5月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
30 |
1友引 ●●●●● |
2先負 ●●● |
3仏滅 ●●●●●●● |
4大安 ●●●● |
5赤口 ●●●●● |
6先勝 ● |
7友引 ● |
8先負 |
9仏滅 |
10大安 ● |
11赤口 ● |
12先勝 ● |
13友引 ●● |
14先負 ●●● |
15仏滅 ●●● |
16大安 ● |
17赤口 |
18先勝 |
19友引 ●●● |
20仏滅 ●●●● |
21大安 ●●●● |
22赤口 ● |
23先勝 |
24友引 |
25先負 ● |
26仏滅 |
27大安 ● |
28赤口 |
29先勝 ● |
30友引 |
31先負 ● |
1 | 2 | 3 |
※掲載時点の情報なので、日程や場所等、変更している場合があります
開催日等の詳細につきましては、出典URLの公式ページをご確認ください
北海道…●
東北…●
北関東…●
南関東・東京…●
中部…●
近畿…●
中国・四国…●
九州・沖縄…●
年中行事…■
2023年5月1日(月)開催のイベント一覧
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
神田祭(神田神社)
2年に一度の5月
神田祭は神田神社で行われる祭礼で「神田明神祭」とも呼ばれます。山王祭、三社祭(もしくは深川祭)と並んで江戸三大祭の一つとされています。京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにも数えられる。神田祭の起源について詳細は不明ですが大祭になったのは江戸時代以降になってからです。徳川家康は江戸入府以前から神田大明神に戦勝の祈祷を命じていました。家康の特に崇敬するところとなり、社殿、神輿、祭器を寄進し、神田祭は徳川家縁起の祭として以後盛大に執り行われることになりました。神田神社の御輿は、日枝神社の御輿同様に、江戸城への入城を許され将軍が上覧するのが恒例となりました。
神田祭の見どころは、5月15日に近い土曜日に行われる神幸祭です。「一の宮鳳輦」「二の宮神輿」「三の宮鳳輦 」などの華麗な山車が氏子108町会をまわります。偶数年の本年度は「蔭祭」となり、「本祭」とは異なり神幸祭と神輿宮入という行事は行われませんが、氏子の幸せと日本の繁栄、平和を祈念する大切な神事として例大祭が執り行われます。そして御輿が境内へ入る宮入りは、大勢の参拝者が見守る中で、練り込まれ歓声が沸き上がります。
神田祭
https://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/
東京の観光公式サイトGO TOKYO (公益財団法人東京観光財団)
https://www.tcvb.or.jp/jp/
高岡御車山祭り
毎年5月1日
高岡御車山は1588年(天正16年)太閤豊臣秀吉が後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉るときに使用した御所車を加賀藩初代藩主・前田利家公が拝領し、二代藩主・前田利長公が1609年(慶長14年)に高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
「高岡御車山祭の御車山行事」は国の重要有形民俗文化財・無形民俗文化財の両方に指定されていて、これは日本全国でわずかに5件指定されている内の一つです。毎年5月1日に行われる前田利長公を祀る高岡關野神社の春季例大祭で、高岡市内の開町当時から続く旧市街中心部を奉曳巡行します。高岡町民の心意気と財力に支えられ、優れた工芸技術の装飾が車輪や高欄等に施された日本でも屈指の華やかな山車です。江戸時代の名工達によって7基が揃いました。
福野夜高祭
5月1日~2日
慶安3年(1650年)加賀藩へ市場町を聞きたいと願い出ていた「町立て」が許可されました。しかし慶安5年(1652年)大火に遭いほとんどの家が焼失してしまいました。そこで、町の再建と安全を願って、神明社を創建することとなり伊勢神宮から御分霊を勧請することになりました。その御分霊を奉じた一行が俱利伽羅峠に差しかかった頃日暮れとなりました。これを知った町民が手に手に燈火用の行燈を持って、この行列をお迎えしたことが、夜高行燈の起源になったとの伝承があります。
毎年5月1日~2日に盛大に行われる夜高行燈の練り廻しは、「神迎え」の神事としての宵祭り。5月3日の本祭りに行われる御神輿の町内御巡幸、曳山及び屋台の巡行曳きが一連の春季祭礼行事とされ、昭和初期まで続けられてきました。笛や夜高太鼓の前触れも賑やかに、高さ6.5mにも及ぶ7つの町内の夜高行燈が町内を練り回す様、春宵の一大偉観です。若衆の勇ましい掛け声が響き渡る夜高祭の最大の見どころは、呼び物の"引合い"と呼ばれる、7基の大行燈が狭い通りをすれ違う際に行われる行燈の壊しあいです。引き合いは、威勢のいい拍子木や掛け声とともに、大行燈同士が接近し、横に並んだ瞬間、大行燈に上った若衆は相手方の行燈を壊し合います。その激しい引合いは、見る者を釘付けにする迫力があります。
今宮祭湯立祭
今宮祭祭礼期間中1日
今宮祭の起源は古く、平安の都の「紫野御霊会」につながる祭礼であると言われています。その後西陣が興隆するとともに西陣の氏子祭として栄え、今日までその伝統を継いでいます。御霊会とは平安時代、疫病が流行する原因だと考えられていた怨霊を鎮める為に各地で行われていた祭です。
湯立祭は今宮祭の神幸祭と還幸祭の間に今宮神社御旅所で行われている行事で、沸き立つ大釜の熱湯に笹束を差し入れ、神楽女が勢いよく振り上げます。釜をとり囲むように集った人々は、飛び散る湯しぶきを身体にあびながら一心に無病息災を祈ります。
松江城山稲荷神社式年神幸祭(通称:ホーランエンヤ)
10年に一度
慶安元年(1648)、天候不順で凶作が予想され、これに心を痛めた松江・松平家初代藩主松平直政公が、当時効験の誉れが高く稲荷神社の社司を兼務していた阿太加夜神社(松江市東出雲町)の神主松岡兵庫頭に命じ、城内に祀られた城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社へ船でお運びし、長期にわたり五穀豊穣を祈願させました。これが松江城山稲荷神社式年神幸祭のはじまりです。祈願は見事に成就し、以後式年で神幸祭が行われる慣わしとなりました。
10年に一度、約100隻の船が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる絢爛豪華大船行列「ホーランエンヤ」とも呼ばれる行事です。370年の歴史を有す「松江城山稲荷神社式年神幸祭」の通称で、水の都松江が誇る全国最大級の船祭りです。城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社まで船でお運びする渡御祭、阿太加夜神社における7日間の大祈祷とその中日の中日祭、阿太加夜神社に安置された御神霊を再び城山稲荷神社に船でお送りする還御祭で構成されます。威勢のいいホーランエンヤの唄声に整然と揃う櫂さばき、舳先で威風堂々見得を切る歌舞伎風衣装の剣櫂、艫で艶めかしく身をくねらす女姿の采振りと、私たちの眼前では空前絶後の一大錦絵巻が繰り広げられます。
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
2023年5月2日(火)開催のイベント一覧
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
福野夜高祭
5月1日~2日
慶安3年(1650年)加賀藩へ市場町を聞きたいと願い出ていた「町立て」が許可されました。しかし慶安5年(1652年)大火に遭いほとんどの家が焼失してしまいました。そこで、町の再建と安全を願って、神明社を創建することとなり伊勢神宮から御分霊を勧請することになりました。その御分霊を奉じた一行が俱利伽羅峠に差しかかった頃日暮れとなりました。これを知った町民が手に手に燈火用の行燈を持って、この行列をお迎えしたことが、夜高行燈の起源になったとの伝承があります。
毎年5月1日~2日に盛大に行われる夜高行燈の練り廻しは、「神迎え」の神事としての宵祭り。5月3日の本祭りに行われる御神輿の町内御巡幸、曳山及び屋台の巡行曳きが一連の春季祭礼行事とされ、昭和初期まで続けられてきました。笛や夜高太鼓の前触れも賑やかに、高さ6.5mにも及ぶ7つの町内の夜高行燈が町内を練り回す様、春宵の一大偉観です。若衆の勇ましい掛け声が響き渡る夜高祭の最大の見どころは、呼び物の"引合い"と呼ばれる、7基の大行燈が狭い通りをすれ違う際に行われる行燈の壊しあいです。引き合いは、威勢のいい拍子木や掛け声とともに、大行燈同士が接近し、横に並んだ瞬間、大行燈に上った若衆は相手方の行燈を壊し合います。その激しい引合いは、見る者を釘付けにする迫力があります。
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
2023年5月3日(水)開催のイベント一覧
山戸能・山五十川歌舞伎 奉納
5月3日
《山戸能》 由来については、地域に伝わる文献では貞観8年(866年頃)に高貴な方々が諸国名山に御巡幸あり、その中の一人能楽に堪能な方が現在の山五十川地区に住むことになり、御面や直垂、「恋慕の舞」などを伝えたとされています。 《山五十川歌舞伎》 由来については定かではありませんが、250年以上前、疫病を祓い村を救った湯殿山鉄門海上人へのお礼として地元の若者達が芝居を演じたのが始まりとされています。
山五十川地区には、能と歌舞伎の二つの民俗芸能が伝わっており、一つの集落で二つの無形民俗文化財を一体として守り続けている例は全国でも大変珍しいと言われています。山戸能、山五十川歌舞伎ともに、五穀豊穣や安全を願う祭礼の奉納として、また、庶民芸能として、地域に脈々と伝承されています。
やまがたへの旅 山形県公式観光サイト
https://yamagatakanko.com/
未来に伝える山形の宝 ポータルサイト
https://www.yamagata-takara.com/
つがわ狐の嫁入り行列
5月3日
昔、麒麟山には狐がいて、毎晩のように狐の声が聞こえ、狐火が見られました。津川の狐火は世界一で、麒麟山にまつわる狐火の話しは数多くあります。昔、嫁入りは夜にかけて行われ、あたりは暗く、堤灯を下げて行列しました。この堤灯の明りと狐火が平行して見え狐の嫁入り行列が生まれたとも言われています。「狐の嫁入り行列」は幻想の世界です。しかし、親から子へ、子から孫へと言い伝えられ、狐火の多く見える年(狐の嫁入り行列の見えた年)は豊作で縁起が良いとされていました。という伝承に由来。
花嫁・旅立ちの儀、狐の嫁入り行列、子狐の祝踊り、結婚式・披露宴と行われる。狐の嫁入り行列では、イヤーソ-ライーの木遣りに乗せて、狐の動作をユーモラスに再現しながら夜の街道を練り歩きます。結婚式・披露宴の後は、燃えさかる狐火に送られ渡し舟に乗って麒麟山に向う、幻想的なクライマックスとなります。
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
浜松まつり
5月3日
浜松まつりの始まりは、一説によると今からおよそ450余年前の永禄年間(1558~1569年)に、当時の浜松を治めていた引間城主が長男誕生を祝って城中高く凧を揚げたことによるとされています。江戸時代に定着したといわれている凧揚げは、明治に入ってさらに活気を帯びてきます。第二次世界大戦が始まる直前まで勇壮な凧揚げ合戦が繰り広げられました。第二次大戦後、わずか3年にして復活しいっそう盛大な祭りになっていきました。
まつりでは初子の誕生を祝い、子どもたちの健やかな成長を地域みんなで祝いあいます。昼間は中田島の凧揚げ会場を舞台に170以上の町が参加して子どもの誕生を祝う初凧が天高く揚げられ、夜は市の中心部が舞台になり80台以上の屋台絢爛豪華な御殿屋台が優雅で幻想的な美の競演を繰り広げられます。浜松っ子のエネルギーが爆発します。
亀崎潮干祭
毎年5月3日~4日
祭りの起源は定かではなく、一説には応仁・文明の頃(15世紀後半)亀崎の地に移り住んだ18軒の武家の発起により荷車様の物に笹竹を立て、神紋を染め抜いた幕を張り、囃子を入れて町内を曳き廻したのが起源とする伝承もあります。最近の調査では各種史料によって元禄~宝暦年間(17世紀末から18世紀前半頃)まではその歴史が確認でき、少なくとも300年以上に亘って祭の風格・伝統がしっかりと受け継がれています。
その昔、祭神である神武天皇が東征した折、海からこの地に上陸したとの伝説にちなみ、5輌の山車を浜へ曳き下ろしたことからこの名がつけられました。潮の干いた浜に並ぶ5輌の山車は勇壮・華麗で、まるで浜に華が咲いたようです。山車では著名な浦島太郎のからくりや、江戸時代に一世を風靡した竹田からくりの稀少な残存例として「生きた化石」といわれる上山からくり「傀儡師」が行われます。祭りは神前神社の祭礼です。
青柏祭(大地主神社)
5月3日~5日
七尾市に伝承されてきた「青柏祭の曳山行事」は、貞享2年(1685)の「寺社由来書上」の記録に見えるように古い伝統を継承するものです。青柏祭は、市内山王町に鎮座する大地主神社の例大祭で、決まりの神饌を青柏の葉に盛って供えるのが祭りの名称になったといわれています。古くは、4月の申の日に執行されていました。
青柏祭は、この祭りの日を農耕作業や野外仕事などの季節の変わり目とし、人々の生活の中に深く溶け込んだ、神と人との交歓し合う、能登路の春を彩る迫力のある最大の祭りです。神饌を青柏の葉に盛って神前に供え、天下太平五穀豊穣を祈る大地主神社(通称:山王神社)の春の例大祭「青柏祭」に、高さ12m、重さ20tの日本一大きな山車「でか山」3基が、狭い街中を曳き廻される様は圧巻です。でか山の前面には、歌舞伎の名場面などをあしらった煌びやかな舞台が作られます。
鍋冠祭(筑摩神社春の大祭)
毎年/5/3
筑摩地区は桓武天皇の時代に内裏大膳職の御厨(神饌を調進するための領地)が置かれた地でした。筑摩神社の春の例祭「鍋冠まつり」は近江を代表する奇祭で、米原市無形民俗文化財に指定されています。起源については諸説ありますが、結婚適齢期の女性がこれまで付き合った男性の数だけ鍋を被り、それを偽った者には天罰が下るという婦女の貞操を重んじる説や、筑摩神社の祭神が食物の神で筑摩の特産物が土鍋であったことが所以だと言われています。
「宇治のあがた祭」、「越中鳥坂の尻叩き祭」とともに日本の三大奇祭の一つとして有名です。「伊勢物語」にも「近江なる都久摩(筑摩)の祭りとくせなむつれなき人の鍋の数みむ」の歌があり、「延喜式」にも大膳職御厨のおかれたところと書かれています。数え年八つの少女たちが狩衣姿に張子の鍋をかぶって渡御し、本殿に参進します。
先帝祭
毎年5月3日
平家 は長門壇之浦の合戦で源氏に敗れ、わずか8歳の安徳天皇が祖母二位の尼に抱かれて入水し平家は滅亡しました。この祭は、入水された安徳天皇を弔うため、その命日に遊女に身を落した平家の官女達が参拝したことに始まったものです。合戦の翌年より、安徳天皇の命日に赤間神宮にて弔いの儀式が執り行われました。
打掛けに太鼓帯の衣裳を身にまとった5人の太夫が稚児・警固・官女・禿をひきつれ赤間神宮に参拝します。伊崎町を出発し、豊前田町を経由し、同神宮まで上臈道中が行われます。道中での外八文字を踏むあでやかな姿は豪華絢欄そのものです。
ひろしまフラワーフェスティバル
5月3日、4日、5日
「ひろしまフラワーフェスティバル」は毎年5月3日から5日までの3日間開催される祭りで、1977年に始まり今年は37回目になります。1975年の広島東洋カープ優勝の賑わいを経験したことで、市民の間から「市民が気軽に参加できるような祭りが欲しい」という声が出ていました。また広島市が近隣町村との合併を進めていた時期でもあり、「全市民的連帯感の創造は行政サイドにとって焦眉の急務であった」とという雰囲気の中で生まれた行事です。
「広島と世界を結ぶ平和の花の祭典」として毎年5月3日から5日の3日間にわたり開催されます。平和記念公園での花の展開や広島国際会議場フェニックスホールでのステージイベント、平和大通りでのモニュメントや花の展示等を行っています。動員数は毎年160万人を超え、ゴールデンウィーク期間中に日本で開催されるお祭りとしては、最大級の動員数を誇ります。
ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会企画実施本部
https://www.hiroshima-ff.com/
広島県立図書館 フラワーフェスティバルが始まった理由(第37号)
https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/hp/page000002000/hpg000001924.htm
吉良川の御田祭(御田八幡宮)
5月3日(2年に1度) 次回は2023年
西暦奇数年5月3日、吉良川町御田八幡宮で奉納される行事です。酒しぼりでは杜氏婆の産んだ神の子の木偶を、子宝に恵まれない女性たちが奪いあうことから、子授け信仰としても知られています。由来伝承は不詳ですが、芸能、地謡、服装、仮面、いずれの点から見ても古い行事です。
御田八幡宮の祭りに行なわれるもので、田遊びの要素が濃厚です。田楽衆が「ねり」と称して田楽を演じた後、拝殿で「女猿楽」「三番神」「翁」などの曲を舞い、続いて各種の農耕のさまを演じ、その後、一人の女が水桶の酒を飲むうちに子を産むという「酒絞り」の所作が続きます。この間に「殿と冠者」が登場し、次の演目をふれて廻ります。また「小林」「地堅」など、古風な芸能が演じられる。芸能史的に価値の高いものです。
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/302/129
高知県教育委員会文化財課
https://www.kochinet.ed.jp/bunkazai/details/300-1/300-1-m01.htm
北条鹿島まつり(鹿島神社)
毎年5月3日、4日
鹿島神社の春・秋祭例に出される「鹿島の櫂練り」(県無形民俗文化財)は、昔、河野氏の水軍が出陣のとき武運を祈り、また、戦勝祝賀に神前で演じて奉納した起源をもつ勇壮な船踊りで絢爛たる海上絵巻を繰りひろげる最も異色ある年中行事です。鹿島神社の由緒は古く、神功皇后が三韓征討の途次、武甕槌神、経津主神を勧請奉斎した神社で戦勝と道中の安全を祈願して出陣したと伝えられています。
北条・鹿島周辺で行われ、「櫂練踊り」など、勇壮な海の男たちによる海上絵巻が繰り広げられるとともに、イベントも満載です。また、伝統行事の鹿島沖の夫婦岩を結ぶ「大注連縄」の張替えも行われます。長さ約40m以上・直径約40cm・重さ約1tもの大注連縄には、愛媛県産の稲穂で縄19本をつなげた間に願い事を書いた「願い文」が入れられます。
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
博多どんたく港祭
毎年5月3日~4日
「博多どんたく」は、治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記(貝原益軒著)に記されている「松ばやし」をその起源とする凡そ830年余の伝統行事です。明治5年には時の県知事により中止を余儀なくされたが明治12年に再開され「博多どんたく」と呼ばれるようになりました。オランダ語のZondag(ゾンターク、休日の意)がその語源と言われています。1962年「どんたく」は、市民総参加の「福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」」となり、現在に至っています。
毎年5月3・4日の2日間、老若男女が思い思いの仮装でシャモジを叩いて町を練り歩き、町に作られた舞台、広場で踊りを披露し、町中がどんたく一色で湧き返ります。参加どんたく隊のべ約650団体、出場者約3万3千人、見物客約200万人、春のゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りといわれるようになりました。
那覇ハーリー
毎年5月3日~5日
那覇ハーリーは、14世紀に中国から沖縄に帰化した久米三十六姓が伝えたという説や、長浜太夫という人が南京で爬龍船を見て、帰国後まねて造り、那覇港で競漕したという説など諸説あります。 琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより廃止されました。琉球王国から明治政府と代わり地域の行事として再度行われるようになったが1928年を最後に競漕は途絶えました。戦後になり各地で復活をして、1975年に復活した那覇ハーリーは沖縄で最大の規模を誇るものです。
那覇ハーリーは、14世紀に中国から沖縄に帰化した久米三十六姓が伝えたという説や、長浜太夫という人が南京で爬龍船を見て、帰国後まねて造り、那覇港で競漕したという説など諸説あります。 琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより廃止されました。琉球王国から明治政府と代わり地域の行事として再度行われるようになったが1928年を最後に競漕は途絶えました。戦後になり各地で復活をして、1975年に復活した那覇ハーリーは沖縄で最大の規模を誇るものです。
2023年5月4日(木)開催のイベント一覧
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
浅間大社流鏑馬祭
毎年5月4日~6日
浅間大社の流鏑馬は、社伝によると建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、浅間大社に流鏑馬を奉納し武運長久・天下太平を祈願したことから始まるとされています。天正5年(1577)の『富士大宮御神事帳』、慶安3年(1650)の『富士本宮年中祭禮之次第』などにも記載されている800余年の伝統を持つ神事です。
流鏑馬自体は、5月5日に奉納されますが、これに合わせて様々な祭儀が行われます。これらは、本宮祭儀を行うための重要な意味があり、全部を含めて流鏑馬といえます。一ノ射手は揚扇を行い疾走し二つの的を次々に射抜く姿は見事というほかありません。三ノ射手までが正射手で、その他を平武者といって区別してます。15~20騎ほどの流鏑馬がおこなわれ終了となります。
亀崎潮干祭
毎年5月3日~4日
祭りの起源は定かではなく、一説には応仁・文明の頃(15世紀後半)亀崎の地に移り住んだ18軒の武家の発起により荷車様の物に笹竹を立て、神紋を染め抜いた幕を張り、囃子を入れて町内を曳き廻したのが起源とする伝承もあります。最近の調査では各種史料によって元禄~宝暦年間(17世紀末から18世紀前半頃)まではその歴史が確認でき、少なくとも300年以上に亘って祭の風格・伝統がしっかりと受け継がれています。
その昔、祭神である神武天皇が東征した折、海からこの地に上陸したとの伝説にちなみ、5輌の山車を浜へ曳き下ろしたことからこの名がつけられました。潮の干いた浜に並ぶ5輌の山車は勇壮・華麗で、まるで浜に華が咲いたようです。山車では著名な浦島太郎のからくりや、江戸時代に一世を風靡した竹田からくりの稀少な残存例として「生きた化石」といわれる上山からくり「傀儡師」が行われます。祭りは神前神社の祭礼です。
青柏祭(大地主神社)
5月3日~5日
七尾市に伝承されてきた「青柏祭の曳山行事」は、貞享2年(1685)の「寺社由来書上」の記録に見えるように古い伝統を継承するものです。青柏祭は、市内山王町に鎮座する大地主神社の例大祭で、決まりの神饌を青柏の葉に盛って供えるのが祭りの名称になったといわれています。古くは、4月の申の日に執行されていました。
青柏祭は、この祭りの日を農耕作業や野外仕事などの季節の変わり目とし、人々の生活の中に深く溶け込んだ、神と人との交歓し合う、能登路の春を彩る迫力のある最大の祭りです。神饌を青柏の葉に盛って神前に供え、天下太平五穀豊穣を祈る大地主神社(通称:山王神社)の春の例大祭「青柏祭」に、高さ12m、重さ20tの日本一大きな山車「でか山」3基が、狭い街中を曳き廻される様は圧巻です。でか山の前面には、歌舞伎の名場面などをあしらった煌びやかな舞台が作られます。
ひろしまフラワーフェスティバル
5月3日、4日、5日
「ひろしまフラワーフェスティバル」は毎年5月3日から5日までの3日間開催される祭りで、1977年に始まり今年は37回目になります。1975年の広島東洋カープ優勝の賑わいを経験したことで、市民の間から「市民が気軽に参加できるような祭りが欲しい」という声が出ていました。また広島市が近隣町村との合併を進めていた時期でもあり、「全市民的連帯感の創造は行政サイドにとって焦眉の急務であった」とという雰囲気の中で生まれた行事です。
「広島と世界を結ぶ平和の花の祭典」として毎年5月3日から5日の3日間にわたり開催されます。平和記念公園での花の展開や広島国際会議場フェニックスホールでのステージイベント、平和大通りでのモニュメントや花の展示等を行っています。動員数は毎年160万人を超え、ゴールデンウィーク期間中に日本で開催されるお祭りとしては、最大級の動員数を誇ります。
ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会企画実施本部
https://www.hiroshima-ff.com/
広島県立図書館 フラワーフェスティバルが始まった理由(第37号)
https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/hp/page000002000/hpg000001924.htm
北条鹿島まつり(鹿島神社)
毎年5月3日、4日
鹿島神社の春・秋祭例に出される「鹿島の櫂練り」(県無形民俗文化財)は、昔、河野氏の水軍が出陣のとき武運を祈り、また、戦勝祝賀に神前で演じて奉納した起源をもつ勇壮な船踊りで絢爛たる海上絵巻を繰りひろげる最も異色ある年中行事です。鹿島神社の由緒は古く、神功皇后が三韓征討の途次、武甕槌神、経津主神を勧請奉斎した神社で戦勝と道中の安全を祈願して出陣したと伝えられています。
北条・鹿島周辺で行われ、「櫂練踊り」など、勇壮な海の男たちによる海上絵巻が繰り広げられるとともに、イベントも満載です。また、伝統行事の鹿島沖の夫婦岩を結ぶ「大注連縄」の張替えも行われます。長さ約40m以上・直径約40cm・重さ約1tもの大注連縄には、愛媛県産の稲穂で縄19本をつなげた間に願い事を書いた「願い文」が入れられます。
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
博多どんたく港祭
毎年5月3日~4日
「博多どんたく」は、治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記(貝原益軒著)に記されている「松ばやし」をその起源とする凡そ830年余の伝統行事です。明治5年には時の県知事により中止を余儀なくされたが明治12年に再開され「博多どんたく」と呼ばれるようになりました。オランダ語のZondag(ゾンターク、休日の意)がその語源と言われています。1962年「どんたく」は、市民総参加の「福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」」となり、現在に至っています。
毎年5月3・4日の2日間、老若男女が思い思いの仮装でシャモジを叩いて町を練り歩き、町に作られた舞台、広場で踊りを披露し、町中がどんたく一色で湧き返ります。参加どんたく隊のべ約650団体、出場者約3万3千人、見物客約200万人、春のゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りといわれるようになりました。
那覇ハーリー
毎年5月3日~5日
那覇ハーリーは、14世紀に中国から沖縄に帰化した久米三十六姓が伝えたという説や、長浜太夫という人が南京で爬龍船を見て、帰国後まねて造り、那覇港で競漕したという説など諸説あります。 琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより廃止されました。琉球王国から明治政府と代わり地域の行事として再度行われるようになったが1928年を最後に競漕は途絶えました。戦後になり各地で復活をして、1975年に復活した那覇ハーリーは沖縄で最大の規模を誇るものです。
那覇ハーリーは、14世紀に中国から沖縄に帰化した久米三十六姓が伝えたという説や、長浜太夫という人が南京で爬龍船を見て、帰国後まねて造り、那覇港で競漕したという説など諸説あります。 琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより廃止されました。琉球王国から明治政府と代わり地域の行事として再度行われるようになったが1928年を最後に競漕は途絶えました。戦後になり各地で復活をして、1975年に復活した那覇ハーリーは沖縄で最大の規模を誇るものです。
2023年5月5日(金)開催のイベント一覧
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
浅間大社流鏑馬祭
毎年5月4日~6日
浅間大社の流鏑馬は、社伝によると建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、浅間大社に流鏑馬を奉納し武運長久・天下太平を祈願したことから始まるとされています。天正5年(1577)の『富士大宮御神事帳』、慶安3年(1650)の『富士本宮年中祭禮之次第』などにも記載されている800余年の伝統を持つ神事です。
流鏑馬自体は、5月5日に奉納されますが、これに合わせて様々な祭儀が行われます。これらは、本宮祭儀を行うための重要な意味があり、全部を含めて流鏑馬といえます。一ノ射手は揚扇を行い疾走し二つの的を次々に射抜く姿は見事というほかありません。三ノ射手までが正射手で、その他を平武者といって区別してます。15~20騎ほどの流鏑馬がおこなわれ終了となります。
青柏祭(大地主神社)
5月3日~5日
七尾市に伝承されてきた「青柏祭の曳山行事」は、貞享2年(1685)の「寺社由来書上」の記録に見えるように古い伝統を継承するものです。青柏祭は、市内山王町に鎮座する大地主神社の例大祭で、決まりの神饌を青柏の葉に盛って供えるのが祭りの名称になったといわれています。古くは、4月の申の日に執行されていました。
青柏祭は、この祭りの日を農耕作業や野外仕事などの季節の変わり目とし、人々の生活の中に深く溶け込んだ、神と人との交歓し合う、能登路の春を彩る迫力のある最大の祭りです。神饌を青柏の葉に盛って神前に供え、天下太平五穀豊穣を祈る大地主神社(通称:山王神社)の春の例大祭「青柏祭」に、高さ12m、重さ20tの日本一大きな山車「でか山」3基が、狭い街中を曳き廻される様は圧巻です。でか山の前面には、歌舞伎の名場面などをあしらった煌びやかな舞台が作られます。
今宮祭神幸祭
毎年5/5
今宮祭の起源は古く、平安の都の「紫野御霊会」につながる祭礼であると言われています。その後西陣が興隆するとともに西陣の氏子祭として栄え、今日までその伝統を継いでいます。御霊会とは平安時代、疫病が流行する原因だと考えられていた怨霊を鎮める為に各地で行われていた祭です。
今宮祭りは平安時代から始まる伝統の祭りで、車太鼓を先頭にして、八乙女・牛車・神輿など800名が練り歩く「神幸祭(おいでまつり)」から始まります。巫女が大釜に湯を沸かして舞う「湯立祭」もあり、最後は松明に大神輿が先導されて神社へ戻ってくる「還幸祭(おかえりまつり)」で幕を閉じます。
ひろしまフラワーフェスティバル
5月3日、4日、5日
「ひろしまフラワーフェスティバル」は毎年5月3日から5日までの3日間開催される祭りで、1977年に始まり今年は37回目になります。1975年の広島東洋カープ優勝の賑わいを経験したことで、市民の間から「市民が気軽に参加できるような祭りが欲しい」という声が出ていました。また広島市が近隣町村との合併を進めていた時期でもあり、「全市民的連帯感の創造は行政サイドにとって焦眉の急務であった」とという雰囲気の中で生まれた行事です。
「広島と世界を結ぶ平和の花の祭典」として毎年5月3日から5日の3日間にわたり開催されます。平和記念公園での花の展開や広島国際会議場フェニックスホールでのステージイベント、平和大通りでのモニュメントや花の展示等を行っています。動員数は毎年160万人を超え、ゴールデンウィーク期間中に日本で開催されるお祭りとしては、最大級の動員数を誇ります。
ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会企画実施本部
https://www.hiroshima-ff.com/
広島県立図書館 フラワーフェスティバルが始まった理由(第37号)
https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/hp/page000002000/hpg000001924.htm
有田陶器市
毎年4月29日~5月5日
その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道でした。窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。陶器市期間中には「ちゃわん王国」と名前を変え、ほとんどの店舗がやきもの屋さんに早変わりします。
那覇ハーリー
毎年5月3日~5日
那覇ハーリーは、14世紀に中国から沖縄に帰化した久米三十六姓が伝えたという説や、長浜太夫という人が南京で爬龍船を見て、帰国後まねて造り、那覇港で競漕したという説など諸説あります。 琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより廃止されました。琉球王国から明治政府と代わり地域の行事として再度行われるようになったが1928年を最後に競漕は途絶えました。戦後になり各地で復活をして、1975年に復活した那覇ハーリーは沖縄で最大の規模を誇るものです。
那覇ハーリーは、14世紀に中国から沖縄に帰化した久米三十六姓が伝えたという説や、長浜太夫という人が南京で爬龍船を見て、帰国後まねて造り、那覇港で競漕したという説など諸説あります。 琉球王国の国家的行事として栄えましたが、廃藩置県(1879年)で琉球王国がなくなったことにより廃止されました。琉球王国から明治政府と代わり地域の行事として再度行われるようになったが1928年を最後に競漕は途絶えました。戦後になり各地で復活をして、1975年に復活した那覇ハーリーは沖縄で最大の規模を誇るものです。
2023年5月6日(土)開催のイベント一覧
くらやみ祭(大國霊神社)
4月30日~5月6日
大國霊神社のくらやみ祭は東京で最も有名な祭りのひとつです。ルーツは大國魂神社を景行天皇が建立した2世紀まで遡り、古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていました。神輿で行われる真夜中の儀礼の際、街の明かりを全て消し、暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
30日に品川海上禊祓式が行われた翌日、祈晴祭など儀式が続きます。3日には競馬式が、旧甲州街道を6頭の馬が200mの距離を3往復します。4日には萬燈大会、子ども御輿が繰り出し、5日午前中から神事である例祭がしめやかに行われます。そして夕方からはくらやみ祭のメインである御輿渡御が始まります。くらやみに映える祭りのひかりのもと、賑やかな掛け声とともに御輿が練り歩きます。翌日早朝、御輿は境内にもどり、鎮座祭が行われてまつりは終了となります。
浅間大社流鏑馬祭
毎年5月4日~6日
浅間大社の流鏑馬は、社伝によると建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、浅間大社に流鏑馬を奉納し武運長久・天下太平を祈願したことから始まるとされています。天正5年(1577)の『富士大宮御神事帳』、慶安3年(1650)の『富士本宮年中祭禮之次第』などにも記載されている800余年の伝統を持つ神事です。
流鏑馬自体は、5月5日に奉納されますが、これに合わせて様々な祭儀が行われます。これらは、本宮祭儀を行うための重要な意味があり、全部を含めて流鏑馬といえます。一ノ射手は揚扇を行い疾走し二つの的を次々に射抜く姿は見事というほかありません。三ノ射手までが正射手で、その他を平武者といって区別してます。15~20騎ほどの流鏑馬がおこなわれ終了となります。
2023年5月7日(日)開催のイベント一覧
和歌祭
毎年5月第2週日曜日
和歌祭の始まりは、江戸時代の元和8年(1622)からです。戦国と呼ばれた時代から遠くないせいか、現在でも行列の中にその頃の様子が伺える種目もあって、他のお祭のお渡り行列との違いを見ることができます。紀州の人々により、全国に類を見ない祭として、誇りをもって受け継がれてきました。この伝統的なお祭を絶やさず、将来に伝承していこうと守っている和歌山の人々の文化意識の高さを示すお祭でもあります。
和歌祭とは、毎年5月に行われる紀州東照宮の大祭の渡御の呼称です。別名、紀州の国祭、天下祭、権現祭とも呼ばれ、親しまれてきたお祭 りの行列です。和歌祭と呼ばれているのは、東照宮のある山を和歌山(わかさん)といい、一山を上げてのお祭ということで和歌祭と呼ばれたとか、江戸時代に 東照宮を口にするのは恐れ多いということで「和歌の御宮」と言い習わされていたところから和歌祭と呼ばれるようになったなどの説があります。
2023年5月10日(水)開催のイベント一覧
寄居北條祭り
5月10日
1590年の攻防戦を記念した行事ですが、最初は1961年に鉢形城で「第1回鉢形城供養祭」が開催されたのが始まりです。その後名称を「寄居北条まつり」に変えて、現在まで続いています。
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、鉢形城に陣取った郷土の武将北条氏邦は、前田利家・上杉景勝率いる5万人の豊臣勢を相手に、わずか3,500人の兵力で1カ月余り攻防戦を続けました。このときの戦いを再現したものが「寄居北條まつり」です。まつりの当日は約500人が武者姿で出陣し、市街地をパレードした後、北条・豊臣の両軍に分かれて、玉淀河原で攻防戦が繰り広げられます。
2023年5月11日(木)開催のイベント一覧
長良川鵜飼開き
5月11日
美濃国(現在の岐阜県)では、7世紀頃から鵜飼が行われていたと言われています。正倉院に納められている美濃国と伝えられる702(大宝2)年の戸籍に、「鵜養部目都良売」という記述があります。この人物は、鵜飼を生業としていた集団の出身と推定されており、長良川鵜飼が1300年以上の歴史を持つとする由来となっています。室町時代には将軍足利義教が墨股川(長良川)で鵜飼を観覧したという記録が見られます。
鵜飼とは、鵜を巧みに操って川にいる魚を獲る漁法のことです。現在長良川鵜飼は、毎年10万人を超える観光客が鵜飼観覧を楽しんでいます。昭和40年代には、30万人を超える観覧者数を記録したこともあります。このかけがえのない日本の宝を世界の宝に、そして未来へと継承していくために、岐阜市は長良川鵜飼のユネスコ無形文化遺産登録を目指しています。
2023年5月12日(金)開催のイベント一覧
お旅まつり
例年5月中旬の金曜日~日曜日
お旅まつりは莵橋神社と本折日吉神社の春季祭礼で、その始まりは、加賀前田家三代前田利常が小松城に隠居した寛永17年(1640)頃だと言われています。 両社の神輿が巡行の際、小松城門前へ赴き、藩主前田家の平穏と武運長久を祈願するとともに、それぞれの御旅所(御仮屋)へ渡御・駐留し、氏子町内を巡幸したのが由来です。
石川県小松市で毎年5月に行われているお祭りです。曳山で演じる「子供歌舞伎」が有名です。主に女の子が演じており、全国でも珍しいといわれます。役者に選ばれた子供たちは、3ヵ月前から台詞を覚え、1ヵ月前から歌舞伎の師匠とほぼ毎日稽古します。子供の芝居だろうと侮ってはいけません。ほんものの歌舞伎役者もビックリのレベルの高さで、見物客からはヤンヤの喝采が起きるほどで感動必至です。「曳山曳揃え」ではライトアップされて黄金色に輝く曳山が見事です。 その他多数のイベントも開催されており、毎年多くの観光客が訪れています。
一般社団法人 こまつ観光物産ネットワーク
http://www.komatsuguide.jp/index.php/otabimatsuri/detail/otabimaturitoha
公益社団法人 日本観光振興協会
https://www.nihon-kankou.or.jp/ishikawa/detail/17203ba2212059897
2023年5月13日(土)開催のイベント一覧
大垣まつり(八幡神社)
例年5月15日より前の15日に近い土日
大垣まつりの軕の起源は、慶安元年(1648)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを御輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10両の軕(出しもの)を造って曳回したのが始まりと伝えられています。
試楽(土曜日)は、8時30分から八幡神社前で各軕が奉芸を行い、9時30分からは市役所前で掛芸披露をします。その後、軕は自由に市内を巡行し、19時から夜宮を行います。本楽(日曜日)は、8時45分から八幡神社前で奉芸を行い、その後、13両の軕が行列をなして城下町を巡行します。16時20分から大垣まつり行列、19時からは夜宮を行います。この地方最大の祭りだけに、大勢の人たちが沿道を埋めつくし、軕の美と沿道の熱気が城下町をつつみます。
お旅まつり
例年5月中旬の金曜日~日曜日
お旅まつりは莵橋神社と本折日吉神社の春季祭礼で、その始まりは、加賀前田家三代前田利常が小松城に隠居した寛永17年(1640)頃だと言われています。 両社の神輿が巡行の際、小松城門前へ赴き、藩主前田家の平穏と武運長久を祈願するとともに、それぞれの御旅所(御仮屋)へ渡御・駐留し、氏子町内を巡幸したのが由来です。
石川県小松市で毎年5月に行われているお祭りです。曳山で演じる「子供歌舞伎」が有名です。主に女の子が演じており、全国でも珍しいといわれます。役者に選ばれた子供たちは、3ヵ月前から台詞を覚え、1ヵ月前から歌舞伎の師匠とほぼ毎日稽古します。子供の芝居だろうと侮ってはいけません。ほんものの歌舞伎役者もビックリのレベルの高さで、見物客からはヤンヤの喝采が起きるほどで感動必至です。「曳山曳揃え」ではライトアップされて黄金色に輝く曳山が見事です。 その他多数のイベントも開催されており、毎年多くの観光客が訪れています。
一般社団法人 こまつ観光物産ネットワーク
http://www.komatsuguide.jp/index.php/otabimatsuri/detail/otabimaturitoha
公益社団法人 日本観光振興協会
https://www.nihon-kankou.or.jp/ishikawa/detail/17203ba2212059897
三井寺千団子祭
5月中旬の土・日曜日
三井寺本尊は護法善神として鬼子母神を祀っています。鬼子母神は従来人間の児を奪い食する悪鬼であったが、 釈尊がこれを聞き、母神の子を鉢で隠したところ、 狂髪・啼哭して悲しみました。釈尊が慈愛を垂れたところ、仏教に帰依し、以後善女神になったといわれています。鬼子母神は訶梨帝母と称する女神で、自らは千人の子供を持ちながら、人間の子供を奪って食べる鬼神でしたが、お釈迦様の説法を聞き、懺悔して仏法を守護する神となりました。600年以上続く伝統的な祭礼です。
護法善神堂の秘仏である本尊が開扉され、その供え物として串ざしにした1,000個の団子が供えられます。千の団子は千人の子の供養、柘榴は鬼子母神の供養として供えられます。 この日、境内は植木・苗市で賑わいます。 また、社前の放生池では亀の放生が行われ、子供の安産育成を祈願します。
2023年5月14日(日)開催のイベント一覧
仙台・青葉まつり
5月14日~15日
明暦元年(1655年)に始まった「仙台祭」は仙台東照宮の祭りとして藩を挙げて行われ、明治時代には伊達政宗公を祀る青葉神社の例祭にも受け継がれ「青葉まつり」と呼ばれるようになりました。現在の「仙台・青葉まつり」は伊達政宗公没後350年を迎えた昭和60年(1985年)に市民がつくる市民のまつり”として復活させたものです。
杜の都・仙台の初夏を彩り、仙台三大まつりのひとつとして、すずめ踊りの華麗な演舞と時代絵巻巡行の豪華絢爛さが年毎に注目を浴び、仙台市民はもとより、国内外の多くの方々に愛される伝統あるまつりとして定着してきています。
大垣まつり(八幡神社)
例年5月15日より前の15日に近い土日
大垣まつりの軕の起源は、慶安元年(1648)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを御輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10両の軕(出しもの)を造って曳回したのが始まりと伝えられています。
試楽(土曜日)は、8時30分から八幡神社前で各軕が奉芸を行い、9時30分からは市役所前で掛芸披露をします。その後、軕は自由に市内を巡行し、19時から夜宮を行います。本楽(日曜日)は、8時45分から八幡神社前で奉芸を行い、その後、13両の軕が行列をなして城下町を巡行します。16時20分から大垣まつり行列、19時からは夜宮を行います。この地方最大の祭りだけに、大勢の人たちが沿道を埋めつくし、軕の美と沿道の熱気が城下町をつつみます。
お旅まつり
例年5月中旬の金曜日~日曜日
お旅まつりは莵橋神社と本折日吉神社の春季祭礼で、その始まりは、加賀前田家三代前田利常が小松城に隠居した寛永17年(1640)頃だと言われています。 両社の神輿が巡行の際、小松城門前へ赴き、藩主前田家の平穏と武運長久を祈願するとともに、それぞれの御旅所(御仮屋)へ渡御・駐留し、氏子町内を巡幸したのが由来です。
石川県小松市で毎年5月に行われているお祭りです。曳山で演じる「子供歌舞伎」が有名です。主に女の子が演じており、全国でも珍しいといわれます。役者に選ばれた子供たちは、3ヵ月前から台詞を覚え、1ヵ月前から歌舞伎の師匠とほぼ毎日稽古します。子供の芝居だろうと侮ってはいけません。ほんものの歌舞伎役者もビックリのレベルの高さで、見物客からはヤンヤの喝采が起きるほどで感動必至です。「曳山曳揃え」ではライトアップされて黄金色に輝く曳山が見事です。 その他多数のイベントも開催されており、毎年多くの観光客が訪れています。
一般社団法人 こまつ観光物産ネットワーク
http://www.komatsuguide.jp/index.php/otabimatsuri/detail/otabimaturitoha
公益社団法人 日本観光振興協会
https://www.nihon-kankou.or.jp/ishikawa/detail/17203ba2212059897
今宮祭還幸祭
5月 第2(3)日曜日
今宮祭の起源は古く、平安の都の「紫野御霊会」につながる祭礼であると言われています。その後西陣が興隆するとともに西陣の氏子祭として栄え、今日までその伝統を継いでいます。御霊会とは平安時代、疫病が流行する原因だと考えられていた怨霊を鎮める為に各地で行われていた祭です。
今宮祭還幸祭は御還祭(おかえりまつり)とも云われ、御旅所から御本社へと向かう還御の祭です。御供所にて還御祭を斎行した後、提灯の飾りつけを終えた大宮御輿が松明の先導を受けて夕闇の中へと進む様子は、祭の締めくくりに相応しく幽趣を湛えています。
三井寺千団子祭
5月中旬の土・日曜日
三井寺本尊は護法善神として鬼子母神を祀っています。鬼子母神は従来人間の児を奪い食する悪鬼であったが、 釈尊がこれを聞き、母神の子を鉢で隠したところ、 狂髪・啼哭して悲しみました。釈尊が慈愛を垂れたところ、仏教に帰依し、以後善女神になったといわれています。鬼子母神は訶梨帝母と称する女神で、自らは千人の子供を持ちながら、人間の子供を奪って食べる鬼神でしたが、お釈迦様の説法を聞き、懺悔して仏法を守護する神となりました。600年以上続く伝統的な祭礼です。
護法善神堂の秘仏である本尊が開扉され、その供え物として串ざしにした1,000個の団子が供えられます。千の団子は千人の子の供養、柘榴は鬼子母神の供養として供えられます。 この日、境内は植木・苗市で賑わいます。 また、社前の放生池では亀の放生が行われ、子供の安産育成を祈願します。
2023年5月15日(月)開催のイベント一覧
仙台・青葉まつり
5月14日~15日
明暦元年(1655年)に始まった「仙台祭」は仙台東照宮の祭りとして藩を挙げて行われ、明治時代には伊達政宗公を祀る青葉神社の例祭にも受け継がれ「青葉まつり」と呼ばれるようになりました。現在の「仙台・青葉まつり」は伊達政宗公没後350年を迎えた昭和60年(1985年)に市民がつくる市民のまつり”として復活させたものです。
杜の都・仙台の初夏を彩り、仙台三大まつりのひとつとして、すずめ踊りの華麗な演舞と時代絵巻巡行の豪華絢爛さが年毎に注目を浴び、仙台市民はもとより、国内外の多くの方々に愛される伝統あるまつりとして定着してきています。
大垣まつり(八幡神社)
例年5月15日より前の15日に近い土日
大垣まつりの軕の起源は、慶安元年(1648)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを御輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10両の軕(出しもの)を造って曳回したのが始まりと伝えられています。
試楽(土曜日)は、8時30分から八幡神社前で各軕が奉芸を行い、9時30分からは市役所前で掛芸披露をします。その後、軕は自由に市内を巡行し、19時から夜宮を行います。本楽(日曜日)は、8時45分から八幡神社前で奉芸を行い、その後、13両の軕が行列をなして城下町を巡行します。16時20分から大垣まつり行列、19時からは夜宮を行います。この地方最大の祭りだけに、大勢の人たちが沿道を埋めつくし、軕の美と沿道の熱気が城下町をつつみます。
伏木曳山祭「けんか山」(伏木神社例大祭)
毎年5月15日
曳山の創設は文政3年(1820年)に始まると考えられます。建造に着手した直接の動機は、鎮守の神明宮(現在の伏木神社)が波崩れの災いに遭って、文化10年(1813年)に現在地へ遷座したことによります。しかし、山の福神に天明元年(1781年)の銘があることや、「やま」ができる以前は、祭日に福神を船問屋の座敷に請じ祀ったという伝承が残されていることなどから、計画はもっと早く、安永の頃(1772年~80年)にまで遡ることができると思われます。
「けんかやま」は、能登半島のふもと、富山県高岡市にて毎年5月15日に行われる伏木神社例大祭の別称です。地元の若連中が、勇壮な曳台を伏木の街中引き廻し、日本海に春が来たことを告げる重要な祭りです。 特に見所となるのは19時半と22時半に行われる「かっちゃ」です。6台のやまがそれぞれ、別の町のやまと全力でぶつかり合い、お互いの見栄を切りあうという、荒々しくも神々しい、この祭りのクライマックスです。この「かっちゃ」のために、伏木の若者は一年間のエネルギーを全てこの日にぶつけます。
若宮祭(若宮八幡社)
5月15日、16日
例祭は三百年の歴史があり、16日の本祭りには神輿と山車が那古野神社を御旅所として、ご神幸が盛大に執り行われます。若宮八幡社の祭礼は、寛文11年(1671)に氏子町内から初めて笠鉾を出したのが始まり、山車が登場するのは、祭りが始まってから3年後の延宝2年(1674)からのことです。5輌の山車が参加し、明和9年(1772)までには、若宮祭の名物祭車といわれる7輌が出そろいました。
江戸時代より名古屋三大祭りに数えられ、往古は七輌の山車が曳き揃えられましたが、その多くが戦災により焼失しました。現在、試楽祭には若宮八幡社境内で囃子と山車からくりの奉納が行われ、夜は福禄寿車に提灯を飾ります.翌16日の例祭日は、神輿とともに那古野神社(名古屋市中区丸の内)まで渡御が行われます.
葵祭
5月15日
葵祭は5月に行われる上賀茂神社と下鴨神社の例祭で「京都三大祭」の一つになっています。正式には「賀茂祭」といい、平安時代の朝廷行事として行われていた頃と変わらない平安貴族の姿で長い列をつくり、京都御所をから下鴨神社を通り、上賀茂神社へと向かいます。平安時代は「祭り」といえばこの賀茂祭を意味していました。鎌倉時代から衰え、一旦は姿を消したお祭りですが、江戸の元禄期に再興され、列を作る牛車や人々の冠、牛馬全てをフタバアオイを桂の枝に絡ませた葵鬘で飾るようになったため、そのころから葵祭と呼ばれるようになりました。
京都三大祭の一つで、下鴨神社と上賀茂神社の例大祭です。平安貴族の衣装をまとった斎王代、検非違使など500余名、馬、牛、牛車、輿の全長700mの行列が、京都御所より下鴨神社さらに上賀茂神社へと向かいます。各神社では神馬の引き回しや舞楽などを奉納する「社頭の儀」が行われます。
京都観光オフィシャルサイト
https://ja.kyoto.travel/event/major/aoi/
祭りびと
https://matsuribito.net/26000069.php
2023年5月16日(火)開催のイベント一覧
若宮祭(若宮八幡社)
5月15日、16日
例祭は三百年の歴史があり、16日の本祭りには神輿と山車が那古野神社を御旅所として、ご神幸が盛大に執り行われます。若宮八幡社の祭礼は、寛文11年(1671)に氏子町内から初めて笠鉾を出したのが始まり、山車が登場するのは、祭りが始まってから3年後の延宝2年(1674)からのことです。5輌の山車が参加し、明和9年(1772)までには、若宮祭の名物祭車といわれる7輌が出そろいました。
江戸時代より名古屋三大祭りに数えられ、往古は七輌の山車が曳き揃えられましたが、その多くが戦災により焼失しました。現在、試楽祭には若宮八幡社境内で囃子と山車からくりの奉納が行われ、夜は福禄寿車に提灯を飾ります.翌16日の例祭日は、神輿とともに那古野神社(名古屋市中区丸の内)まで渡御が行われます.
2023年5月19日(金)開催のイベント一覧
酒田まつり
5/19-5/21
400年以上の古い歴史を持つ酒田まつり。その始まりは酒田の守り神である上日枝(かみひえ)神社と下日枝(しもひえ)神社の例大祭にありました。1609年に始まった例大祭は「山王祭(さんのうまつり)」といわれました。酒田大火から3年後の1979年には、復興を記念し山王祭を酒田市民の祭りにしようと、「酒田まつり」と呼ぶようになりました。
「西の堺・東の酒田」といわれ、江戸時代に北前船の交易により栄えた酒田市。「酒田まつり」はその酒田市で一番賑やかなお祭りです。「鶴岡天神祭(鶴岡市)」、「大山犬まつり(鶴岡市)」とともに庄内三大まつりのひとつに数えられています。祭り当日は大通りから日和山公園までの沿道に350ほどの露店が並び、県内外から22万人もの人が押し寄せます。
三社祭(浅草神社)
5月17・18に近い第3金曜から3日間
正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと言われています。江戸時代には、御縁日である三月十八日の大祭前夜(十七日)浅草神社の御神体が移られた三基の御神輿を観音本堂外陣に「お堂上げ」にて安置し、観音様と三社権現三人の神様にともに一晩を過ごされました。その後、御神輿三基が「お堂下げ」にて本堂外陣から降ろされると、浅草の町を眺めながら、一之宮を先頭に浅草御門(現在の浅草橋際)の舟乗り場迄担ぎ運ばれました。当時は浅草寺と一体となった行事で、「観音祭」又は「浅草祭」とも呼ばれていました。
浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。 江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと云われ、東京の初夏を代表する風物詩の一つです。
黒船祭
5月第3土曜日前後の3日間
ペリー提督率いる米国海軍が黒船で来航したのが1854年。この後下田開港につくした内外の先賢の偉業をたたえ、併せて世界平和と国際親善に寄与するため、昭和9年(1934年)に始まったのが黒船祭です。
現在では記念式典や墓前祭が厳かに行われる一方で、町内や海辺の会場では活気にあふれたイベントが目白押しです。新緑の季節、毎年たくさんのお客様で盛り上がる黒船祭は下田市最大のイベントです。華やかな公式パレード、志茂田条約の調印式を面白く演じた再現劇など国際色豊かです。
三国祭(三國神社)
毎年5月19日~21日
三国祭は北陸三大祭の一つと言われます。山車屋台に大きな人形がのるという今日の形の山車をだすようになったのは、約260年前からと伝えられています。山車の高さは、明治中期には10メートル以上もあり、近郷の村々からも勇壮な武者人形の頭が見えたともいわれます。現在の高さは、6.5メートルですが、日本海に育まれた湊町、三国の栄華と人々の気概は今も変わらず受け継がれています。
福井県指定無形民俗文化財の「三国祭」は、三國神社で執り行われる格式ある神事です。中日祭では、三味線・笛・太鼓ばやしにのり、奉納する山車(やま)6基が三國神社前に集結します。12時より神輿・山車発幸祭が執り行われ、13時に1番山車を先頭に巡行が開始されます。16時前後、駅前通りに1番山車を先頭に順次到着し、近迎えの各区青年会の若者が高張り提灯持参で集結、祭も最高潮に達します。 18時過ぎる頃から、各々の区へ戻る帰り山車は、露店の並ぶなか人の波を進み、曳き手と観客は一体となり、クライマックスを迎えます。
2023年5月20日(土)開催のイベント一覧
酒田まつり
5/19-5/21
400年以上の古い歴史を持つ酒田まつり。その始まりは酒田の守り神である上日枝(かみひえ)神社と下日枝(しもひえ)神社の例大祭にありました。1609年に始まった例大祭は「山王祭(さんのうまつり)」といわれました。酒田大火から3年後の1979年には、復興を記念し山王祭を酒田市民の祭りにしようと、「酒田まつり」と呼ぶようになりました。
「西の堺・東の酒田」といわれ、江戸時代に北前船の交易により栄えた酒田市。「酒田まつり」はその酒田市で一番賑やかなお祭りです。「鶴岡天神祭(鶴岡市)」、「大山犬まつり(鶴岡市)」とともに庄内三大まつりのひとつに数えられています。祭り当日は大通りから日和山公園までの沿道に350ほどの露店が並び、県内外から22万人もの人が押し寄せます。
三社祭(浅草神社)
5月17・18に近い第3金曜から3日間
正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと言われています。江戸時代には、御縁日である三月十八日の大祭前夜(十七日)浅草神社の御神体が移られた三基の御神輿を観音本堂外陣に「お堂上げ」にて安置し、観音様と三社権現三人の神様にともに一晩を過ごされました。その後、御神輿三基が「お堂下げ」にて本堂外陣から降ろされると、浅草の町を眺めながら、一之宮を先頭に浅草御門(現在の浅草橋際)の舟乗り場迄担ぎ運ばれました。当時は浅草寺と一体となった行事で、「観音祭」又は「浅草祭」とも呼ばれていました。
浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。 江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと云われ、東京の初夏を代表する風物詩の一つです。
黒船祭
5月第3土曜日前後の3日間
ペリー提督率いる米国海軍が黒船で来航したのが1854年。この後下田開港につくした内外の先賢の偉業をたたえ、併せて世界平和と国際親善に寄与するため、昭和9年(1934年)に始まったのが黒船祭です。
現在では記念式典や墓前祭が厳かに行われる一方で、町内や海辺の会場では活気にあふれたイベントが目白押しです。新緑の季節、毎年たくさんのお客様で盛り上がる黒船祭は下田市最大のイベントです。華やかな公式パレード、志茂田条約の調印式を面白く演じた再現劇など国際色豊かです。
姫路お城まつり
例年5月中開催
築城は播磨国守護職赤松氏により1346年に行われました。お城まつりの由来は、戦後廃墟と化していましたが奇跡的に残った姫路城を姫路市の戦後の復興のシンボル・市民の心のよりどころとなる「祭り」として始まりました。 第1回姫路お城まつりは1948年で、姫路お城まつりのみどころ 「お城の女王」は初代が1968年に誕生しています。市内最大級の市民まつりで、初夏の姫路の風物詩になっている市民参加型のお祭りです。
姫路お城祭りは全国でも珍しい複合型のお祭りです。複数のお祭りで構成されていて全体でお城祭りになります。心震える播州の祭りでは播州祭り屋台の組み上げやニ屋台の点灯・プロジェクションマッピング、ひめじ良さ恋まつりでは地元を始め全国から1000名以上が集結、サウンドフェスティバル、姫路お城の女王発表会などなど盛りだくさんです。
神戸まつり
例年5月第3土曜と日曜日
神戸まつりには二つのルーツがあります。ひとつは「みなとの祭」で、第1回みなとの祭が開催された1933年当時は不況で市民創造型の新しいタイプのまつりとして始められました。 今ひとつは神戸カーニバルで、1967年の神戸開港100年祭の一環として開催されました。その前夜祭として行われたのが、神戸カーニバルでした。1971年に「みなとの祭」と「神戸カーニバル」を発展的に解消して毎年5月の第3日曜日に実施することになりました。
市内最大級の市民参加型イベントです。2日目には市内9区で各区の特色あるお祭りが一斉に行われます。最終日にはメインフェスティバルとして、パレードやステージイベントが開催されます。その他、マーケットもあり多くの来場者が訪れ賑わいます。
三国祭(三國神社)
毎年5月19日~21日
三国祭は北陸三大祭の一つと言われます。山車屋台に大きな人形がのるという今日の形の山車をだすようになったのは、約260年前からと伝えられています。山車の高さは、明治中期には10メートル以上もあり、近郷の村々からも勇壮な武者人形の頭が見えたともいわれます。現在の高さは、6.5メートルですが、日本海に育まれた湊町、三国の栄華と人々の気概は今も変わらず受け継がれています。
福井県指定無形民俗文化財の「三国祭」は、三國神社で執り行われる格式ある神事です。中日祭では、三味線・笛・太鼓ばやしにのり、奉納する山車(やま)6基が三國神社前に集結します。12時より神輿・山車発幸祭が執り行われ、13時に1番山車を先頭に巡行が開始されます。16時前後、駅前通りに1番山車を先頭に順次到着し、近迎えの各区青年会の若者が高張り提灯持参で集結、祭も最高潮に達します。 18時過ぎる頃から、各々の区へ戻る帰り山車は、露店の並ぶなか人の波を進み、曳き手と観客は一体となり、クライマックスを迎えます。
川渡り神幸祭
毎年5月の第3土曜日とその翌日
永禄年間(1558年~1570年)、伊田村に疫病が流行した際、村の氏神である同神社にその終息を祈願し、成就のお礼として奉納されたことに始まります。風治神社は、古くは「伊田大神」あるいは「飯田大神」と称して海津見神を祀る地主神でした。弘仁五年(814)六月、大旱害に見舞われた際、郡司が伝教大師最澄に請願し伊田大神に祈念してもらうと、たちまち雨が降り五穀が潤ったという話しが残されています。
福岡県五大祭りの一つに数えられ、福岡県指定無形民俗文化財第1号に登録されている風治八幡宮の「川渡り神幸祭」。 永禄年間(1558年~1570年)から今日まで450年以上も続く歴史と伝統を誇る祭礼です。六十人舁きの大神輿が、五色のバレンで飾り立てた十台余の幟山笠を引具して、彦山川の川瀬を練り渡る勇壮にして豪壮な一大神事です。
2023年5月21日(日)開催のイベント一覧
ながい黒獅子まつり
5月21日
起源は約1000年前に遡る長井市の神社各所に伝わる伝統神事で、市内の40数社の神社に黒獅子舞が伝わっています。
獅子頭は神社ごとに異なる面持ちをしているのが特徴で、長井の獅子は丸くとびだし前後に面長、漆黒の獅子頭は「蛇頭(じゃがしら)」と呼ばれ舞う姿は百足(むかで)獅子とも呼ばれています。大人数の舞手が入る「むかで獅子」は躍動的で力強い迫力があり、警護との力比べも見どころです。
酒田まつり
5/19-5/21
400年以上の古い歴史を持つ酒田まつり。その始まりは酒田の守り神である上日枝(かみひえ)神社と下日枝(しもひえ)神社の例大祭にありました。1609年に始まった例大祭は「山王祭(さんのうまつり)」といわれました。酒田大火から3年後の1979年には、復興を記念し山王祭を酒田市民の祭りにしようと、「酒田まつり」と呼ぶようになりました。
「西の堺・東の酒田」といわれ、江戸時代に北前船の交易により栄えた酒田市。「酒田まつり」はその酒田市で一番賑やかなお祭りです。「鶴岡天神祭(鶴岡市)」、「大山犬まつり(鶴岡市)」とともに庄内三大まつりのひとつに数えられています。祭り当日は大通りから日和山公園までの沿道に350ほどの露店が並び、県内外から22万人もの人が押し寄せます。
三社祭(浅草神社)
5月17・18に近い第3金曜から3日間
正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと言われています。江戸時代には、御縁日である三月十八日の大祭前夜(十七日)浅草神社の御神体が移られた三基の御神輿を観音本堂外陣に「お堂上げ」にて安置し、観音様と三社権現三人の神様にともに一晩を過ごされました。その後、御神輿三基が「お堂下げ」にて本堂外陣から降ろされると、浅草の町を眺めながら、一之宮を先頭に浅草御門(現在の浅草橋際)の舟乗り場迄担ぎ運ばれました。当時は浅草寺と一体となった行事で、「観音祭」又は「浅草祭」とも呼ばれていました。
浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。 江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと云われ、東京の初夏を代表する風物詩の一つです。
黒船祭
5月第3土曜日前後の3日間
ペリー提督率いる米国海軍が黒船で来航したのが1854年。この後下田開港につくした内外の先賢の偉業をたたえ、併せて世界平和と国際親善に寄与するため、昭和9年(1934年)に始まったのが黒船祭です。
現在では記念式典や墓前祭が厳かに行われる一方で、町内や海辺の会場では活気にあふれたイベントが目白押しです。新緑の季節、毎年たくさんのお客様で盛り上がる黒船祭は下田市最大のイベントです。華やかな公式パレード、志茂田条約の調印式を面白く演じた再現劇など国際色豊かです。
姫路お城まつり
例年5月中開催
築城は播磨国守護職赤松氏により1346年に行われました。お城まつりの由来は、戦後廃墟と化していましたが奇跡的に残った姫路城を姫路市の戦後の復興のシンボル・市民の心のよりどころとなる「祭り」として始まりました。 第1回姫路お城まつりは1948年で、姫路お城まつりのみどころ 「お城の女王」は初代が1968年に誕生しています。市内最大級の市民まつりで、初夏の姫路の風物詩になっている市民参加型のお祭りです。
姫路お城祭りは全国でも珍しい複合型のお祭りです。複数のお祭りで構成されていて全体でお城祭りになります。心震える播州の祭りでは播州祭り屋台の組み上げやニ屋台の点灯・プロジェクションマッピング、ひめじ良さ恋まつりでは地元を始め全国から1000名以上が集結、サウンドフェスティバル、姫路お城の女王発表会などなど盛りだくさんです。
石山寺青鬼まつり
毎年5月第三日曜日
青鬼まつりは石山寺屈指の学僧 朗澄律師(1132~1209)の遺徳をしのぶお祭りです。学問の寺、石山寺には石山寺一切経(重要文化財:約4,600帖)や石山寺校倉聖教(重要文化財:約2,000点)をはじめとする膨大な経典・聖教郡が伝えられています。朗澄律師はこれらのお経や聖教の収集・整備・保存に尽力された方の一人であり自分の死後、鬼の姿となってこの聖教類を守護して降魔招福を誓われました。
約800年前、石山寺中興の祖である朗澄律師(ろうちょうりっし)が死後、青鬼となって民衆に降魔招福を誓ったという伝説にちなみ、すべての行事で複数の青鬼が現れます。東大門前での法要、青鬼太鼓の奉納、青鬼うちわも青鬼から直接もらえます。
神戸まつり
例年5月第3土曜と日曜日
神戸まつりには二つのルーツがあります。ひとつは「みなとの祭」で、第1回みなとの祭が開催された1933年当時は不況で市民創造型の新しいタイプのまつりとして始められました。 今ひとつは神戸カーニバルで、1967年の神戸開港100年祭の一環として開催されました。その前夜祭として行われたのが、神戸カーニバルでした。1971年に「みなとの祭」と「神戸カーニバル」を発展的に解消して毎年5月の第3日曜日に実施することになりました。
市内最大級の市民参加型イベントです。2日目には市内9区で各区の特色あるお祭りが一斉に行われます。最終日にはメインフェスティバルとして、パレードやステージイベントが開催されます。その他、マーケットもあり多くの来場者が訪れ賑わいます。
三国祭(三國神社)
毎年5月19日~21日
三国祭は北陸三大祭の一つと言われます。山車屋台に大きな人形がのるという今日の形の山車をだすようになったのは、約260年前からと伝えられています。山車の高さは、明治中期には10メートル以上もあり、近郷の村々からも勇壮な武者人形の頭が見えたともいわれます。現在の高さは、6.5メートルですが、日本海に育まれた湊町、三国の栄華と人々の気概は今も変わらず受け継がれています。
福井県指定無形民俗文化財の「三国祭」は、三國神社で執り行われる格式ある神事です。中日祭では、三味線・笛・太鼓ばやしにのり、奉納する山車(やま)6基が三國神社前に集結します。12時より神輿・山車発幸祭が執り行われ、13時に1番山車を先頭に巡行が開始されます。16時前後、駅前通りに1番山車を先頭に順次到着し、近迎えの各区青年会の若者が高張り提灯持参で集結、祭も最高潮に達します。 18時過ぎる頃から、各々の区へ戻る帰り山車は、露店の並ぶなか人の波を進み、曳き手と観客は一体となり、クライマックスを迎えます。
川渡り神幸祭
毎年5月の第3土曜日とその翌日
永禄年間(1558年~1570年)、伊田村に疫病が流行した際、村の氏神である同神社にその終息を祈願し、成就のお礼として奉納されたことに始まります。風治神社は、古くは「伊田大神」あるいは「飯田大神」と称して海津見神を祀る地主神でした。弘仁五年(814)六月、大旱害に見舞われた際、郡司が伝教大師最澄に請願し伊田大神に祈念してもらうと、たちまち雨が降り五穀が潤ったという話しが残されています。
福岡県五大祭りの一つに数えられ、福岡県指定無形民俗文化財第1号に登録されている風治八幡宮の「川渡り神幸祭」。 永禄年間(1558年~1570年)から今日まで450年以上も続く歴史と伝統を誇る祭礼です。六十人舁きの大神輿が、五色のバレンで飾り立てた十台余の幟山笠を引具して、彦山川の川瀬を練り渡る勇壮にして豪壮な一大神事です。
2023年5月22日(月)開催のイベント一覧
姫路お城まつり
例年5月中開催
築城は播磨国守護職赤松氏により1346年に行われました。お城まつりの由来は、戦後廃墟と化していましたが奇跡的に残った姫路城を姫路市の戦後の復興のシンボル・市民の心のよりどころとなる「祭り」として始まりました。 第1回姫路お城まつりは1948年で、姫路お城まつりのみどころ 「お城の女王」は初代が1968年に誕生しています。市内最大級の市民まつりで、初夏の姫路の風物詩になっている市民参加型のお祭りです。
姫路お城祭りは全国でも珍しい複合型のお祭りです。複数のお祭りで構成されていて全体でお城祭りになります。心震える播州の祭りでは播州祭り屋台の組み上げやニ屋台の点灯・プロジェクションマッピング、ひめじ良さ恋まつりでは地元を始め全国から1000名以上が集結、サウンドフェスティバル、姫路お城の女王発表会などなど盛りだくさんです。
2023年5月25日(木)開催のイベント一覧
鶴岡天神祭(化けものまつり)
5月25日
菅原道真公(845~903年)が京都から九州大宰府に突然左遷されることになった際、道真公を慕う人々が時の権力をはばかり、女性用の花模様の長襦袢を着て変装し編み笠で顔を隠しながら密かに酒を酌み交わして別れを惜しんだという言い伝えに由来しています。祭りは江戸時代に始まり、明治時代に「化けものによる酒の振る舞い」というスタイルになったということです。
鶴岡天満宮の例祭として催されるのが「鶴岡天神祭」です。鶴岡天満宮で約300年の歴史をもつ天狗舞が奉納されるほか、鶴岡天満宮神輿や菅原道真公行列、大絵馬のパレード、手踊り行列など1800人程が市内を練り歩きます。祭り当日、市内のあちこちに手拭いと編み笠で顔を隠した「化けもの」が、徳利と盃を手に祭りを見物している人たちに無言で酒を振る舞います。
2023年5月27日(土)開催のイベント一覧
佐渡國鬼太鼓どっとこむ
5月第4日曜
佐渡の鬼太鼓の起源は不明ですが、延亨年間(1744~1748)の相川祭の絵図には、鬼太鼓が描かれています。佐渡國鬼太鼓どっとこむは、2002年から毎年実施されています。
「佐渡おけさ」「鬼太鼓」を代表とする佐渡の郷土芸能が一堂に会します。毎年25組前後の芸能団体が参加、観客は1万人を超える人気イベント。佐渡島内で伝承されてきた各地域の芸能を居ながらにして鑑賞できます。特産品を味わえる屋台も出店、新鮮な佐渡沖の魚介類、佐渡地酒などが楽しめます。
佐渡國鬼太鼓どっとこむ(公式)
http://www.sadokoku-ondeko.com/
にいがた観光ナビ(公益社団法人新潟県観光協会)
https://niigata-kankou.or.jp/event/2145
佐渡芸能(佐渡市教育委員会)
https://sado-geinou.com/history/shishimai
2023年5月29日(月)開催のイベント一覧
楠公祭
武者行列は数年に一度のみ開催
湊川神社の大祭はご祭神楠木正成公が湊川の戦いで殉節された延元元年〈1336〉5月25日を縁日として、氏子等が賑々しく執り行う私祭として行われてきました。神社創建2年後の明治7年には神輿渡御が行われ、大楠公を大将とする騎馬武者が神輿に供奉したことが御神幸「楠公武者行列」のはじまりです。
お祭りは、甲冑姿の騎馬武者らが供奉する勇壮な「前陣武者列」、金色に輝く大神輿の「神幸列本社」、御夫人・甘南備大神様の優美な葱華輦と可愛らしい稚児らが供奉する「神幸列甘南備神社」と3つの区分に分かれています。26騎の騎馬武者、騎馬女房など全69役、総勢700名、全長約1kmの一大歴史行列です。大鎧をはじめとする、南北朝時代の時代考証が厳密になされた装束の数々は武者行列ならではの特徴と見どころです。
2023年5月31日(水)開催のイベント一覧
富山山王まつり(日枝神社)
5月31日~2日
日枝神社例大祭である。織田信長は佐々成政に越中国をあたえ、富山に入った佐々成政は山王をあつく崇敬しました。その後富山城に入城した加賀藩二代藩主前田利長は現在の場所に境内地を寄進、社殿を造営するとともに、「日枝神社は富山の総産土神である」とし、以後前田家代々からあつく崇敬されました。
日枝神社春季例大祭、通称「山王まつり」は、6月1日・2日を中心に行われる日枝神社春季例大祭です。「山王さん」の名称で呼ばれており、富山市民に最も親しまれている盛大なお祭りの一つで、その人出は約20数万人。城下あげての総祭りとして栄えてきました。祭り当日は周辺には千数百の露店が軒を列ねに賑わいをみせます。
【参考文献】・小島美子他監修『祭・芸能・行事大辞典』朝倉書店 ・芳賀日出男他編『日本の祭り文化事典』東京書籍 ・三隅治雄編『全国年中行事辞典』東京堂出版 ・加藤友康他編『年中行事大辞典』吉川弘文館 ・写真・芳賀ライブラリー