4月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
1赤口 ●● |
2先勝 ●● |
3友引 ● |
4先負 |
5仏滅 |
6大安 |
7赤口 |
8先勝 ● |
9友引 ●● |
10先負 ●● |
11仏滅 ● |
12大安 ● |
13赤口 ● |
14先勝 ●● |
15友引 ●●● |
16先負 ●● |
17仏滅 ● |
18大安 |
19赤口 ● |
20先負 ● |
21仏滅 |
22大安 |
23赤口 |
24先勝 |
25友引 ●● |
26先負 |
27仏滅 |
28大安 |
29赤口 ●●●● |
30先勝 ●● |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
北海道…●
東北…●
北関東…●
南関東・東京…●
中部…●
近畿…●
中国・四国…●
九州・沖縄…●
年中行事…■
2023年4月1日(土)開催のイベント一覧
犬山祭(針綱神社)
4月第1土日
犬山祭は当地の産土神を祀る針綱神社の行粧式で、例祭は寛永12年(1635)尾張徳川家付家老の犬山城主成瀬隼人正正虎公の沙汰で氏子が行粧の車山・ねり物を出して以来今日まで継承されてきました。
犬山祭は、寛永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山13輌が城下町に繰り出し、笛や太鼓に合わせてからくり人形を披露します。夜は、各車山に365個もの提灯がともされ、満開の桜並木の城下町を練り歩くさまは、豪華絢爛、まるで錦絵を見るようです。
土佐赤岡 どろめ祭り
毎年4月
毎年4月の終わりに香南市赤岡町の海岸で「土佐赤岡どろめ祭り」が開かれます。1959年に始まった祭りで、高知で愛される珍味「どろめ」(生のイワシの稚魚)を肴に酒を飲むことで、豊漁を祝ったことが由来とされます。
大杯になみなみとそそがれた「おらんくの酒」を一気に飲み干す「大杯飲み干し大会」はどろめ祭りのメインイベントです。「これこそ土佐人」のイメージを全国に広めた豪快でユニークな祭りです。毎年4月、赤岡町の浜辺に世界各国の名だたる酒豪達が集まり、太平洋を舞台に、地引き網でとれたてのドロメ(マイワシ・ウルメなどの稚魚)を肴に男性は一升(1.8リットル)女性は五合(0.9リットル)をぐいぐい飲み、「飲み干す時間」「飲みっぷり」の総合得点を競います。
J-Castニュース(2017-5-1)
https://www.j-cast.com/2017/05/01296983.html?p=all
一般社団法人 香南市観光協会
http://www.kounan-navi.com/spot_doromematsuri.html
2023年4月2日(日)開催のイベント一覧
犬山祭(針綱神社)
4月第1土日
犬山祭は当地の産土神を祀る針綱神社の行粧式で、例祭は寛永12年(1635)尾張徳川家付家老の犬山城主成瀬隼人正正虎公の沙汰で氏子が行粧の車山・ねり物を出して以来今日まで継承されてきました。
犬山祭は、寛永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山13輌が城下町に繰り出し、笛や太鼓に合わせてからくり人形を披露します。夜は、各車山に365個もの提灯がともされ、満開の桜並木の城下町を練り歩くさまは、豪華絢爛、まるで錦絵を見るようです。
長崎ハタ揚げ大会
4月の日曜日
ハタ揚げ合戦は18世紀頃からはじまったといわれています。時期は4月~5月上旬までの各日曜日、祭日で、風頭山、唐八景、金比羅山、稲佐山で行われる。特に唐八景のハタ揚げは壮観で弁当、酒さかなを携行する者も多く、全山、人の山になります。我が国に伝えられた凧には、中国系と南方系のものがあると言われていますが、長崎の凧は、「あごばた」と言われる南方系のもので、出島のオランダ人の従者として来ていたインドネシア人たちが伝えたものであろうと言われています。
長崎では凧のことを「ハタ」と呼びます。このハタ揚げは、長崎くんち、、精霊流し(しょうろうながし)とならんで、長崎の三大行事の1つに数えられています。このハタ揚げは、他の地方と異なって高く揚げるのではなく、他のハタと掛け合って相手のハタを切るハタ合戦です。そのため、ハタは菱形、2本の骨を十文字に組み合わせており、1ひろ(約1.6メートル)ほどのヨマツケがつき、そのあとが1本につながり操縦が自由になっています。この掛け合いに使う糸を「ビードロ」と言ってガラス粉をのりでねって麻糸にぬりつけたもので、これが相手のハタのビードロを切るわけです。
2023年4月3日(月)開催のイベント一覧
種子島宝満神社の御田植祭
4月3日
宝満神社は玉依姫を祀る神社で、この神が海宮から五穀の種子を持参して、種子島に蒔いたと伝えられています。宝満神社は文化四丁卯年の創建です。祭神玉依姫命が水田を開き稲を作り、食生活を潤した御神徳を称え奉って、宝満池の畔の今の浄地に奉斎したものと伝えられています。
祭の前日、宮座の人々はお田の森の入口、お田、拝殿等に氏子から奉納された旗を立てます。そして当日の早朝、社人と神職によって祭場となるお田の森の神木の根元に、米・塩・大豆・酒・二束のオイネ(赤米)が供えられ、神事の準備が行われます。そして、いよいよお田植え祭りが始まります。まず、お田の森で神事が行われます。次に田植え歌に合わせて赤米の苗が植えられます。そして、お田の森前の舟田(神田)で社人夫妻によるお田植え舞が奉納されます。最後に直会が行われ、お田植え奉仕者全員に赤米を原料にした甘酒と赤米のにぎり飯やツワブキ・竹の子・干し大根等を煮しめたご馳走が振る舞われます。
2023年4月8日(土)開催のイベント一覧
信玄公祭り(甲府市)
4月8日~10日
武田信玄公の遺徳を偲び、 信玄公の命日4月12日にちなみ1970年より続けられている山梨県内最大の祭り。日本最大の武者祭りです。発祥は1947年に山梨県観光協会と甲府市観光協会、甲府市商工会議所による共同主催で開始された桜祭りに遡ります。1969年に放送された川中島の戦いを描いたNHK大河ドラマ『天と地と』影響を受けています。
甲府市中心部を会場に行われる「信玄公祭り」は例年、命日(4月12日)前の金~日曜に開催されます。土曜日の夕方からは、県内各地から1,000名を超える軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現します。その規模は世界最大級!もえさかるかがり火のもと、信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともに執り行う出陣の儀式・三献の儀から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へと、華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。
2023年4月9日(日)開催のイベント一覧
信玄公祭り(甲府市)
4月8日~10日
武田信玄公の遺徳を偲び、 信玄公の命日4月12日にちなみ1970年より続けられている山梨県内最大の祭り。日本最大の武者祭りです。発祥は1947年に山梨県観光協会と甲府市観光協会、甲府市商工会議所による共同主催で開始された桜祭りに遡ります。1969年に放送された川中島の戦いを描いたNHK大河ドラマ『天と地と』影響を受けています。
甲府市中心部を会場に行われる「信玄公祭り」は例年、命日(4月12日)前の金~日曜に開催されます。土曜日の夕方からは、県内各地から1,000名を超える軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現します。その規模は世界最大級!もえさかるかがり火のもと、信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともに執り行う出陣の儀式・三献の儀から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へと、華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。
玄武やすらい祭(玄武神社)
毎年4月の第2日曜日
玄武やすらい祭の始まりは、今から約千年以上の昔、平安時代の中期頃だと云われています。当時(康保2年・965年)に京都で発生した大水害の後に疫病が流行した事から、大和国の三輪大社の鎮花祭の慣わしにより、玄武神社で行うよう勅命(天皇の命令)があったとされています。更には、その後も続いた疫病の流行を鎮めるために再度勅命があり、それ以降も引き続き玄武神社が永代勤めることになったと言われています。
玄武やすらい祭は、京都を代表する地域に根ざした民俗行事として鞍馬の火祭、太秦の牛祭とともに、京都の三大奇祭の一つとして数えられています。お祭りが執り行われる4月の春の花が飛び散る時に、人々を悩ませる悪霊や疫神も同時に飛び散るという言い伝えから、鎮花祭の意味合いを持ち、無病息災を願い、お祭りの行列の花傘に入ることによって悪霊、疫病などの負のモノを追い払った上、疫神はそのまま神社に封じ込めるという謂われもあります。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月10日(月)開催のイベント一覧
信玄公祭り(甲府市)
4月8日~10日
武田信玄公の遺徳を偲び、 信玄公の命日4月12日にちなみ1970年より続けられている山梨県内最大の祭り。日本最大の武者祭りです。発祥は1947年に山梨県観光協会と甲府市観光協会、甲府市商工会議所による共同主催で開始された桜祭りに遡ります。1969年に放送された川中島の戦いを描いたNHK大河ドラマ『天と地と』影響を受けています。
甲府市中心部を会場に行われる「信玄公祭り」は例年、命日(4月12日)前の金~日曜に開催されます。土曜日の夕方からは、県内各地から1,000名を超える軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現します。その規模は世界最大級!もえさかるかがり火のもと、信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともに執り行う出陣の儀式・三献の儀から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へと、華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月11日(火)開催のイベント一覧
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月12日(水)開催のイベント一覧
山王祭(日吉大社山王祭)
毎年4月12日~15日
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。山王祭は延歴10年(791)、桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進されて以来1200年以上の歴史を有するお祭りです。西本宮 大己貴神・東本宮 大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣をお祈りします。
午の神事とわれる東本宮 大山咋神と妃神 鴨玉依姫神の結婚を再現する儀式、甲冑を着た5歳位のお子どもがその日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える花渡り式、大山咋神・鴨玉依姫神による出産、御子神誕生の儀式である宵宮落とし神事(山王祭の神事中、最も勇壮な神事)など歴史を感じる華やかで厳粛な神事が次々に行われます。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月13日(木)開催のイベント一覧
山王祭(日吉大社山王祭)
毎年4月12日~15日
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。山王祭は延歴10年(791)、桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進されて以来1200年以上の歴史を有するお祭りです。西本宮 大己貴神・東本宮 大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣をお祈りします。
午の神事とわれる東本宮 大山咋神と妃神 鴨玉依姫神の結婚を再現する儀式、甲冑を着た5歳位のお子どもがその日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える花渡り式、大山咋神・鴨玉依姫神による出産、御子神誕生の儀式である宵宮落とし神事(山王祭の神事中、最も勇壮な神事)など歴史を感じる華やかで厳粛な神事が次々に行われます。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月14日(金)開催のイベント一覧
春の高山祭(山王祭)【日枝神社(山王様)の例祭】
毎年4月14日、15日
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)からですが、屋台の起こりは1718年頃といわれています。巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。祭の舞台となる安川通りの南側・上町には、「山王祭」の屋台組の宝である屋台12台が登場。うち3台がからくり奉納を行うほか、祭行事では賑やかな伝統行事も繰り広げられます。
山王祭(日吉大社山王祭)
毎年4月12日~15日
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。山王祭は延歴10年(791)、桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進されて以来1200年以上の歴史を有するお祭りです。西本宮 大己貴神・東本宮 大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣をお祈りします。
午の神事とわれる東本宮 大山咋神と妃神 鴨玉依姫神の結婚を再現する儀式、甲冑を着た5歳位のお子どもがその日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える花渡り式、大山咋神・鴨玉依姫神による出産、御子神誕生の儀式である宵宮落とし神事(山王祭の神事中、最も勇壮な神事)など歴史を感じる華やかで厳粛な神事が次々に行われます。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月15日(土)開催のイベント一覧
春の高山祭(山王祭)【日枝神社(山王様)の例祭】
毎年4月14日、15日
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)からですが、屋台の起こりは1718年頃といわれています。巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。祭の舞台となる安川通りの南側・上町には、「山王祭」の屋台組の宝である屋台12台が登場。うち3台がからくり奉納を行うほか、祭行事では賑やかな伝統行事も繰り広げられます。
松平東照宮権現祭(春まつり)
4月17日直前の土曜、日曜
松平東照宮は徳川将軍家のルーツである松平氏の屋敷があったところに位置している松平氏の始祖をまつる神社です。権現祭は約400年前から続く、伝統のあるまつりです。
4月17日直前の土曜に試楽祭、翌日曜に本楽祭が行われます。試楽祭では夕暮れから至る暗闇夜の神秘の境内で「お水取り」の儀式が催されます。この儀式は、松平親氏や家康公が産湯として使われた井戸で行われ、「御水」の状態でその年の行く末が占われます。お水取りやかぶる火の粉にひるむことのない男たちによる勇壮な手筒花火の奉納などが行われ、神秘的かつ勇壮な風景を繰り広げます。翌日の本楽祭では、御輿渡御などが行われます。
山王祭(日吉大社山王祭)
毎年4月12日~15日
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。山王祭は延歴10年(791)、桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進されて以来1200年以上の歴史を有するお祭りです。西本宮 大己貴神・東本宮 大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣をお祈りします。
午の神事とわれる東本宮 大山咋神と妃神 鴨玉依姫神の結婚を再現する儀式、甲冑を着た5歳位のお子どもがその日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える花渡り式、大山咋神・鴨玉依姫神による出産、御子神誕生の儀式である宵宮落とし神事(山王祭の神事中、最も勇壮な神事)など歴史を感じる華やかで厳粛な神事が次々に行われます。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
延岡大師祭
4月中旬
延岡大師祭は天保10年(1839)城下の信徒たちが疫病封じに高野山金剛峰寺から弘法大師像(現在の本尊)を勧請し大師庵を建てたのが始まりといわれています。明治22年(1889)に四国八十八ヶ所を模した石仏像を延岡および近郷の人々が五穀豊穣、家内安全を願って奉納し、旧暦3月21日を中心に参拝するようになり、賑わったことが起源で現在の祭りの形へと発展してきました。
石仏像を延岡および近郷の人々が五穀豊穣、家内安全を願って奉納し、参拝するようになり賑わったことが起源で、現在の祭りの形へと発展し、「九州三大春祭り」のひとつとして祝うようになりました。
2023年4月16日(日)開催のイベント一覧
松平東照宮権現祭(春まつり)
4月17日直前の土曜、日曜
松平東照宮は徳川将軍家のルーツである松平氏の屋敷があったところに位置している松平氏の始祖をまつる神社です。権現祭は約400年前から続く、伝統のあるまつりです。
4月17日直前の土曜に試楽祭、翌日曜に本楽祭が行われます。試楽祭では夕暮れから至る暗闇夜の神秘の境内で「お水取り」の儀式が催されます。この儀式は、松平親氏や家康公が産湯として使われた井戸で行われ、「御水」の状態でその年の行く末が占われます。お水取りやかぶる火の粉にひるむことのない男たちによる勇壮な手筒花火の奉納などが行われ、神秘的かつ勇壮な風景を繰り広げます。翌日の本楽祭では、御輿渡御などが行われます。
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月17日(月)開催のイベント一覧
長浜曳山祭
毎年4月9日から17日の間
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
長浜曳山祭は、長浜八幡宮(長浜市宮前町)の祭礼として、毎年4月9日から17日の間、長浜の町中で開催される、長浜が世界に誇る祭りのひとつです。祭礼期間中、多彩な行事がおこなわれる長浜曳山祭の中で多くの人々を楽しませる行事の一つが、曳山巡行です。曳山とは、祭りに用いられる山車(出しもの)のことで、長浜の曳山は江戸時代の伝統工芸を結集した飾金具や彫刻、絵画で彩られ「動く美術館」とも呼ばれています。曳山の上で演じられる「子ども歌舞伎」も長浜曳山祭の醍醐味です。子ども歌舞伎は曳山を所有している山組の中から選ばれる男子によって演じられます。
2023年4月19日(水)開催のイベント一覧
古川祭(気多若宮神社)
毎年4月19日、20日
起源はよくわかっていませんが、屋台について文献に最初に登場するのは1776年(安永5年)、起し太鼓は1831年(天保2年)で江戸後期となります。現行の日程となったのは明治20年代で、1980年には「古川祭の起し太鼓・屋台行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。また、日本三大裸祭りの一つに数えられるお祭りです。
古川祭は町内にある気多若宮神社の例祭で国の重要無形民俗文化財にも指定されている伝統神事です。この祭は、神社での神事、古式ゆかしい「御神輿行列」が中心となって、"動"の「起し太鼓」と"静"の「屋台行列」が二大祭事として加わり、三つの行事群により4月19日、20日の2日間に渡って盛大な時代絵巻が繰り広げられます。全国の33件「山・鉾・屋台行事」のひとつとして2016年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録がされました。
2023年4月20日(木)開催のイベント一覧
古川祭(気多若宮神社)
毎年4月19日、20日
起源はよくわかっていませんが、屋台について文献に最初に登場するのは1776年(安永5年)、起し太鼓は1831年(天保2年)で江戸後期となります。現行の日程となったのは明治20年代で、1980年には「古川祭の起し太鼓・屋台行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。また、日本三大裸祭りの一つに数えられるお祭りです。
古川祭は町内にある気多若宮神社の例祭で国の重要無形民俗文化財にも指定されている伝統神事です。この祭は、神社での神事、古式ゆかしい「御神輿行列」が中心となって、"動"の「起し太鼓」と"静"の「屋台行列」が二大祭事として加わり、三つの行事群により4月19日、20日の2日間に渡って盛大な時代絵巻が繰り広げられます。全国の33件「山・鉾・屋台行事」のひとつとして2016年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録がされました。
2023年4月25日(火)開催のイベント一覧
松館天満宮三台山獅子大権現舞(松館菅原神社)
4月25日
県指定無形民俗文化財。正安2年(1300、また治安2年(1022)とも)、京都北野天満宮から天満大自在綱乗天神宮(ご祭神菅原道真公)を勧請して、村中が万歳楽を唱えて舞い納めたのが起源とされています。その後一時途絶えましたが、昭和12年に現在のような舞楽として再興されました。
松舘菅原神社例祭で奉納されます。当日午前、同神社の氏子である舞人・楽人は、ほかの氏子たちとともに宮司宅から神社までの参進及び退下のとき「渡御」の行列を組み、神社での祭式の後、境内において次の舞を順次奉納します。
帆船祭り
毎年4月下旬
2000年4月に日蘭交流400周年を記念したイベントとして初めて実施されました。この時には、徳仁皇太子とオランダのウィレム=アレクサンダー皇太子が出席して記念式典が行われました。鶴の港として有名な「長崎港」において4月から開催され、春の風物詩として定着しつつあります。
港町長崎に大型を含む数々の帆船が集結する日本で随一の帆船イベント!期間中は、船内を見学できる「船内一般公開」、帆船に乗って長崎港内をクルーズする「体験クルーズ」などの帆船をメインとしたイベントなどの体験型イベントなども充実しています。中日の夜は、花火大会が行われます。ライトアップされた帆船を岸壁からみながら打ち上げ花火をみると、かなりロマンチックな雰囲気が味わえます。
2023年4月29日(土)開催のイベント一覧
火伏せの虎舞
4月29日
宮城県北部にある加美町の伝統行事で約650年前から続く行事です。春に強風が吹き下ろすことにより、大火が頻発したことから、風禍・火難から逃れようと祈願した祭りが「火伏せの虎舞」です。
約650年前から続く行事で、中国の言い伝え「雲は龍に従い、風は虎に従う」に倣い、お囃子にのって町内を色鮮やかな山車と虎が練り歩き、各家の防災と家内安全を祈願します。高屋根に上った数匹の虎が、10時ごろから午前・午後合わせて7回勇壮な舞いを披露します。
石動曳山祭(愛宕神社)
毎年4月29日
祭りの華である花山車は、高岡の御車山を模して宝暦年間(1751~1763)から安政年間(1854~1860)にかけて建造されました。4月29日(祝)の愛宕神社の春祭りに各町内から曳き出され、小矢部市内を曳きまわされます。
石動の愛宕神社の春祭りに行われる伝統行事で、江戸時代から続いています。絢爛豪華な11本の花山車が勢揃いし、市街地を巡行する様は壮観です。彫刻や漆塗りに伝統の技が感じられ、花山車を曳く際のかけ声や拍子木、笛や太鼓などのお囃子、そして車輪のきしむ音が情緒豊かな風情を醸し出します。夜にはライトアップも行われ、幻想的な雰囲気が楽しめます。小矢部市有形民俗文化財に指定されています。
錦帯橋まつり
毎年4月29日
岩国藩主吉川広正は1657年に架橋しましたが、洪水により流失するなどたびたび流されてしまうことから、流れない橋の実現が悲願でした。吉川広嘉の努力により、アーチ橋の研究が進み、1673年、「流れない橋」が完成しました。しかし、この橋は翌年の洪水で流失し、さらに改良が進められ錦帯橋が完成しました。錦帯橋まつりは、1970年代より毎年開催されています。
錦帯橋周辺で行われるこのお祭りは、まるで古式ゆかしい時代絵巻を見るようです。参勤交代そのままの大名行列や奴道中、鉄砲隊の実演などが繰り広げられます。岩国藩の鉄砲隊は石田三成が興したと伝えられる流派で、その技を継承しようという有志によって披露されるものです。
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
2023年4月30日(日)開催のイベント一覧
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー