7月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
1赤口 中元 (7月上旬~8月中旬)●●●● |
2先勝 ●●●●● |
3友引 ●●● |
4先負 ●● |
5仏滅 ●● |
6大安 ●●● |
7赤口 七夕●●● |
8先勝 ● |
9友引 ● |
10先負 ● |
11仏滅 |
12大安 ● |
13赤口 | 14先勝 |
15友引 ●●●● |
16先負 ●●● |
17仏滅 海の日●●●●● |
18赤口 ●●●●● |
19先勝 ● |
20友引 ● |
21先負 ● |
22仏滅 ●●●●●● |
23大安 ●●●●●● |
24赤口 ●●●●●●● |
25先勝 ●●●● |
26友引 ●● |
27先負 ● |
28仏滅 ●● |
29大安 ●● |
30赤口 土用の丑の日●●●●●● |
31先勝 ●●●●● |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
北海道…●
東北…●
北関東…●
南関東・東京…●
中部…●
近畿…●
中国・四国…●
九州・沖縄…●
年中行事…■
2023年7月1日(土)開催の年中行事
中元
(ちゅうげん)
7月上旬から8月中旬
お世話になった人や仕事上のつきあいのある人へ感謝を込めて贈り物をする習慣です。中国では正月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元といいました。中元は財物を差し出して罪過を許される日で火を焚き祭りを行いました。日本では「中元」だけが残り、お盆のお供物を贈る習慣として発展しました。
2023年7月1日(土)開催のイベント一覧
蒲原まつり(蒲原神社)
6月30日~7月2日
1968年に「蒲原まつり」の俗称が有名になったために社名が「五社神社」から「蒲原神社」へと変更になり現在に至っています。また鎌倉時代に畠山六郎重宗が始めたその年の作がらを占う「御託宣」が、蒲原まつりのメインとして今も続いています。
このまつりの特徴は他と違い、神輿の動的なものはなく、露店の並ぶまつりです。かつては露店の出店数が700店ほどありましたが、時代の流れとともに現在では約450店ほどの出店になりました。
成田祇園祭(成田山新勝寺)
7月上旬
成田祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である「奥之院 大日如来」の祭礼である、成田山祇園会にちなみ開催されてきました。 成田山祇園会は、享保6年(1721)には既に行われており、 約300年の歴史があります。当初は、成田山で管理する湯殿山権現社を中心とする祭礼として執り行われていました。湯殿山権現社とは、現在のJR成田駅参道口(東口)交番の脇にある権現山と呼ばれる広場の一角にある小さな祠のことで、遠く山形県にある出羽三山の一つである湯殿山の流れをくんでいます。
成田祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊不動明王の本地仏である奥之院に奉安された「大日如来」に五穀豊穣・万民豊楽・所願成就を祈願する「成田山祇園会」と、成田山周辺の町内が一体となり行われる夏祭りで、約300年の歴史があります。祇園会期間中の7月7・8・9日に直近の、金曜日・土曜日・日曜日の3日間成田祇園祭が開催され、成田の街はお祭りムード一色に染まります。成田山の御輿と豪華絢爛な山車、屋台が賑やかなお囃子の音色や威勢のよいかけ声と共に成田山へ続く参道を中心に巡行します。
成田市観光協会 公式サイト
http://www.nrtk.jp/enjoy/shikisaisai/gion-festival.html
成田市HP
https://www.city.narita.chiba.jp/
成田あれ・これ(平成29年7月号 第266号 一社)成田市観光協会発行)
https://www.city.narita.chiba.jp/content/000050897.pdf
湘南ひらつか七夕まつり
7月の第一金曜から3日間
平塚は昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け中心市街地の約70%が焼け野原と化してしまいました。しかし復興は早く1950年に「復興まつり」が開催されました。そして平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって1951年に仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。1957年の第7回七夕まつりからは、平塚市の主催となり、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしており、今日では、日本を代表する七夕まつりに成長しています。
平塚の七夕まつりは、日本一といわれる七夕飾りの豪華さに特色があります。中心街には約500本、特にメーン会場である「湘南スターモール」は絢爛豪華な飾りが通りを埋め尽くします。中には、10mを超える大型飾りもあり、期間中は七夕飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげられ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。さらに、湘南ひらつか織り姫がパレードや市中訪問など様々な行事でまつりを一層盛り上げています。
あばれ祭
毎年7月第一金曜・土曜
350年前、当地に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を招請して盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救いました。喜んだ地元の人は、キリコを担いで八坂神社へ詣でたのが始まりとされています。
石川県無形民俗文化財となっている勇壮な祭りで、この祭りを皮切りに能登のあちこちで夏祭りが始まります。高さ7m、40数本の奉燈(キリコ)が大松明の火粉の中を乱舞し、2基の御輿を海や川、火の中に投げ込んで暴れる勇壮な祭りです。
愛染まつり
例年6月30日~7月2日
愛染祭は、聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている無病息災を祈る祭事です。夏越しの大祓を兼ねており、初日の6月30日には和宗総本山四天王寺の住職らが出仕する「夏越しの祓え大法要」が多宝塔にて厳修されます。聖徳太子ゆかりの四天王寺支院である勝鬘院、金堂の御本尊が愛染明王であるため、「愛染さん」の愛称で親しまれている。
大阪に一足早く夏の訪れを告げるお祭りです。この祭りに浴衣を着ていく人も多いことから浴衣祭りとも呼ばれます。見どころは初日に行われる宝恵パレードで、12人の愛染娘を載せた宝恵かごが練り歩きます。期間中は約300軒もの露店が並び賑わいます。
2023年7月2日(日)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
蒲原まつり(蒲原神社)
6月30日~7月2日
1968年に「蒲原まつり」の俗称が有名になったために社名が「五社神社」から「蒲原神社」へと変更になり現在に至っています。また鎌倉時代に畠山六郎重宗が始めたその年の作がらを占う「御託宣」が、蒲原まつりのメインとして今も続いています。
このまつりの特徴は他と違い、神輿の動的なものはなく、露店の並ぶまつりです。かつては露店の出店数が700店ほどありましたが、時代の流れとともに現在では約450店ほどの出店になりました。
湘南ひらつか七夕まつり
7月の第一金曜から3日間
平塚は昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け中心市街地の約70%が焼け野原と化してしまいました。しかし復興は早く1950年に「復興まつり」が開催されました。そして平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって1951年に仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。1957年の第7回七夕まつりからは、平塚市の主催となり、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしており、今日では、日本を代表する七夕まつりに成長しています。
平塚の七夕まつりは、日本一といわれる七夕飾りの豪華さに特色があります。中心街には約500本、特にメーン会場である「湘南スターモール」は絢爛豪華な飾りが通りを埋め尽くします。中には、10mを超える大型飾りもあり、期間中は七夕飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげられ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。さらに、湘南ひらつか織り姫がパレードや市中訪問など様々な行事でまつりを一層盛り上げています。
あばれ祭
毎年7月第一金曜・土曜
350年前、当地に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を招請して盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救いました。喜んだ地元の人は、キリコを担いで八坂神社へ詣でたのが始まりとされています。
石川県無形民俗文化財となっている勇壮な祭りで、この祭りを皮切りに能登のあちこちで夏祭りが始まります。高さ7m、40数本の奉燈(キリコ)が大松明の火粉の中を乱舞し、2基の御輿を海や川、火の中に投げ込んで暴れる勇壮な祭りです。
愛染まつり
例年6月30日~7月2日
愛染祭は、聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている無病息災を祈る祭事です。夏越しの大祓を兼ねており、初日の6月30日には和宗総本山四天王寺の住職らが出仕する「夏越しの祓え大法要」が多宝塔にて厳修されます。聖徳太子ゆかりの四天王寺支院である勝鬘院、金堂の御本尊が愛染明王であるため、「愛染さん」の愛称で親しまれている。
大阪に一足早く夏の訪れを告げるお祭りです。この祭りに浴衣を着ていく人も多いことから浴衣祭りとも呼ばれます。見どころは初日に行われる宝恵パレードで、12人の愛染娘を載せた宝恵かごが練り歩きます。期間中は約300軒もの露店が並び賑わいます。
2023年7月3日(月)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
湘南ひらつか七夕まつり
7月の第一金曜から3日間
平塚は昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け中心市街地の約70%が焼け野原と化してしまいました。しかし復興は早く1950年に「復興まつり」が開催されました。そして平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって1951年に仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。1957年の第7回七夕まつりからは、平塚市の主催となり、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしており、今日では、日本を代表する七夕まつりに成長しています。
平塚の七夕まつりは、日本一といわれる七夕飾りの豪華さに特色があります。中心街には約500本、特にメーン会場である「湘南スターモール」は絢爛豪華な飾りが通りを埋め尽くします。中には、10mを超える大型飾りもあり、期間中は七夕飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげられ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。さらに、湘南ひらつか織り姫がパレードや市中訪問など様々な行事でまつりを一層盛り上げています。
戸出七夕まつり
例年7月3日~7日
日本国内の他の七夕祭りでは、梅雨時期を避ける理由などで8月頃に開催する地域も多いですが、戸出の祭りでは、7月7日開催を守り続けています。現在の七夕祭りは、1963年に戸出商工会(現・高岡市商工会)の企画により、始まり、例年、町と商店街、地域住民の協力により、数千本の七夕が飾られています。
高岡市戸出地区に伝わる伝統的な行事で、18mのジャンボ七夕など大小1,500本の七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾ります。夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、「日本一美しい七夕まつり」とも言われます。また、7月7日は男の子の節句とされており、男の子のいる家庭では子供の健やかな成長を願い七夕飾りを作ります。このあたりに伝わる風習として、明治から現在に至るまで長く受け継がれています。
高岡市商工会青年部
https://impulse-takaoka.com/activities
高岡市商工会
https://www.shokoren-toyama.or.jp/~takaoka/
高岡市観光ポータルサイト
https://www.takaoka.or.jp/
【公式】富山県の観光/旅行サイト「とやま観光ナビ」
https://www.info-toyama.com/events/20025
2023年7月4日(火)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
戸出七夕まつり
例年7月3日~7日
日本国内の他の七夕祭りでは、梅雨時期を避ける理由などで8月頃に開催する地域も多いですが、戸出の祭りでは、7月7日開催を守り続けています。現在の七夕祭りは、1963年に戸出商工会(現・高岡市商工会)の企画により、始まり、例年、町と商店街、地域住民の協力により、数千本の七夕が飾られています。
高岡市戸出地区に伝わる伝統的な行事で、18mのジャンボ七夕など大小1,500本の七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾ります。夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、「日本一美しい七夕まつり」とも言われます。また、7月7日は男の子の節句とされており、男の子のいる家庭では子供の健やかな成長を願い七夕飾りを作ります。このあたりに伝わる風習として、明治から現在に至るまで長く受け継がれています。
高岡市商工会青年部
https://impulse-takaoka.com/activities
高岡市商工会
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高岡市観光ポータルサイト
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2023年7月5日(水)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
戸出七夕まつり
例年7月3日~7日
日本国内の他の七夕祭りでは、梅雨時期を避ける理由などで8月頃に開催する地域も多いですが、戸出の祭りでは、7月7日開催を守り続けています。現在の七夕祭りは、1963年に戸出商工会(現・高岡市商工会)の企画により、始まり、例年、町と商店街、地域住民の協力により、数千本の七夕が飾られています。
高岡市戸出地区に伝わる伝統的な行事で、18mのジャンボ七夕など大小1,500本の七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾ります。夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、「日本一美しい七夕まつり」とも言われます。また、7月7日は男の子の節句とされており、男の子のいる家庭では子供の健やかな成長を願い七夕飾りを作ります。このあたりに伝わる風習として、明治から現在に至るまで長く受け継がれています。
高岡市商工会青年部
https://impulse-takaoka.com/activities
高岡市商工会
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高岡市観光ポータルサイト
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【公式】富山県の観光/旅行サイト「とやま観光ナビ」
https://www.info-toyama.com/events/20025
2023年7月6日(木)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
村上大祭(八雲神社)
7月6日~7日
村上大祭は、寛永10年(1633)、時の村上藩主が神社(西奈彌羽黒神社)を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして、臥牛山の中腹から現在の場所へ遷座されたことを記念して行われています。羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・社名旗・四神旗・五色旗・神職・神輿三基・神馬・各町しゃぎり19台と続く行列を構成していました。
7月6日(宵祭り)から7日(本祭り)にかけて村上の伝統産業である彫刻や漆塗りを施し、金銀の飾りをつけた絢爛豪華なシャギリ屋台が市の中心部を巡る村上大祭。県下三大祭りの一つに数えられるこの大祭は、三基の神輿に御神霊を奉遷し、太鼓を先導とする長い行列が各町内を巡行する「お旅神事」です。7日の午前5時ごろになると三々五々、神社前に19台のシャギリ屋台が集合し、御神霊を載せた神輿が出発します。その後を19町内のシャギリ屋台が続き、上下にゆれ、左右にうねりながら優雅なシャギリ屋台に沿道からの歓声が上がります。
戸出七夕まつり
例年7月3日~7日
日本国内の他の七夕祭りでは、梅雨時期を避ける理由などで8月頃に開催する地域も多いですが、戸出の祭りでは、7月7日開催を守り続けています。現在の七夕祭りは、1963年に戸出商工会(現・高岡市商工会)の企画により、始まり、例年、町と商店街、地域住民の協力により、数千本の七夕が飾られています。
高岡市戸出地区に伝わる伝統的な行事で、18mのジャンボ七夕など大小1,500本の七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾ります。夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、「日本一美しい七夕まつり」とも言われます。また、7月7日は男の子の節句とされており、男の子のいる家庭では子供の健やかな成長を願い七夕飾りを作ります。このあたりに伝わる風習として、明治から現在に至るまで長く受け継がれています。
高岡市商工会青年部
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高岡市商工会
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高岡市観光ポータルサイト
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2023年7月7日(金)開催の年中行事
七夕
(たなばた)
7月7日
五節句の一つで「七夕の節句」といい、7月7日に行われます。笹の葉に願い事を書いた短冊を掛けて祈願する風習があります。吹き流しは魔除け、網飾りは豊年豊作大漁、折鶴は長寿、紙の人形(神衣)は裁縫上達、財布(巾着)は金運上昇の意味があります。七夕の起源には諸説あり、豊作を祈って女性が着物を織って神様に供えた「棚機」、一年に一度しか会えない織姫と彦星の伝説、中国から伝わった行事が合わさったものと考えられています。
2023年7月7日(金)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
村上大祭(八雲神社)
7月6日~7日
村上大祭は、寛永10年(1633)、時の村上藩主が神社(西奈彌羽黒神社)を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして、臥牛山の中腹から現在の場所へ遷座されたことを記念して行われています。羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・社名旗・四神旗・五色旗・神職・神輿三基・神馬・各町しゃぎり19台と続く行列を構成していました。
7月6日(宵祭り)から7日(本祭り)にかけて村上の伝統産業である彫刻や漆塗りを施し、金銀の飾りをつけた絢爛豪華なシャギリ屋台が市の中心部を巡る村上大祭。県下三大祭りの一つに数えられるこの大祭は、三基の神輿に御神霊を奉遷し、太鼓を先導とする長い行列が各町内を巡行する「お旅神事」です。7日の午前5時ごろになると三々五々、神社前に19台のシャギリ屋台が集合し、御神霊を載せた神輿が出発します。その後を19町内のシャギリ屋台が続き、上下にゆれ、左右にうねりながら優雅なシャギリ屋台に沿道からの歓声が上がります。
戸出七夕まつり
例年7月3日~7日
日本国内の他の七夕祭りでは、梅雨時期を避ける理由などで8月頃に開催する地域も多いですが、戸出の祭りでは、7月7日開催を守り続けています。現在の七夕祭りは、1963年に戸出商工会(現・高岡市商工会)の企画により、始まり、例年、町と商店街、地域住民の協力により、数千本の七夕が飾られています。
高岡市戸出地区に伝わる伝統的な行事で、18mのジャンボ七夕など大小1,500本の七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾ります。夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出し、「日本一美しい七夕まつり」とも言われます。また、7月7日は男の子の節句とされており、男の子のいる家庭では子供の健やかな成長を願い七夕飾りを作ります。このあたりに伝わる風習として、明治から現在に至るまで長く受け継がれています。
高岡市商工会青年部
https://impulse-takaoka.com/activities
高岡市商工会
https://www.shokoren-toyama.or.jp/~takaoka/
高岡市観光ポータルサイト
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世義寺 柴燈大護摩
7月7日
世義寺は天平十三年(741)聖武天皇の勅により行基菩薩が国家鎮護の祈願所として、伊勢の前山に創建されました真言宗の修験道寺院です。柴燈大護摩は野外に護摩木や藁(わら)などを積み上げて点火し祈願する日本独特の仏教行事です。
「ごまさん」と親しまれる護摩法要で、家内安全、豊作、豊魚を祈って5万人以上の参拝者等で賑わう日本三大護摩の一つ。世義寺は正式には教王山神宮寺宝金剛院といい、天平年間(729~749)頃、聖武天皇の勅願によって行基が開いたといわれる真言宗の寺です。参道等には、たくさんの露店が立ち並びます。
公益社団法人伊勢市観光協会
https://ise-kanko.jp/
三重県観光連盟公式サイト
https://www.kankomie.or.jp/event/detail_5095.html
2023年7月8日(土)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
2023年7月9日(日)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
2023年7月10日(月)開催のイベント一覧
おくのほそ道天童紅花まつり
7月2日~10日
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ、「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」と「行く末は誰が肌ふれん紅の花」と詠んだことにちなんで開催されています。
約7万本のオレンジ色の紅花が満開を迎えると、紅花畑一面が鮮やかに染まります。まつり期間中は紅花摘み体験やリップクリーム作り体験など様々なイベントが催されます。
2023年7月12日(水)開催のイベント一覧
久喜提灯祭り
7月12日・18日
久喜提燈祭り「天王様」は、旧久喜町の鎮守である八雲神社の祭礼です。天明3年(1783)の浅間山の大噴火で、桑をはじめ夏作物が全滅したことによる、生活苦、社会不安などを取り除くため、祭礼用の山車を曳き廻して豊作を祈願したのが始まりと伝えられ、230余年の歴史と伝統を誇る祭りです。
祭りは毎年7月12日と18日に行われます。7町内から7台の山車が繰り出され、昼間は、神話などから題材をとった人物の人形を山車の上に飾り立て、町内を曳き廻します。夜は、人形を取りはずし、山車の四面に約500個の提燈を飾りつけた、提燈山車に早変わりします。この提燈山車は夏の夜を彩るイベントとして最大の見どころとなっています。町内の若い衆が、賑やかな笛や鉦・太鼓のお囃子にのせ、関東一と言われる山車を回転させたりして、市内を巡行する様はまさに圧巻です。
2023年7月15日(土)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
佐原の大祭(夏祭り)(諏訪神社)
7月15日~17日
祇園祭は、京都で貞観年間(859~877)に疫病の祟を鎮めるために始められた祇園御霊会に由来しています。文献資料からは、14世紀にはすでに八坂神社の前身である牛頭天王社が佐原八日市場の地に祀られていたことが知られています。祇園祭自体いつの頃から始められたのかは定かではありませんが、元禄15年(1702)までには旧暦の6月10日に浜下りの神事が、6月12日には祇園の神事が行われていました。
小江戸佐原の一大イベント「佐原の大祭」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有しています。自慢の山車は、総欅造り等の本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られています。日本三大囃子「佐原囃子」を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並みを、家々の軒先をかすめながら山車が進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせます。
香取市役所
https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/
千葉県公式観光物産サイト まるごとeちば
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/21221/
久留里夏祭り(久留里神社・八坂神社)
7月中旬
久留里神社(妙見様)と八坂神社のお祭りです。久留里神社は、平将門が勧請したといわれる両総六妙見の一社とされています。
例年7月の中旬に「久留里夏祭り」が開催されます。この祭りでは久留里駅前と久留里商店街を舞台に県内でも有数の大きさの4基の山車の引きまわしが行われます。かつての城下町を山車が移動する様子は大変勇壮で勢いのあるものです。また、山車や神輿が久留里駅前広場に集合し、お囃子や太鼓、ダンスなどの演芸イベントが行われます。
伊勢神宮奉納全国花火大会
7月中旬(2023年第70回大会の開催は未定)
当大会は、神宮に花火を奉納する唯一無二の大会として、1953年に斎行された第59回神宮式年遷宮を記念してはじめられました。北白川房子祭主を迎え、宮川堤に約15万人の観衆を集めて開かれました。全国の花火師51名が参加、数千発の打ち上げ花火と十数基の仕掛け花火で約7時間に渡って開催されました。
全国で神宮といえば、伊勢神宮を指します。全国でも早い時期に開催されるこの大会は、北は秋田県、南は鹿児島県など、全国各地から選抜された花火師たちが神宮に奉納し、日頃の研鑽の成果を神都伊勢の夜空に放揚する「競技花火大会」です。また、花火師たちがその年の安全を祈願する場ともなっています。
小倉祇園太鼓(八坂神社)
例年7月第3土曜を含む3日間
祇園祭は、小倉城を築城した細川忠興公が無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、元和3年(1617年)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものです。鉦(かね)、鼓(つづみ)、笛を用いたと記録にあり、その叩き方は「能」の形式でした。江戸時代は八坂神社の祭礼として定着し、東西曲輪の各町内が、山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していました。
小倉祇園太鼓は福岡県北九州市の中心部である小倉で400年続いている「国指定重要無形民俗文化財」に指定された祇園祭です。江戸時代は八坂神社の神幸行事としての「廻り祇園」が中心で、各町内が山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していました。明治、大正時代を経て、山車の前後に太鼓を載せる現在の形となりました。全国的にも珍しい太鼓の両面かつ歩行打ちが特長です。
2023年7月16日(日)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
佐原の大祭(夏祭り)(諏訪神社)
7月15日~17日
祇園祭は、京都で貞観年間(859~877)に疫病の祟を鎮めるために始められた祇園御霊会に由来しています。文献資料からは、14世紀にはすでに八坂神社の前身である牛頭天王社が佐原八日市場の地に祀られていたことが知られています。祇園祭自体いつの頃から始められたのかは定かではありませんが、元禄15年(1702)までには旧暦の6月10日に浜下りの神事が、6月12日には祇園の神事が行われていました。
小江戸佐原の一大イベント「佐原の大祭」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有しています。自慢の山車は、総欅造り等の本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られています。日本三大囃子「佐原囃子」を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並みを、家々の軒先をかすめながら山車が進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせます。
香取市役所
https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/
千葉県公式観光物産サイト まるごとeちば
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/21221/
小倉祇園太鼓(八坂神社)
例年7月第3土曜を含む3日間
祇園祭は、小倉城を築城した細川忠興公が無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、元和3年(1617年)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものです。鉦(かね)、鼓(つづみ)、笛を用いたと記録にあり、その叩き方は「能」の形式でした。江戸時代は八坂神社の祭礼として定着し、東西曲輪の各町内が、山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していました。
小倉祇園太鼓は福岡県北九州市の中心部である小倉で400年続いている「国指定重要無形民俗文化財」に指定された祇園祭です。江戸時代は八坂神社の神幸行事としての「廻り祇園」が中心で、各町内が山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していました。明治、大正時代を経て、山車の前後に太鼓を載せる現在の形となりました。全国的にも珍しい太鼓の両面かつ歩行打ちが特長です。
2023年7月17日(月)開催の年中行事
海の日
(うみのひ)
7月第三月曜日
海の日は、平成8年から設けられた「国民の祝日」であり、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日とされています。祝日化される前は海の記念日と呼ばれていました。
2023年7月17日(月)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
塩竈みなと祭り
7月17日~18日
戦後間もない昭和23年(1948)、港町塩竈の産業復興と疲れきった市民の元気回復を願って始められました。
厳島神社(広島県)の管弦祭、貴船神社(神奈川県)の貴船まつりとともに「日本三大船祭」に数えられ、海の祭典としては全国有数の規模を誇ります。最大の見せ場である神輿海上渡御では、東北有数の参拝者数を誇る「陸奥国一宮」志波彦神社・鹽竈神社の2基の神輿をのせた御座船「龍鳳丸」「鳳凰丸」が約100隻もの供奉船を従え、日本三景松島湾内を巡幸します。
佐原の大祭(夏祭り)(諏訪神社)
7月15日~17日
祇園祭は、京都で貞観年間(859~877)に疫病の祟を鎮めるために始められた祇園御霊会に由来しています。文献資料からは、14世紀にはすでに八坂神社の前身である牛頭天王社が佐原八日市場の地に祀られていたことが知られています。祇園祭自体いつの頃から始められたのかは定かではありませんが、元禄15年(1702)までには旧暦の6月10日に浜下りの神事が、6月12日には祇園の神事が行われていました。
小江戸佐原の一大イベント「佐原の大祭」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有しています。自慢の山車は、総欅造り等の本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られています。日本三大囃子「佐原囃子」を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並みを、家々の軒先をかすめながら山車が進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせます。
香取市役所
https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/
千葉県公式観光物産サイト まるごとeちば
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/21221/
豊橋祇園祭
7月17日~18日
豊橋市関屋町の吉田神社で行われていた神事が起源とされています。古くより花火祭としてその名を遠近に知られ、滝沢馬琴は「吉田の今日の花火天下一」と称しています。かつては吉田城内天王社祭礼として陰暦6月13日より15日の3日間に渡り行われました。神輿渡御は、天文16年(1547)に今川義元が神輿を寄進している事からその歴史は古く、頼朝に扮した男児が神輿と共に騎馬にて進む姿から頼朝行列とも呼ばれます。
神輿渡御を本祭とし、前々夜には手筒花火奉納、前夜には豊川河畔で打ち上げ花火が行われます。本祭では、氏子衆による華やかな行列も登場し、豊橋市街を練り歩きます。吉田神社発祥である手筒花火の披露、コンクール花火、スターマインが見られるなど、バラエティに富んだ花火が豊川河畔から打ち上げられます。毎年、ファンを魅了する大スターマインはラストに登場します。
小倉祇園太鼓(八坂神社)
例年7月第3土曜を含む3日間
祇園祭は、小倉城を築城した細川忠興公が無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、元和3年(1617年)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものです。鉦(かね)、鼓(つづみ)、笛を用いたと記録にあり、その叩き方は「能」の形式でした。江戸時代は八坂神社の祭礼として定着し、東西曲輪の各町内が、山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していました。
小倉祇園太鼓は福岡県北九州市の中心部である小倉で400年続いている「国指定重要無形民俗文化財」に指定された祇園祭です。江戸時代は八坂神社の神幸行事としての「廻り祇園」が中心で、各町内が山車、傘鉾、踊車、人形飾り山などの出し物を、町内単位で披露していました。明治、大正時代を経て、山車の前後に太鼓を載せる現在の形となりました。全国的にも珍しい太鼓の両面かつ歩行打ちが特長です。
2023年7月18日(火)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
塩竈みなと祭り
7月17日~18日
戦後間もない昭和23年(1948)、港町塩竈の産業復興と疲れきった市民の元気回復を願って始められました。
厳島神社(広島県)の管弦祭、貴船神社(神奈川県)の貴船まつりとともに「日本三大船祭」に数えられ、海の祭典としては全国有数の規模を誇ります。最大の見せ場である神輿海上渡御では、東北有数の参拝者数を誇る「陸奥国一宮」志波彦神社・鹽竈神社の2基の神輿をのせた御座船「龍鳳丸」「鳳凰丸」が約100隻もの供奉船を従え、日本三景松島湾内を巡幸します。
塩竈市観光物産協会 https://kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/
久喜提灯祭り
7月12日・18日
久喜提燈祭り「天王様」は、旧久喜町の鎮守である八雲神社の祭礼です。天明3年(1783)の浅間山の大噴火で、桑をはじめ夏作物が全滅したことによる、生活苦、社会不安などを取り除くため、祭礼用の山車を曳き廻して豊作を祈願したのが始まりと伝えられ、230余年の歴史と伝統を誇る祭りです。
祭りは毎年7月12日と18日に行われます。7町内から7台の山車が繰り出され、昼間は、神話などから題材をとった人物の人形を山車の上に飾り立て、町内を曳き廻します。夜は、人形を取りはずし、山車の四面に約500個の提燈を飾りつけた、提燈山車に早変わりします。この提燈山車は夏の夜を彩るイベントとして最大の見どころとなっています。町内の若い衆が、賑やかな笛や鉦・太鼓のお囃子にのせ、関東一と言われる山車を回転させたりして、市内を巡行する様はまさに圧巻です。
茅ヶ崎海岸浜降祭
毎年7月第3月曜日(祝・海の日)
浜降祭の起源には諸説があります。今から170年ほど前の天保9年(1838)、寒川神社の神輿が例年春に行われる国府祭に渡御した帰途、相模川の渡し場で寒川の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。その数日後、南湖の網元である孫七さんが漁の最中にこのご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿が、そのお礼のため南湖の浜に赴き、「禊」をするようになったと言い伝えられています。
茅ヶ崎に夏の到来を告げる暁の祭典「浜降祭」は毎年7月第3月曜日(祝・海の日)に茅ヶ崎西浜海岸で開催されています。夜明けとともに茅ヶ崎市と寒川町の各神社から、大小合わせて約40基の神輿が集まり、「どっこい、どっこい」という相州神輿独特の掛け声も勇ましく、砂浜狭しと乱舞する光景は壮観です。1978年に神奈川県の無形民俗文化財に指定され、1982年には「かながわのまつり50選」にも選ばれています。
豊橋祇園祭
7月17日~18日
豊橋市関屋町の吉田神社で行われていた神事が起源とされています。古くより花火祭としてその名を遠近に知られ、滝沢馬琴は「吉田の今日の花火天下一」と称しています。かつては吉田城内天王社祭礼として陰暦6月13日より15日の3日間に渡り行われました。神輿渡御は、天文16年(1547)に今川義元が神輿を寄進している事からその歴史は古く、頼朝に扮した男児が神輿と共に騎馬にて進む姿から頼朝行列とも呼ばれます。
神輿渡御を本祭とし、前々夜には手筒花火奉納、前夜には豊川河畔で打ち上げ花火が行われます。本祭では、氏子衆による華やかな行列も登場し、豊橋市街を練り歩きます。吉田神社発祥である手筒花火の披露、コンクール花火、スターマインが見られるなど、バラエティに富んだ花火が豊川河畔から打ち上げられます。毎年、ファンを魅了する大スターマインはラストに登場します。
2023年7月19日(水)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
2023年7月20日(木)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
2023年7月21日(金)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
2023年7月22日(土)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
会津田島祇園祭
7月22日~24日
鎌倉時代の文治年間(1185年頃)、時の領主長沼宗政の祇園信仰により、この地に祇園の神(牛頭天王須佐之男命)を居城鎮護の神としてまつり、祇園祭の制を定め、旧来よりの田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行われた事が起源とされています。
『西の祇園社、中の津島社、東の田出宇賀社』と言われ日本三大祇園祭の一つと伝えられています。 明治12年より田出宇賀神社の祇園祭日に行うことが定められました。祭りの賄い献立にふきを多く使用することから、「富貴祭=ふきまつり」とも呼ばれています。御神酒に濁酒を使用することから「どぶろく祭り」、屋台の運行が激しいことから「けんか祭り」とも呼ばれます。
烏山の山あげ祭
7月第4金曜~日曜
永禄3年(1560)時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除・五穀豊穣・天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請しました。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子等が行われていました。やがて江戸歌舞伎が隆盛になり、常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになったことで、今日のような全国にも類例を見ない絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊の形態となり、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
山は所作狂言の背景で、観客の前に据えられた舞台から路上約100メートルの間に大山、中山、前山、舘、橋、波などが配置されます。これらの装置には仕掛けが施され、上演中はその進行に伴い、木頭(指揮者)の拍子木を合図に様々に変化し、観客の目を楽しませてくれます。 所作狂言が終われば、次の上演場所まで移動します。この一連の作業を行うには、約150人の若衆が必要とされ、その一糸乱れぬ団体行動の妙技と、炎天下の中、踊り子達が常磐津の三味線にあわせ美しい舞を披露する姿は一見の価値があります。
鳥羽みなとまつり
例年7月第4金曜日
第1回は「パールカーニバル 鳥羽みなとまつり」の名で1950年4月23日から5月7日にかけて開催されました。観光振興に力を注いでいた鳥羽町長により企画されました。鳥羽みなとまつりは東海金刀比羅宮鳥羽分社のおまつりでもあります。特に伊勢志摩の崇敬者の切なる願いにより、1956年風光明媚な樋ノ山に奉斎されました。以来、金刀比羅宮分社として現在に至っています。
クライマックスの鳥羽湾を豪快に染め上げる、海上の花火は必見!変化に富んだリアス式海岸やミキモト真珠島の上空を、約4500発の花火が彩ります。スターマインや水中花火など、華やかで美しい花火が多いのが特色です。打ち上げられる花火や遊覧船の光が水面に反射して映る景色はとても幻想的です。和太鼓演奏や地元の踊り、たくさんの屋台など、盛りだくさんのイベントで楽しんでいただけるお祭りです。
うわじま牛鬼まつり(山頼和霊社)
毎年7月22日~24日
和霊大祭は宇和島藩の家老山家清兵衛を祭神とする和霊神社の夏祭りです。宇和島藩初代藩主の伊達秀宗が山頼和霊社を建立し、承応2(1653)年6月24日に盛大な祭典を営み、これにちなんで月遅れの毎年7月24日が祭日となりました。
神輿の「海上渡御」や勇壮な「走り込み」で知られ、昔から南予各地から参詣者が多く訪れます。この和霊大祭にあわせて、毎年7月22日のガイヤカーニバルを皮切りに「うわじま牛鬼まつり」が開催され、何体もの牛鬼が市内を練り歩く迫力のパレードや伝統の宇和島おどり、夜空と宇和海をも彩る花火大会、そして最終日の走り込みなど熱気あふれるイベントで24日までの3日間の祭りが盛り上がります。「牛鬼」とは全長5~6メートルの祭礼の練物のことで、鬼のような顔に長い首、赤い布やシュロで覆われた牛の胴体、剣にも似た尻尾を持ち、南予地方の祭礼のシンボルとなっています。
戸畑祇園大山笠(飛幡八幡宮・菅原神社・中原八幡宮)
7月の第4土曜日をはさむ前後3日間
戸畑祇園大山笠行事の成立は享和3年(1803)と伝えられています。飛幡八幡宮の記録に「享和2年村内に疫病蔓延し、非常に苦しみたるを以って、有志相はかり、御祭神須賀大神に疫病退散、平癒大祈願を執行せるに、大神の大み恵によって、ようやく終息せり、もって翌年7月にこれを祝い山笠を作り、村人これに和したり。もって今日に至る」と記されています。
福岡県夏の三大祭りの一つとして「提灯山」の愛称で広く親しまれている、飛幡八幡宮、菅原神社、中原八幡宮の三社の夏祭りです。昼の幟山笠が夜になると提灯山笠に姿替えするのが特徴です。幟山笠は高さ1.8メートルの台上に勾欄付きの台座をすえ、正面に前花、背面に見送り、台上にてまりこを飾ります。山笠台はフジカズラの根で締め付け、水引幕、切幕、前掛幕をかけます。提灯山笠は幟山笠の装飾をすべて取り払い、台上に高さ約4メートルの四本柱を固定し、この上に5段57個の提灯をつけた角錐型の先端部を一気に担ぎ上げます。
2023年7月23日(日)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
会津田島祇園祭
7月22日~24日
鎌倉時代の文治年間(1185年頃)、時の領主長沼宗政の祇園信仰により、この地に祇園の神(牛頭天王須佐之男命)を居城鎮護の神としてまつり、祇園祭の制を定め、旧来よりの田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行われた事が起源とされています。
『西の祇園社、中の津島社、東の田出宇賀社』と言われ日本三大祇園祭の一つと伝えられています。 明治12年より田出宇賀神社の祇園祭日に行うことが定められました。祭りの賄い献立にふきを多く使用することから、「富貴祭=ふきまつり」とも呼ばれています。御神酒に濁酒を使用することから「どぶろく祭り」、屋台の運行が激しいことから「けんか祭り」とも呼ばれます。
烏山の山あげ祭
7月第4金曜~日曜
永禄3年(1560)時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除・五穀豊穣・天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請しました。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子等が行われていました。やがて江戸歌舞伎が隆盛になり、常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになったことで、今日のような全国にも類例を見ない絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊の形態となり、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
山は所作狂言の背景で、観客の前に据えられた舞台から路上約100メートルの間に大山、中山、前山、舘、橋、波などが配置されます。これらの装置には仕掛けが施され、上演中はその進行に伴い、木頭(指揮者)の拍子木を合図に様々に変化し、観客の目を楽しませてくれます。 所作狂言が終われば、次の上演場所まで移動します。この一連の作業を行うには、約150人の若衆が必要とされ、その一糸乱れぬ団体行動の妙技と、炎天下の中、踊り子達が常磐津の三味線にあわせ美しい舞を披露する姿は一見の価値があります。
尾張津島天王祭(津島神社)
7月第4土、日曜
「尾張津島天王祭」は日本三大川まつりのひとつに数えられ600年近くの伝統を誇ります。津島神社の歴史とともに歩んできた由緒あるもので、始まりは室町時代末期頃と言われています。南北朝時代に後醍醐天皇の曾孫である良王親王が津島に逃れてきたときに、良王を守る津島の四家七苗字の武士が北朝方を討ち取ったことからという説や、須佐之男命に由来する説、京都の神泉苑へ御霊を鎮め送った祭事(御よし流し)にによる説などが知られています。
天王川に浮かぶ津島五車のまきわら船の提灯に灯がともされると、宵祭の始まりです。まきわら船が、津島笛を奏でながらゆうゆうと天王川を漕ぎ渡ると、揺らめく提灯が川面に映り、まきわら船はその美しさをさらに際立たせ、灯と水のドラマは頂点に達します。朝祭は、市江車を先頭に6艘の車楽舟が能の出し物をかたどった置物を飾り、楽を奏でながら漕ぎ進みます。先頭の市江車から10人の鉾持が布鉾を持って水中に飛び込み、川を泳ぎ、神社に向かって走るその姿は勇壮というほかありません。平成28年12月には33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
住吉神社例大祭
7/23※旧暦6月27日前後の土曜日開催
元文5(1740)年、尾道の町奉行に着任した平山角左衛門尚住が、翌年の寛保元(1741)年に住吉浜(現:尾道商工会議所そば)を築造し、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神にしました。この祭りは尾道発展の基となった住吉浜構築の功績を称え、また住吉浜の海産物問屋の旦那衆が商売の繁盛と海上交通の安全を願い、江戸中期頃より行われています。
元文5(1740)年、尾道の町奉行に着任した平山角左衛門尚住が、翌年の寛保元(1741)年に住吉浜(現:尾道商工会議所そば)を築造し、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神にしました。この祭りは尾道発展の基となった住吉浜構築の功績を称え、また住吉浜の海産物問屋の旦那衆が商売の繁盛と海上交通の安全を願い、江戸中期頃より行われています。
住吉神社の例祭で、毎年旧暦の6月27日前後の土曜日に行われます。約13000発もの花火が尾道水道を彩り、クライマックスには音楽に合わせて音楽花火が打ち上げられます。この祭りでは尾道水道を3隻の提灯船(山型・鳥居・御幣)や神輿の海上渡御が行われますが、これはこの花火が神事であることを意味しており、人々の祈りが込められた祭りとなっています。
おのなび((一社)尾道観光協会)
https://www.ononavi.jp/index.html
住吉神社
https://www.sumiyoshijinja.or.jp/ritual.html
うわじま牛鬼まつり(山頼和霊社)
毎年7月22日~24日
和霊大祭は宇和島藩の家老山家清兵衛を祭神とする和霊神社の夏祭りです。宇和島藩初代藩主の伊達秀宗が山頼和霊社を建立し、承応2(1653)年6月24日に盛大な祭典を営み、これにちなんで月遅れの毎年7月24日が祭日となりました。
神輿の「海上渡御」や勇壮な「走り込み」で知られ、昔から南予各地から参詣者が多く訪れます。この和霊大祭にあわせて、毎年7月22日のガイヤカーニバルを皮切りに「うわじま牛鬼まつり」が開催され、何体もの牛鬼が市内を練り歩く迫力のパレードや伝統の宇和島おどり、夜空と宇和海をも彩る花火大会、そして最終日の走り込みなど熱気あふれるイベントで24日までの3日間の祭りが盛り上がります。「牛鬼」とは全長5~6メートルの祭礼の練物のことで、鬼のような顔に長い首、赤い布やシュロで覆われた牛の胴体、剣にも似た尻尾を持ち、南予地方の祭礼のシンボルとなっています。
戸畑祇園大山笠(飛幡八幡宮・菅原神社・中原八幡宮)
7月の第4土曜日をはさむ前後3日間
戸畑祇園大山笠行事の成立は享和3年(1803)と伝えられています。飛幡八幡宮の記録に「享和2年村内に疫病蔓延し、非常に苦しみたるを以って、有志相はかり、御祭神須賀大神に疫病退散、平癒大祈願を執行せるに、大神の大み恵によって、ようやく終息せり、もって翌年7月にこれを祝い山笠を作り、村人これに和したり。もって今日に至る」と記されています。
福岡県夏の三大祭りの一つとして「提灯山」の愛称で広く親しまれている、飛幡八幡宮、菅原神社、中原八幡宮の三社の夏祭りです。昼の幟山笠が夜になると提灯山笠に姿替えするのが特徴です。幟山笠は高さ1.8メートルの台上に勾欄付きの台座をすえ、正面に前花、背面に見送り、台上にてまりこを飾ります。山笠台はフジカズラの根で締め付け、水引幕、切幕、前掛幕をかけます。提灯山笠は幟山笠の装飾をすべて取り払い、台上に高さ約4メートルの四本柱を固定し、この上に5段57個の提灯をつけた角錐型の先端部を一気に担ぎ上げます。
日田祇園祭
毎年7月20日過ぎの土、日
日田祇園祭は400年の歴史を誇る日田市の伝統的な祭りです。豆田八阪神社、隈八坂神社、竹田若宮神社(竹田地区・若宮町)の3社で日田祇園祭が行なわれます。詳細は不明ですが、この地域で古くから信仰されていた社が、宝永年間(1704年 - 1710年)に現在地に遷座したものと考えられています。1714年(正徳4年)に山鉾の奉納を始め、これにより隈八坂神社および竹田若八幡宮との3社による日田祇園祭の原型が整いました。
基の町内山鉾と平成になって作られた平成山鉾の全9基が隈・竹田、豆田の両地区を運行します。祭りは毎年7月20日過ぎの土、日に開催され、法被姿の男衆が高さ6メートル~10メートルの山鉾を勇壮に曳き回します。夜には提灯を飾り付けた優雅な晩山の巡行が行われ、祭りは一気に最高潮に達します。
2023年7月24日(月)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
会津田島祇園祭
7月22日~24日
鎌倉時代の文治年間(1185年頃)、時の領主長沼宗政の祇園信仰により、この地に祇園の神(牛頭天王須佐之男命)を居城鎮護の神としてまつり、祇園祭の制を定め、旧来よりの田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行われた事が起源とされています。
『西の祇園社、中の津島社、東の田出宇賀社』と言われ日本三大祇園祭の一つと伝えられています。 明治12年より田出宇賀神社の祇園祭日に行うことが定められました。祭りの賄い献立にふきを多く使用することから、「富貴祭=ふきまつり」とも呼ばれています。御神酒に濁酒を使用することから「どぶろく祭り」、屋台の運行が激しいことから「けんか祭り」とも呼ばれます。
烏山の山あげ祭
7月第4金曜~日曜
永禄3年(1560)時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除・五穀豊穣・天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請しました。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子等が行われていました。やがて江戸歌舞伎が隆盛になり、常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになったことで、今日のような全国にも類例を見ない絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊の形態となり、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
山は所作狂言の背景で、観客の前に据えられた舞台から路上約100メートルの間に大山、中山、前山、舘、橋、波などが配置されます。これらの装置には仕掛けが施され、上演中はその進行に伴い、木頭(指揮者)の拍子木を合図に様々に変化し、観客の目を楽しませてくれます。 所作狂言が終われば、次の上演場所まで移動します。この一連の作業を行うには、約150人の若衆が必要とされ、その一糸乱れぬ団体行動の妙技と、炎天下の中、踊り子達が常磐津の三味線にあわせ美しい舞を披露する姿は一見の価値があります。
ぎおん柏崎まつり(八坂神社)
7月24日~26日
1950年に八坂神社の祇園祭と柏崎の商工祭が一緒になり、「ぎおん柏崎まつり」が誕生しました。ただし、正式に名称が決定したのは、1953年となっています。当初は、24日に前夜祭行列や芸妓連の踊り屋台などが催されていました。現在の形になったのは、1965年頃からになります。花火大会は、越後三大花火のひとつとされています。
祇園祭は、もともと疫病や災難を除くためのお祭りで、7月7日から14日に京都の八坂神社の流れをくむ柏崎市西本町の八坂神社が行っていた祭礼です。当時は、疫病が流行する度に、御輿と奉納花火が打ち上げられていました。花火大会は、これまで仕掛花火やナイヤガラ花火に挑戦し、年々規模を拡大してきました。
尾張津島天王祭(津島神社)
7月第4土、日曜
「尾張津島天王祭」は日本三大川まつりのひとつに数えられ600年近くの伝統を誇ります。津島神社の歴史とともに歩んできた由緒あるもので、始まりは室町時代末期頃と言われています。南北朝時代に後醍醐天皇の曾孫である良王親王が津島に逃れてきたときに、良王を守る津島の四家七苗字の武士が北朝方を討ち取ったことからという説や、須佐之男命に由来する説、京都の神泉苑へ御霊を鎮め送った祭事(御よし流し)にによる説などが知られています。
天王川に浮かぶ津島五車のまきわら船の提灯に灯がともされると、宵祭の始まりです。まきわら船が、津島笛を奏でながらゆうゆうと天王川を漕ぎ渡ると、揺らめく提灯が川面に映り、まきわら船はその美しさをさらに際立たせ、灯と水のドラマは頂点に達します。朝祭は、市江車を先頭に6艘の車楽舟が能の出し物をかたどった置物を飾り、楽を奏でながら漕ぎ進みます。先頭の市江車から10人の鉾持が布鉾を持って水中に飛び込み、川を泳ぎ、神社に向かって走るその姿は勇壮というほかありません。平成28年12月には33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
天神祭(大阪天満宮)
毎年7月24日・25日
天満宮御鎮座の翌々年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、流れついた浜に斎場を設け、「禊祓い・みそぎはらい」を行ないました。 その折、神領民が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされ、一千年の歴史を誇っています。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになりました。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになりました。
期間は6月下旬吉日 – 7月25日の約1か月間に亘り諸行事が行われます。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがります。大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれています。他に鉾流神事、陸渡御などの神事が行われます。 24日宵宮(宵宮祭・鉾流神事・催太鼓・獅子舞氏地巡行)、25日本宮(本宮祭・神霊移御・陸渡御・船渡御・奉納花火)です。
田辺祭(鬪雞神社)
毎年7月24日、25日
田辺祭を古文書でみると、紀州藩主浅野幸長、田辺領主が浅野左衛門佐の時代であった慶長10年(1605)に、「権現宮祭礼町中改車」、同12年「流鏑馬三騎町より出」と記録されています。また、徳川頼宣が藩主になって徳川御三家が成立し、頼宣の附家老であった安藤帯刀直次の領知となってからの寛永10年(1633)には、一時、能の奉納となったようですが、寛文12年(1672)に袋町(福路町)の鉾の台が車となり、翌年の延宝元年には町中の台が車となったという記録が見られ、この頃には現在の笠鉾の原形ができあがったようです。
「田辺祭」は毎年7月24日・25日に行われる鬪雞神社の例大祭です。旧城下の各商人町から8基の「おかさ」と言われる、京都の衹園祭のような笠鉾が町中を練り歩き、街をあげた賑わいを見せます。紀南地方最大の祭礼ともいわれ、紀州三大祭りにも数えられています。
うわじま牛鬼まつり(山頼和霊社)
毎年7月22日~24日
和霊大祭は宇和島藩の家老山家清兵衛を祭神とする和霊神社の夏祭りです。宇和島藩初代藩主の伊達秀宗が山頼和霊社を建立し、承応2(1653)年6月24日に盛大な祭典を営み、これにちなんで月遅れの毎年7月24日が祭日となりました。
神輿の「海上渡御」や勇壮な「走り込み」で知られ、昔から南予各地から参詣者が多く訪れます。この和霊大祭にあわせて、毎年7月22日のガイヤカーニバルを皮切りに「うわじま牛鬼まつり」が開催され、何体もの牛鬼が市内を練り歩く迫力のパレードや伝統の宇和島おどり、夜空と宇和海をも彩る花火大会、そして最終日の走り込みなど熱気あふれるイベントで24日までの3日間の祭りが盛り上がります。「牛鬼」とは全長5~6メートルの祭礼の練物のことで、鬼のような顔に長い首、赤い布やシュロで覆われた牛の胴体、剣にも似た尻尾を持ち、南予地方の祭礼のシンボルとなっています。
戸畑祇園大山笠(飛幡八幡宮・菅原神社・中原八幡宮)
7月の第4土曜日をはさむ前後3日間
戸畑祇園大山笠行事の成立は享和3年(1803)と伝えられています。飛幡八幡宮の記録に「享和2年村内に疫病蔓延し、非常に苦しみたるを以って、有志相はかり、御祭神須賀大神に疫病退散、平癒大祈願を執行せるに、大神の大み恵によって、ようやく終息せり、もって翌年7月にこれを祝い山笠を作り、村人これに和したり。もって今日に至る」と記されています。
福岡県夏の三大祭りの一つとして「提灯山」の愛称で広く親しまれている、飛幡八幡宮、菅原神社、中原八幡宮の三社の夏祭りです。昼の幟山笠が夜になると提灯山笠に姿替えするのが特徴です。幟山笠は高さ1.8メートルの台上に勾欄付きの台座をすえ、正面に前花、背面に見送り、台上にてまりこを飾ります。山笠台はフジカズラの根で締め付け、水引幕、切幕、前掛幕をかけます。提灯山笠は幟山笠の装飾をすべて取り払い、台上に高さ約4メートルの四本柱を固定し、この上に5段57個の提灯をつけた角錐型の先端部を一気に担ぎ上げます。
日田祇園祭
毎年7月20日過ぎの土、日
日田祇園祭は400年の歴史を誇る日田市の伝統的な祭りです。豆田八阪神社、隈八坂神社、竹田若宮神社(竹田地区・若宮町)の3社で日田祇園祭が行なわれます。詳細は不明ですが、この地域で古くから信仰されていた社が、宝永年間(1704年 - 1710年)に現在地に遷座したものと考えられています。1714年(正徳4年)に山鉾の奉納を始め、これにより隈八坂神社および竹田若八幡宮との3社による日田祇園祭の原型が整いました。
基の町内山鉾と平成になって作られた平成山鉾の全9基が隈・竹田、豆田の両地区を運行します。祭りは毎年7月20日過ぎの土、日に開催され、法被姿の男衆が高さ6メートル~10メートルの山鉾を勇壮に曳き回します。夜には提灯を飾り付けた優雅な晩山の巡行が行われ、祭りは一気に最高潮に達します。
2023年7月25日(火)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
ぎおん柏崎まつり(八坂神社)
7月24日~26日
1950年に八坂神社の祇園祭と柏崎の商工祭が一緒になり、「ぎおん柏崎まつり」が誕生しました。ただし、正式に名称が決定したのは、1953年となっています。当初は、24日に前夜祭行列や芸妓連の踊り屋台などが催されていました。現在の形になったのは、1965年頃からになります。花火大会は、越後三大花火のひとつとされています。
祇園祭は、もともと疫病や災難を除くためのお祭りで、7月7日から14日に京都の八坂神社の流れをくむ柏崎市西本町の八坂神社が行っていた祭礼です。当時は、疫病が流行する度に、御輿と奉納花火が打ち上げられていました。花火大会は、これまで仕掛花火やナイヤガラ花火に挑戦し、年々規模を拡大してきました。
龍ヶ崎の撞舞(八坂神社)
7月下旬 龍ケ崎市上町の八坂神社祇園祭最終日
起源には諸説あり、古代中国の民間芸能(手品・軽業・滑稽な業)の一種、尋舞が日本に伝わり、五穀豊穣祈願や雨乞いなど祭の神事と結び付いたとする説もその一つです。「撞」は柱や竹竿を意味する「橦」の字が転化したものとされ、アクロバティックな舞の舞台である長い柱の先を意味しています。
八坂神社祇園祭の最終日に、高い柱(つく柱)に登り様々な曲芸を演じる芸能で、19世紀前半以前から伝承されたものと考えられています。 撞舞が行われる柱は、14mの丸柱で、先端に横木をつけ、その上に円座を載せる。舞男と称する舞の演じ手は、筒袖襦袢に裁着袴の衣装と雨蛙の被り物を被り、囃子にあわせてつく柱に上ります。頂上に達すると円座の上に立ち上り東西南北に矢を射ます。撞舞は、古代に中国から伝来した散楽の流れを汲む蜘蛛舞からきたものといわれ、疫病予防・雨乞い・豊作祈願などを祈って行われます。
伊根まつり
7月下旬予定(年によって変動)
300年以上前の江戸時代から、伊根町(亀島四区の祭り)に守り継がれる「伊根祭」。これは、近世初期に亀島村、平田村、日出村の3か村が祇園牛頭天王社を八坂神社に勧請した事が起源と言われています。
海上安全、大漁、五穀豊穣を祈願して、毎年行われています。大祭の時には“海の祇園祭(ぎおんまつり)”とも呼ばれているのです。祭りは宵祭、宵宮、そして本祭の2日間に渡って行われます。祭りでは神楽舞や雅楽の演奏を行います。また、海の上を祭礼船が渡御する姿も圧巻です。
天神祭(大阪天満宮)
毎年7月24日・25日
天満宮御鎮座の翌々年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、流れついた浜に斎場を設け、「禊祓い・みそぎはらい」を行ないました。 その折、神領民が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされ、一千年の歴史を誇っています。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになりました。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになりました。
期間は6月下旬吉日 – 7月25日の約1か月間に亘り諸行事が行われます。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがります。大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれています。他に鉾流神事、陸渡御などの神事が行われます。 24日宵宮(宵宮祭・鉾流神事・催太鼓・獅子舞氏地巡行)、25日本宮(本宮祭・神霊移御・陸渡御・船渡御・奉納花火)です。
田辺祭(鬪雞神社)
毎年7月24日、25日
田辺祭を古文書でみると、紀州藩主浅野幸長、田辺領主が浅野左衛門佐の時代であった慶長10年(1605)に、「権現宮祭礼町中改車」、同12年「流鏑馬三騎町より出」と記録されています。また、徳川頼宣が藩主になって徳川御三家が成立し、頼宣の附家老であった安藤帯刀直次の領知となってからの寛永10年(1633)には、一時、能の奉納となったようですが、寛文12年(1672)に袋町(福路町)の鉾の台が車となり、翌年の延宝元年には町中の台が車となったという記録が見られ、この頃には現在の笠鉾の原形ができあがったようです。
「田辺祭」は毎年7月24日・25日に行われる鬪雞神社の例大祭です。旧城下の各商人町から8基の「おかさ」と言われる、京都の衹園祭のような笠鉾が町中を練り歩き、街をあげた賑わいを見せます。紀南地方最大の祭礼ともいわれ、紀州三大祭りにも数えられています。
ながさきみなとまつり
7月下旬
長崎開港記念会(会長・松田精一会頭)は、昭和5年4月7日に創立委員会を開き、記念行事の準備に着手しました。記念行事は、〝長崎みなと祭〟と呼称して、多彩な催しを行い市民の非常な人気を呼びました。1973年からは〝ながさきまつり″と改称、行事内容も改変して、ひろく市民の参加を呼びかけて多彩な催しを行なってきました。
4月27日の初日には、先賢顕彰式、ミス長崎(現在のロマン長崎)選彰式、28日は、まつりの夕べ、29日には、市役所前から県庁通り、浜の町までのコースをミス長崎を先頭に、議員団の仮装行列、民謡団、企業グループなど総勢約1万人規模のパレードで賑わいます。平成5年からは、メイン会場を魚市跡地のポートアリーナに移動し、翌6年からは、長崎の新しい夏祭りと位置付けて、メイン会場を松が枝国際観光埠頭に移しました。
2023年7月26日(水)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
ぎおん柏崎まつり(八坂神社)
7月24日~26日
1950年に八坂神社の祇園祭と柏崎の商工祭が一緒になり、「ぎおん柏崎まつり」が誕生しました。ただし、正式に名称が決定したのは、1953年となっています。当初は、24日に前夜祭行列や芸妓連の踊り屋台などが催されていました。現在の形になったのは、1965年頃からになります。花火大会は、越後三大花火のひとつとされています。
祇園祭は、もともと疫病や災難を除くためのお祭りで、7月7日から14日に京都の八坂神社の流れをくむ柏崎市西本町の八坂神社が行っていた祭礼です。当時は、疫病が流行する度に、御輿と奉納花火が打ち上げられていました。花火大会は、これまで仕掛花火やナイヤガラ花火に挑戦し、年々規模を拡大してきました。
2023年7月27日(木)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
2023年7月28日(金)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
下館祇園祭
毎年7月の最終木曜日から4日間
この地域の羽黒神社の始まりは、戦国の世の初期、室町時代に遡り、時は文明13年(1481)、下館城初代城主である水谷勝氏公が、領内の安堵をはかるため、尊崇していた出羽国(山形県)羽黒大神を勧請したということが起源になります。下館祇園まつりの原型となる祭りも、おそらくこの頃に始まったものとされていますが、現在のような神輿渡御が、いつの時代・時期から定着したものなのかは、はっきりとはわかっていないようです。
大町の羽黒神社を中心に、4日間に渡って行われる県内屈指の夏まつりです。明治28年、日清戦争の戦勝祝いに造られた大神輿「明治神輿」と、羽黒神社の相殿神・玉依姫の「女子神輿」、1992年に新調され、毎年担ぎ出される神輿としては日本最大級の「平成神輿」、そして町内の30数基の子供神輿が市街地を練り歩きます。最終日の早朝には、市内を流れる勤行川で神輿を川で清める禊の神事「川渡御」が行われます。
2023年7月29日(土)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
下館祇園祭
毎年7月の最終木曜日から4日間
この地域の羽黒神社の始まりは、戦国の世の初期、室町時代に遡り、時は文明13年(1481)、下館城初代城主である水谷勝氏公が、領内の安堵をはかるため、尊崇していた出羽国(山形県)羽黒大神を勧請したということが起源になります。下館祇園まつりの原型となる祭りも、おそらくこの頃に始まったものとされていますが、現在のような神輿渡御が、いつの時代・時期から定着したものなのかは、はっきりとはわかっていないようです。
大町の羽黒神社を中心に、4日間に渡って行われる県内屈指の夏まつりです。明治28年、日清戦争の戦勝祝いに造られた大神輿「明治神輿」と、羽黒神社の相殿神・玉依姫の「女子神輿」、1992年に新調され、毎年担ぎ出される神輿としては日本最大級の「平成神輿」、そして町内の30数基の子供神輿が市街地を練り歩きます。最終日の早朝には、市内を流れる勤行川で神輿を川で清める禊の神事「川渡御」が行われます。
2023年7月30日(日)開催の年中行事
土用の丑の日
(どようのうしのひ)
7月20日ごろ
土用とは、立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間をいい、年に4回あります。立秋(8月8日ごろ)前の18日間を「夏の土用」といいます。一年の中でもとりわけ暑い時期のため、江戸時代には「土用の丑の日」として重要視され、夏バテしないよう、体に良い物を食べるようになりました。また、丑の日にちなんで「う」のつく瓜や鰻、梅干しなどを食べると体に良いとされていました。
2023年7月30日(日)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
相馬野馬追
7月最終土曜~月曜
一千有余年の昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられています。
毎年7月末の土曜日・日曜日・月曜日、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗指物をつけて疾走する豪華絢爛で勇壮な戦国絵巻を繰り広げます。
下館祇園祭
毎年7月の最終木曜日から4日間
この地域の羽黒神社の始まりは、戦国の世の初期、室町時代に遡り、時は文明13年(1481)、下館城初代城主である水谷勝氏公が、領内の安堵をはかるため、尊崇していた出羽国(山形県)羽黒大神を勧請したということが起源になります。下館祇園まつりの原型となる祭りも、おそらくこの頃に始まったものとされていますが、現在のような神輿渡御が、いつの時代・時期から定着したものなのかは、はっきりとはわかっていないようです。
大町の羽黒神社を中心に、4日間に渡って行われる県内屈指の夏まつりです。明治28年、日清戦争の戦勝祝いに造られた大神輿「明治神輿」と、羽黒神社の相殿神・玉依姫の「女子神輿」、1992年に新調され、毎年担ぎ出される神輿としては日本最大級の「平成神輿」、そして町内の30数基の子供神輿が市街地を練り歩きます。最終日の早朝には、市内を流れる勤行川で神輿を川で清める禊の神事「川渡御」が行われます。
隅田川花火大会
7月最終土曜日
江戸時代の享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来です。1978年に「隅田川花火大会」と名を改めました。
1961年まで打上場所は両国橋上流で行われていましたが、交通事情の悪化等に伴い翌年以降は開催ができなくなりました。その後、1978年に「隅田川花火大会」と名を改め、ビルで囲まれた隅田川で復活しました。打上場所もさらに上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となり、東京の夏の夜空を彩る国内最大級20,000発の花火の競演による感動を隅田川にて味わえるようになりました。
能登島向田の火祭(伊夜比咩神社)
毎年7月の最終土曜日
言い伝えによると、越後の国をつくった伊夜比古神(男神)がこの土地を訪れ、伊夜比咩神(女神)と年に一度の逢瀬を楽しむお祭りとされています。伊夜比咩神社は平安中期の延喜式神名帳に記載された神社で、伊夜比古神は伝染病を沈めたり、日照りになると雨を降らせてくれる神として、古来より人々から崇められてきました。
日本三大火祭りのひとつに数えられる「能登島向田の火祭り」は能登島の夏祭りです。能登島にある伊夜比咩神社での祭典後、男衆の手で神輿と大小7基のキリコ(奉灯)が崎山お旅所に担ぎ出されると、いよいよ火祭りの見せ場がやってきます。高さ30mもの大松明に手松明を投げ付けると、一気に巨大な火柱となって燃え盛る大迫力の大松明。やがて燃え尽きた大松明が崩れ落ち、その倒れた方向によってその年の豊作・豊漁を占うのです。また、それと同時に、幸運をもたらすとされる先端に付けられた御幣を取ろうと男衆が殺到し、祭りはクライマックスを迎えます。
住吉祭(住吉大社)
毎年7/30~8/1
住吉祭は、奈良・平安時代ころにまとめられた『住吉大社神代記』に、堺での「六月解除」として既に見えています。 鎌倉時代末期の『住吉太神宮諸神事次第』には、6月晦日に堺の開口宿院へ渡御する神輿などの行列のことが記されています。『住吉大社神代記』によれば、住吉大社の夏祭りは、奈良時代には、六月の御解除として恒例的に行なわれていたようです。
大阪の夏祭りを締めくくる住吉祭は、大阪中をお祓いする「お清め」の意義があり、古くより「おはらい」ともいわれました。7月海の日に「神輿洗神事」、7月30日に「宵宮祭」、翌日「夏越祓神事・例大祭」、そして8月1日にはいよいよ、住吉大神の御神霊(おみたま)をお遷した神輿が行列を仕立て、堺の宿院頓宮までお渡りする「神輿渡御」が行われます。
粉河祭(粉河産土神社)
毎年7月最終土曜、日曜日
粉河祭は、粉河産土神社の祭礼です。粉河産土神社は宝亀年間(770)大伴氏が粉河寺を創始するに際し、鎌垣庄内各村の氏神を勧請して祀るのに始まり、現在は粉河郷の総社です。「円阿弥陀仏山地寄進状」(1344 (康永3)年作成)に、「粉河寺六月会」として文書に記されていることから粉河祭の始まりは14世紀中頃とされており、古い歴史の祭りです。
紀州三大祭の一つで、粉河寺の本堂の裏山にある「粉河産土神社」の祭礼。本祭には大伴孔子古の子、船主が奥州征伐に向かい賊徒を退治して凱旋した時の姿を伝えると言われる「渡御式」が執り行なわれ、馬にまたがった武者姿の稚児や裃をつけた行列が、粉河とんまか通りを総勢400名以上で練り歩きます。また、本祭では、「子どもだんじり」や「もち投げ」などが行なわれ、宵祭の夜には、きらびやかに飾付けらた「だんじり」が、粉河とんまか通りを勇壮に運行されます。
粉河寺
https://www.kokawadera.org/event/
和歌山県立博物館 特別展「国宝粉河寺縁起と粉河寺の歴史」展示資料目録
https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/kokawadera/list.pdf
紀の川市観光協会
https://www.kanko-kinokawa.jp/
2023年7月31日(月)開催のイベント一覧
さっぽろ夏まつり
7月中旬~8月中旬
1954年に始まり、当時は中島公園をメイン会場に、ボート祭り、盆踊り、花火大会、ほたる狩り、七夕祭りなどが行なわれていた。1957年からは大通公園に会場を移し、1959年には大通6丁目に「ビアガーデン」が初登場しました。
100万人以上が訪れるまつりで、大通公園5~11丁目に約1カ月間出現する国内最大級のビアガーデン、北海盆踊り、札幌狸小路商店街の狸まつり、すすきの祭りのほか、多くの協賛行事が行なわれます。
相馬野馬追
7月最終土曜~月曜
一千有余年の昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられています。
毎年7月末の土曜日・日曜日・月曜日、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗指物をつけて疾走する豪華絢爛で勇壮な戦国絵巻を繰り広げます。
八戸三社大祭
7月31日~8月4日
享保6年(1721年)、法霊社(現在の龗神社)の神輿が、天候不順の回復と五穀豊穣を願って八戸城下を一巡し、長者山虚空蔵堂(現在の新羅神社)へ渡御したのが祭りのはじまりです。
八戸市内に所在する龗(おがみ)神社、長者山新羅神社、神明宮の三社合同例祭です。8月1日のお通りと8月3日のお還りでは、三社の神幸行列に従い、27台の大型で豪華な山車が行列を組んで市内を巡行します。
下館祇園祭
毎年7月の最終木曜日から4日間
この地域の羽黒神社の始まりは、戦国の世の初期、室町時代に遡り、時は文明13年(1481)、下館城初代城主である水谷勝氏公が、領内の安堵をはかるため、尊崇していた出羽国(山形県)羽黒大神を勧請したということが起源になります。下館祇園まつりの原型となる祭りも、おそらくこの頃に始まったものとされていますが、現在のような神輿渡御が、いつの時代・時期から定着したものなのかは、はっきりとはわかっていないようです。
大町の羽黒神社を中心に、4日間に渡って行われる県内屈指の夏まつりです。明治28年、日清戦争の戦勝祝いに造られた大神輿「明治神輿」と、羽黒神社の相殿神・玉依姫の「女子神輿」、1992年に新調され、毎年担ぎ出される神輿としては日本最大級の「平成神輿」、そして町内の30数基の子供神輿が市街地を練り歩きます。最終日の早朝には、市内を流れる勤行川で神輿を川で清める禊の神事「川渡御」が行われます。
飯山神社 納涼祭
7月31日
飯山神社は仁賢天皇7年(494年)に勧請された神社です。中世には能登の守護畠山氏の崇敬が篤く、弘治3年畠山義綱は410苅を寄進して領巾祭の資に充てたといいます。また、天正7年に長連龍が温井備中、三宅備後の乱を鎮圧するにあたり戦捷を祈願し、平定後は水掛祭に家臣を遣わして神酒を奉献しました。納涼祭は飯山神社の特殊神事です。
飯山神社の納涼祭では、祭典をあげた神輿が午後に神社を出発し、曳山、太鼓、獅子、高張提灯が町中を巡行します。日が沈むと、神輿は飯山川の土手を下りて川を渡御します。両岸には松明が焚かれ、仕掛け花火が上げられて幻想的で美しい光景が広がります。この後、祝詞奉上、玉串奉尊、茅の輪くぐりなどの神事が行われ、半年間の無病息災が祈願されます。
住吉大社
毎年7/30~8/1
住吉祭は、奈良・平安時代ころにまとめられた『住吉大社神代記』に、堺での「六月解除」として既に見えています。 鎌倉時代末期の『住吉太神宮諸神事次第』には、6月晦日に堺の開口宿院へ渡御する神輿などの行列のことが記されています。『住吉大社神代記』によれば、住吉大社の夏祭りは、奈良時代には、六月の御解除として恒例的に行なわれていたようです。
大阪の夏祭りを締めくくる住吉祭は、大阪中をお祓いする「お清め」の意義があり、古くより「おはらい」ともいわれました。7月海の日に「神輿洗神事」、7月30日に「宵宮祭」、翌日「夏越祓神事・例大祭」、そして8月1日にはいよいよ、住吉大神の御神霊(おみたま)をお遷した神輿が行列を仕立て、堺の宿院頓宮までお渡りする「神輿渡御」が行われます。
粉河祭(粉河産土神社)
毎年7月最終土曜、日曜日
粉河祭は、粉河産土神社の祭礼です。粉河産土神社は宝亀年間(770)大伴氏が粉河寺を創始するに際し、鎌垣庄内各村の氏神を勧請して祀るのに始まり、現在は粉河郷の総社です。「円阿弥陀仏山地寄進状」(1344 (康永3)年作成)に、「粉河寺六月会」として文書に記されていることから粉河祭の始まりは14世紀中頃とされており、古い歴史の祭りです。
紀州三大祭の一つで、粉河寺の本堂の裏山にある「粉河産土神社」の祭礼。本祭には大伴孔子古の子、船主が奥州征伐に向かい賊徒を退治して凱旋した時の姿を伝えると言われる「渡御式」が執り行なわれ、馬にまたがった武者姿の稚児や裃をつけた行列が、粉河とんまか通りを総勢400名以上で練り歩きます。また、本祭では、「子どもだんじり」や「もち投げ」などが行なわれ、宵祭の夜には、きらびやかに飾付けらた「だんじり」が、粉河とんまか通りを勇壮に運行されます。
粉河寺
https://www.kokawadera.org/event/
和歌山県立博物館 特別展「国宝粉河寺縁起と粉河寺の歴史」展示資料目録
https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/kokawadera/list.pdf
紀の川市観光協会
https://www.kanko-kinokawa.jp/
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー