中、人々が身長の数倍の長さの竿に吊るされた万灯(がいな万灯)を抱え上げます。お祭りのクライマックスにはおよそ6,000発もの花火が打ち上げられます。「がいな」は地元の方言で、「大きい」「巨大な」を意味します。
2023年8月22日(火)開催のイベント一覧
びわ湖大津ビワコイ祭り
8月22日~23日
びわ湖大津ビワコイ祭りは2016年から始まった新たな大津の夏祭りです。
滋賀発祥の伝統ある「江州音頭総踊り」をはじめ、大津の新しいお祭りとして趣向を変えた「盆ダンス」や、音楽ライブ「江州ミュージックステージ」など、バラエティ豊かなパフォーマンスが披露されます。多彩な世代と文化が交じりあい、子供から大人まで楽しめます。当日はグルメやスイーツを販売する屋台もならびます。
2023年8月23日(水)開催のイベント一覧
びわ湖大津ビワコイ祭り
8月22日~23日
びわ湖大津ビワコイ祭りは2016年から始まった新たな大津の夏祭りです。
滋賀発祥の伝統ある「江州音頭総踊り」をはじめ、大津の新しいお祭りとして趣向を変えた「盆ダンス」や、音楽ライブ「江州ミュージックステージ」など、バラエティ豊かなパフォーマンスが披露されます。多彩な世代と文化が交じりあい、子供から大人まで楽しめます。当日はグルメやスイーツを販売する屋台もならびます。
2023年8月24日(木)開催のイベント一覧
新庄まつり
8月24日~26日
藩政時代の宝暦6年(1756年)、藩主戸沢正諶が、前年の大凶作でうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ豊作を祈願するために、戸沢氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を領民あげて行ったのが起源とされています。
宵まつり・本まつりに絢爛豪華を競う 山車やたい行列、古式ゆかしい神輿渡御行列、新庄城址で踊られる風雅な萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊…。藩政時代をしのぼせる歴史絵巻が繰り広げられます。
2023年8月25日(金)開催のイベント一覧
新庄まつり
8月24日~26日
藩政時代の宝暦6年(1756年)、藩主戸沢正諶が、前年の大凶作でうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ豊作を祈願するために、戸沢氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を領民あげて行ったのが起源とされています。
宵まつり・本まつりに絢爛豪華を競う 山車やたい行列、古式ゆかしい神輿渡御行列、新庄城址で踊られる風雅な萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊…。藩政時代をしのぼせる歴史絵巻が繰り広げられます。
羽咋まつり
8月下旬
羽咋まつりは市民祭りです。地元民が集まり連や団体によって揃いの衣装で地域に伝わる「はまぐり音頭」を踊りながらパセオ通りを行進します。歌合戦や太鼓、ダンスなど見どころがいっぱいです。また、多様なステージイベントも開催されます。通りをうめつくす露店の数々は、お祭りならではのグルメを楽しむこともできて、羽咋ならではの地元特産品も多数取り揃えられています。
沖縄全島エイサーまつり
8月下旬
「沖縄全島エイサーまつり」は1956年「コザ市・エイサーコンクール」として開催されました。戦後、基地依存経済の中で商業都市として発展してきたコザ市でしたが、米国民政府による「オフ・リミッツ(米軍人・軍属・家族が 民間地域へ出入りすることを禁ずる規制)」が布かれたことによって商工業者が大ダメージを受けました。市民が暗く、希望を失いかけていたそんな折、戦後復興のシンボルでもあったエイサーがコザ市で盛んに行われていたこともあり「エイサーで元気を取り戻そう!」とエイサーコンクールが開催されたのが始まりです。
本島各地から選抜された青年会などの団体や、全国の姉妹都市や協賛団体からのゲストが集結します。会場に鳴り響く三線、歌、太鼓のリズムに酔いしれ、その迫力あるバチさばきに感動しながら、本場のエイサーのだいご味を思う存分味わうことが出来る一大イベントです。まつりは3日間に渡り、金曜日のまつり初日には、国道330号コザ・ゲート通りでの「みちじゅねー」、そして土曜日の中日が沖縄市青年団協議会による「沖縄市青年まつり」日曜日が「本祭」として、全島から集められた青年会による、エイサー大会が沖縄市コザ運動公園で開催されます。
2023年8月26日(土)開催のイベント一覧
新庄まつり
8月24日~26日
藩政時代の宝暦6年(1756年)、藩主戸沢正諶が、前年の大凶作でうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ豊作を祈願するために、戸沢氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を領民あげて行ったのが起源とされています。
宵まつり・本まつりに絢爛豪華を競う 山車やたい行列、古式ゆかしい神輿渡御行列、新庄城址で踊られる風雅な萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊…。藩政時代をしのぼせる歴史絵巻が繰り広げられます。
南越谷阿波踊り
例年8月第4金~日
1983年に徳島県出身の地元の事業課が阿波踊りを南越谷にと提唱したのがはじまりです。多くの関係者のご尽力により、提唱から二年後の1985年に第1回南越谷阿波踊りが3万人の人出の中、熱い産声をあげました。今では、延べ1万人に及ぶ開催全般のご協力者のもと、本場徳島・東京高円寺と併せて日本三大阿波踊りと言われる地元の祭りに発展し、夏の越谷に欠かせない風物詩となりました。
踊り手たちが列になって通りを進む「流し踊り」、ホールの舞台を使って踊りを披露する「舞台踊り」、各連独自のフォーメーションや鳴り物で個性を表現する「組踊り」など、さまざまな阿波踊りを楽しむことができます。前夜祭も含め、3日間で市内外から約6,500人の踊り手と約75万人の観客が訪れ、南越谷のまちは阿波踊り一色となります。
吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社)
毎年8月26日~27日
火祭りの起源伝説には「白蛇さま」に関するもの、木で作った竜を燃やしたのが始めという伝説、神道の神話説などあります。諏訪神社は今から約500年以上前からあることがわかっていますし、歴史資料には約400年以上前にはすでにお祭りがおこなわれていたとあります。また、富士山型の御影(御山神輿)も約400年以上前からかつがれていたことが古い記録から推定されるなど、古くから大切に行われてきたお祭りです。
日本三奇祭といわれる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社の秋祭りです。26日午後、本殿祭、諏訪神社祭が催行され、大神輿、御影は参拝者で賑わう氏子中に神幸します。暮れ方に御旅所に奉安されると、時同じくして、高さ3メートルの筍形に結い上げられた大松明90余本、家毎に井桁に積まれた松明に一斉に点火されると、街中は火の海と化し祭りは深夜まで賑わいます。神輿と見物客とが一体になって、夕闇の境内を廻るさまは、まさに荘厳の一語につきます。
にっぽんど真ん中祭り
例年8月末の金土日
踊りで感動が伝えられる祭りを名古屋でもつくりたい!感動を名古屋から発信したい!という学生の想いから1999年に第1回のまつりが始まったにっぽんど真ん中祭り。「観客動員ゼロ!=全員参加型」と「市民が創る祭り」をコンセプトに動き始め、約20名の大学生が実行委員会を結成しました。行政、メディア、地域社会などの幅広い共感を得て開催されました。
日本のど真ん中、真夏の名古屋を舞台に繰り広げる日本最大級の踊りの祭典、にっぽんど真ん中祭り(通称:どまつり)は、国内外から集結する約200チーム20,000人が地域色豊かな踊りを披露する、誰でも参加できる市民参加型の新しいスタイルのお祭りです。4日間の来場者数は約200万人の観客動員を数え、名古屋の街は華やかなお祭り一色に染まります。それぞれのチームが情緒ある地域文化をリズミカルにアレンジした音楽にのせて、華やかな衣装や目を見張るほどの演出を繰り広げます。そして何より、踊り手ひとりひとりの素敵な笑顔が見ている人に元気や感動を与えてくれます。
2023年8月27日(日)開催のイベント一覧
大曲全国花火競技大会
8月27日
1910年(明治43年)に諏訪神社の祭典の余興として開催された「奥羽六県煙火共進会」から始まり、100年以上の歴史を誇ります。
全国の花火師たちが技量を競う花火競技大会です。自分で製造、持参して打ち上げることが大会の参加条件となっており、最も権威ある大会と位置付けられています。昼花火、夜花火の2部制で様々な花火を楽しむことができます。日本三大花火の一つにも数えられおり、毎年大変な賑わいとなっています。
南越谷阿波踊り
例年8月第4金~日
1983年に徳島県出身の地元の事業課が阿波踊りを南越谷にと提唱したのがはじまりです。多くの関係者のご尽力により、提唱から二年後の1985年に第1回南越谷阿波踊りが3万人の人出の中、熱い産声をあげました。今では、延べ1万人に及ぶ開催全般のご協力者のもと、本場徳島・東京高円寺と併せて日本三大阿波踊りと言われる地元の祭りに発展し、夏の越谷に欠かせない風物詩となりました。
踊り手たちが列になって通りを進む「流し踊り」、ホールの舞台を使って踊りを披露する「舞台踊り」、各連独自のフォーメーションや鳴り物で個性を表現する「組踊り」など、さまざまな阿波踊りを楽しむことができます。前夜祭も含め、3日間で市内外から約6,500人の踊り手と約75万人の観客が訪れ、南越谷のまちは阿波踊り一色となります。
まつりつくば
8月下旬の土日
1981年、 祭り好きの有志達により、現在の「まつりつくば」の第1回となるイベントが開催されました。1984年からは「まつりつくば」の運営に行政が係るようになり、2014年にはつくば市長を本部長とする「まつりつくば大会本部」が結成されました。
「まつりつくば」は、茨城県つくば市で毎年8月下旬に開催されるつくば市最大のイベントです。つくばエクスプレス「つくば駅」周辺に複数の会場があり、つくば自慢の品など様々なグルメが勢ぞろいする出店や、演奏やダンスが披露されるステージなど、多彩なイベントが開催されます。
まつりつくばオフィシャルサイト
https://www.matsuri-tsukuba.com/
いばらきの伝統文化(茨城県県民生活環境部生活文化課)
http://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/dento/dento/%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%81%b0
吉田の火祭り(北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社)
毎年8月26日~27日
火祭りの起源伝説には「白蛇さま」に関するもの、木で作った竜を燃やしたのが始めという伝説、神道の神話説などあります。諏訪神社は今から約500年以上前からあることがわかっていますし、歴史資料には約400年以上前にはすでにお祭りがおこなわれていたとあります。また、富士山型の御影(御山神輿)も約400年以上前からかつがれていたことが古い記録から推定されるなど、古くから大切に行われてきたお祭りです。
日本三奇祭といわれる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社の秋祭りです。26日午後、本殿祭、諏訪神社祭が催行され、大神輿、御影は参拝者で賑わう氏子中に神幸します。暮れ方に御旅所に奉安されると、時同じくして、高さ3メートルの筍形に結い上げられた大松明90余本、家毎に井桁に積まれた松明に一斉に点火されると、街中は火の海と化し祭りは深夜まで賑わいます。神輿と見物客とが一体になって、夕闇の境内を廻るさまは、まさに荘厳の一語につきます。
浅草サンバカーニバル
毎年8月の最終土曜日
娯楽の一大中心地であった浅草をさらに盛り上げようと1971年から始まりました。当初はサンバとは異なったチームも多く出場していましたが、しだいに本格的な産婆となっていきました。東京では夏を締めくくる「浅草サンバカーニバル」は風物詩となり、近頃は毎年50万人のお客様で賑わう一大イベントに成長しました。
リオデジャネイロスタイルのサンバカーニバルを目指す浅草サンバカーニバルでは、パレードコンテストが行われ、総出場チーム数は20チーム以内、S1リーグ8チーム以内、S2リーグ12チーム以内の2リーグ制で競われます。S1チームの構成人数は150名以上で300名が上限目安、S2チームは概ね30名以上150名未満ですからどれだけ多くの人がサンバを披露しているかわかります。パレードではS1,S2ともに前年の成績下位チームから順にスタートすることになっています。
東京高円寺阿波踊り
8月最終土曜・日曜
昭和32年(1957年)高円寺の商店街に青年部が作られ街の賑わいを求めて阿波踊りが始まりました。しかし踊りも知らなかったために「高円寺ばか踊り」と称し、その後研鑽を積んで今日の高円寺阿波おどりとなりました。本行事は、隣接する商店街から周辺町会・自治会にも拡大し、この街に育まれながら、現在では1万人が踊り100万の歓声が響く、東京の夏を代表する風物詩と言われるまでに成長してきました。
高円寺阿波おどり連協会所属連が30連ほど、これに70~80の一般連、さらに徳島からの連が4連(2019年)が、JR「高円寺」駅、東京メトロ・丸ノ内線「新高円寺」駅周辺商店街及び高南通りの8演舞場で8月下旬の土日の2日間にかけて踊ります。駅前の大通りだけでなく、踊り手と観客が接するような狭い商店街で触れる阿波踊りの迫力は格別です。
にっぽんど真ん中祭り
例年8月末の金土日
踊りで感動が伝えられる祭りを名古屋でもつくりたい!感動を名古屋から発信したい!という学生の想いから1999年に第1回のまつりが始まったにっぽんど真ん中祭り。「観客動員ゼロ!=全員参加型」と「市民が創る祭り」をコンセプトに動き始め、約20名の大学生が実行委員会を結成しました。行政、メディア、地域社会などの幅広い共感を得て開催されました。
日本のど真ん中、真夏の名古屋を舞台に繰り広げる日本最大級の踊りの祭典、にっぽんど真ん中祭り(通称:どまつり)は、国内外から集結する約200チーム20,000人が地域色豊かな踊りを披露する、誰でも参加できる市民参加型の新しいスタイルのお祭りです。4日間の来場者数は約200万人の観客動員を数え、名古屋の街は華やかなお祭り一色に染まります。それぞれのチームが情緒ある地域文化をリズミカルにアレンジした音楽にのせて、華やかな衣装や目を見張るほどの演出を繰り広げます。そして何より、踊り手ひとりひとりの素敵な笑顔が見ている人に元気や感動を与えてくれます。
化野念仏寺千灯供養
毎年8月最終土日
1903年(明治36年)頃に化野に散在していた無縁仏が掘り出され、境内に集められた約8千体の石仏・石塔は賽の河原に模し、「西院の河原」と名付けられました。化野の地にお寺が建立されたのは、約千二百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属しています。
千灯供養では先ず地蔵堂前で法要が行われ、その後、西院の河原(さいのかわら)に祀られている数千体の無縁仏(石塔・石仏)にロウソクを灯して供養します。千灯供養に併せて20年ほど前から愛宕古道街道灯しが行われています。大小さまざまな行灯が街道沿いに並び、古き良き街並みをやさしい灯りがつつみ込みます。
やかげ夏の行灯まつり・やかげ小唄おどり
8月の第4土曜日
全国的に「吊り行灯」は珍しく「床置き行灯」がほとんどです。矢掛の街並みには「吊り行灯」が似合い、宿場町の風情を醸し出しています。60年ぶりに復活した「矢掛小唄」に合わせて、そろいの編笠、浴衣に着飾った40人の踊り手が「やかげ小唄おどり」を披露。ゆったりとした手振りのなかから、不思議な時間が紡ぎ出されます。
8月の夏の暑い盛りに本陣通り沿いに約150個の行灯が吊り下げられます。全国的に珍しい吊り行灯で宿場の町並みをライトアップした幻想的な風景とその町並みの中で踊る「やかげ小唄おどり」はこの地域の夏の風物詩です。
2023年8月28日(月)開催のイベント一覧
南越谷阿波踊り
例年8月第4金~日
1983年に徳島県出身の地元の事業課が阿波踊りを南越谷にと提唱したのがはじまりです。多くの関係者のご尽力により、提唱から二年後の1985年に第1回南越谷阿波踊りが3万人の人出の中、熱い産声をあげました。今では、延べ1万人に及ぶ開催全般のご協力者のもと、本場徳島・東京高円寺と併せて日本三大阿波踊りと言われる地元の祭りに発展し、夏の越谷に欠かせない風物詩となりました。
踊り手たちが列になって通りを進む「流し踊り」、ホールの舞台を使って踊りを披露する「舞台踊り」、各連独自のフォーメーションや鳴り物で個性を表現する「組踊り」など、さまざまな阿波踊りを楽しむことができます。前夜祭も含め、3日間で市内外から約6,500人の踊り手と約75万人の観客が訪れ、南越谷のまちは阿波踊り一色となります。
まつりつくば
8月下旬の土日
1981年、 祭り好きの有志達により、現在の「まつりつくば」の第1回となるイベントが開催されました。1984年からは「まつりつくば」の運営に行政が係るようになり、2014年にはつくば市長を本部長とする「まつりつくば大会本部」が結成されました。
「まつりつくば」は、茨城県つくば市で毎年8月下旬に開催されるつくば市最大のイベントです。つくばエクスプレス「つくば駅」周辺に複数の会場があり、つくば自慢の品など様々なグルメが勢ぞろいする出店や、演奏やダンスが披露されるステージなど、多彩なイベントが開催されます。
まつりつくばオフィシャルサイト
https://www.matsuri-tsukuba.com/
いばらきの伝統文化(茨城県県民生活環境部生活文化課)
http://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/dento/dento/%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%81%b0
東京高円寺阿波踊り
8月最終土曜・日曜
昭和32年(1957年)高円寺の商店街に青年部が作られ街の賑わいを求めて阿波踊りが始まりました。しかし踊りも知らなかったために「高円寺ばか踊り」と称し、その後研鑽を積んで今日の高円寺阿波おどりとなりました。本行事は、隣接する商店街から周辺町会・自治会にも拡大し、この街に育まれながら、現在では1万人が踊り100万の歓声が響く、東京の夏を代表する風物詩と言われるまでに成長してきました。
高円寺阿波おどり連協会所属連が30連ほど、これに70~80の一般連、さらに徳島からの連が4連(2019年)が、JR「高円寺」駅、東京メトロ・丸ノ内線「新高円寺」駅周辺商店街及び高南通りの8演舞場で8月下旬の土日の2日間にかけて踊ります。駅前の大通りだけでなく、踊り手と観客が接するような狭い商店街で触れる阿波踊りの迫力は格別です。
にっぽんど真ん中祭り
例年8月末の金土日
踊りで感動が伝えられる祭りを名古屋でもつくりたい!感動を名古屋から発信したい!という学生の想いから1999年に第1回のまつりが始まったにっぽんど真ん中祭り。「観客動員ゼロ!=全員参加型」と「市民が創る祭り」をコンセプトに動き始め、約20名の大学生が実行委員会を結成しました。行政、メディア、地域社会などの幅広い共感を得て開催されました。
日本のど真ん中、真夏の名古屋を舞台に繰り広げる日本最大級の踊りの祭典、にっぽんど真ん中祭り(通称:どまつり)は、国内外から集結する約200チーム20,000人が地域色豊かな踊りを披露する、誰でも参加できる市民参加型の新しいスタイルのお祭りです。4日間の来場者数は約200万人の観客動員を数え、名古屋の街は華やかなお祭り一色に染まります。それぞれのチームが情緒ある地域文化をリズミカルにアレンジした音楽にのせて、華やかな衣装や目を見張るほどの演出を繰り広げます。そして何より、踊り手ひとりひとりの素敵な笑顔が見ている人に元気や感動を与えてくれます。
化野念仏寺千灯供養
毎年8月最終土日
1903年(明治36年)頃に化野に散在していた無縁仏が掘り出され、境内に集められた約8千体の石仏・石塔は賽の河原に模し、「西院の河原」と名付けられました。化野の地にお寺が建立されたのは、約千二百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属しています。
千灯供養では先ず地蔵堂前で法要が行われ、その後、西院の河原(さいのかわら)に祀られている数千体の無縁仏(石塔・石仏)にロウソクを灯して供養します。千灯供養に併せて20年ほど前から愛宕古道街道灯しが行われています。大小さまざまな行灯が街道沿いに並び、古き良き街並みをやさしい灯りがつつみ込みます。
種子島鉄砲まつり
8月下旬 日曜日
天文12年(1543)に日本で最初に鉄砲が伝来したのを記念して、毎年開催される種子島最大規模の祭りです。開催回数はすでに50回を超えています。
「種子島火縄銃」の試射や鉄砲伝来に関わりの深い人物の扮装をした行列、子どもから大人まで持ち前の芸を披露する演芸大会などが行われ、祭りのフィナーレを飾る約8000発の花火大会が夏の夜空を舞台に繰り広げられます。
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー